中国で救急車で運ばれた話 | イエティの常熟日記

イエティの常熟日記

江蘇省常熟市での駐在員生活を徒然なるままにお伝えするブログです。

8月初旬に日本へ一時帰国しようと決めてから

数日後のこと。

 

 

その日、朝から調子が悪く、軽い頭痛とめまい、

時々吐き気があり、車に乗って数十分の通勤が

無理そうだったので会社を休み自室に居ました。

 

食欲もなく、果物を食べて、やたらと水を飲んで

過ごしていたところ、夜の19時過ぎに急に

後頭部が割れるように痛くなりました。

 

少し寝ていれば治るか、と思っていたら痛みは

増すばかり。そのうち、口の中がなぜか苦く

なってきました。

 

後頭部の痛みも何か「苦い」という感覚と混じり

合って、非常に不可解な感覚です。

 

尋常ではない痛みに、「ヤバいかも・・・」と

思って総経理に電話するも出ず。

(運動していて電話に気が付かなかったそう)

 

中国人スタッフのWさんに電話するも出ず。

(しばらく経って折り返しの電話があった)

 

脈拍に合わせてズキン、ズキンと後頭部が

痛み、めまいと吐き気もしてきたので、

海外医療支援サービスのウェルビーにSOSの

電話をしました。

 

電話口の担当者は日本語で「自分で病院に行け

ますか?」と聞きましたが、とても無理だった

ので、常熟の担当者に連絡して、救急車を

呼んでもらいました。

 

動けるうちに自室のドアを開け放ち、スマホと

パスポートを用意してソファで横になりながら、

「脳梗塞やクモ膜下出血だったらどうしよう」と

悲観的な気分に・・・。

 

「死んだら総経理は後始末が大変だろうな」とか

「遺体搬送費ってどれくらいかかるのかな」とか

「下手に生き残って、半身麻痺とかで家族に迷惑

かけるのはイヤだな」とか。

 

私の実父は60代半ばで脳梗塞になり、その後の

17年間はリハビリと介護の日々でした。

 

その事が頭に浮かび、あの苦労を家族にさせる

なら、いっそ救急車を呼ばずにあの世に行く方が

良いかな、と超ネガティブな考えがぐるぐる頭を

駆け巡り、余計に頭が痛くなってきました。

 

やがて数名の救急隊員が、担架を持って

バタバタと部屋へ。

 

ソファでぐったりしている私に「别担心!

(心配するな!)」とリーダーらしき男性が

大きな声をかけてくれました。

 

「哪里疼?(どこが痛いか?)」

「头痛・・・后面(頭痛です・・・後側)」

「上担架!(担架に乗って!)」

「小心!(気を付けて!)」

 

「イー、アル、サン!(1、2、3!)」と

大きな掛け声で担架を持ち上げ、私を運ぶ救急

隊員。

 

(なんか「ER 緊急救命室」みたいだな・・・)と

ぼんやり思っていると視線の先に総経理の姿が

見えました。

 

救急車に乗せられて、足元の方を見ると、なぜか

総経理も付き添わされています。

 

私は指先にパルスオキシメーター、腕には

血圧計を巻かれ、気分が悪くて目を閉じていると

フッと意識が遠のく感じがしました。

 

後から聞いた話ですが、もともと搬送する予定の

病院から、私が急におとなしくなったので、緊急

事態と思ったのか、救急車は一番近い病院に

行き先を変更したそうです。

 

やがて救急隊員が私の体を叩きながら

「别睡觉!(寝るな!)」「开眼睛!(目を

開けて!)」と叫んでいる声が聞こえました。

 

救急隊員が私の左腕にゴムチューブを巻いて、

「打针!(注射するよ!)」と言ったので、

私は怖くなって「不要!(要らない!)」と

抵抗。

 

そうこうしているうちに、病院に到着し、数人分の

ベッドがある緊急処置室へ運ばれました。

 

そこから、ウェルビー手配の通訳さんと、病院に

来てくれたWさんのサポートのもとで血液検査、

CTスキャン、心電図を取りました。

 

血圧は病院到着時(約20時)に178/79、脈拍

140で自分史上最高値を更新。

 

普段は90~100/50~60、脈拍60くらいなので

びっくりです。

 

 

そして、一連の検査結果はどこも異常なし。

 

「じゃあ、なんでこんなに痛いの??」と聞くも

医師からは明確な答えはありませんでした。

 

結局処方されたのは頭痛薬「タイレノール」と

変な色のカプセルに入った薬でした。

 

 

2時間ぐらい休むと、薬が効いたのか徐々に

頭痛は沈静化。その間、総経理は親会社の

エライ方や私の家族に連絡をしていたそうです。

 

とにかくその緊急処置室は人の出入りが多く、

付き添いの人たちや医師、看護師などが大きな

声で話してるのでとてもうるさかったです。

 

隣のベッドの脇では、付き添ってきた家族が

軽食を広げて食べていました。(笑)

 

少し先のベッドでは、泣いている若い女性が。

Wさん曰く、大量のお酒と睡眠薬を飲んで

自殺を図ったけど助けられた人だそうです。

 

・・・カオスですね。私も痛みで唸って

いたので他人のことは言えませんが。

 

私は緊急処置室の照明の眩しさが辛く、目を

閉じてひたすら痛みが和らぐのを待つのみ。

 

医師からは後日、MRI検査をすることをお勧め

する、と言われたのでウェルビーの通訳さんに

蘇州明基医院の予約をしてもらうことになり

ました。

 

帰りは、Wさんが、旦那さんの運転で、私と

総経理をサービスアパートまで送ってくれ、

ゆっくり休んでくださいと言いました。

 

こうして私はその週は休みをとって安静にし、

3日後、蘇州明基医院でMRI検査を受けることに

なりました。

 

つづく。