宋代の詩人・蘇軾(蘇東坡)に日本でもよく知られている「中秋月」という有名な詩があります。こんな詩です。
「中秋月」
暮雲収盡溢清寒
銀漢無聲轉玉盤
此生此夜不長好
明月明年何處看
(暮雲収め尽くして清寒溢れ
銀漢声無く玉盤を転ず
此の生此の夜長くは好からず
明月明年何れの処にて看ん)
これ実は「陽関詞三首」の中の一首なんです。蘇軾と蘇轍の兄弟は共に唐宋八大家としてとても有名ですよね。二人は同じ年に科挙に合格し官僚になった同期でもありました。弟・蘇轍は辞令を受けて任地・南京へ向かったとき、なんと任地を通り過ぎて兄・蘇軾に会いに徐州を訪れ中秋を共に過ごしました。その時に詠まれた詩だとされています。なぜ「陽関詞」なのかと言えば、正に陽関三疊の曲に合わせて歌うことを前提に詠まれたからです。詩は吟じ詞は唱うもの、なんですね。陽関は元は王維の七言絶句「送元ニ使安西」を歌詞にしていますけれど、このときは陽関の曲に合わせて蘇軾の歌詞で歌われたのです。蘇軾が自ら琴を弾きながら歌ったのか、誰かが伴奏してくれたのか、はわかりませんが。きっと…弟とは次はいつ会えるのだろうか、という惜別の気持ちから陽関を選んだのでしょうね。
今に伝わる陽関はこのときの曲とは異なるようです。ぜひオリジナルのまま伝えて欲しかったですね。でもいまの陽関三疊も王維の歌詞で歌います。笛では吹きながら歌えませんが、古琴をつまびきながら唱うのはとても素敵です。動画を見つけましたのでこちらをどうぞ。