マザーグース 飛田給
Export Clothing のマザーグースで扱っていたトレーニングシューズです。当時¥1000くらいです。
1971年頃です。 コンバースのジャックスターが出たりADSのオリンピアが気になったり従来のキャンバスシュ
ーズから転換していく頃の品です。 つくりはチープですがフレアパンツに合わせて重宝致しました。
後年よくアメリカで出てきた靴です。 かなり輸出されていたのではないでしょうか。
マザーグースではstripersというADSオリンピアの4本線版もあって面白かったですね。
丈夫な靴でした。 今行方不明ですが倉庫から見つかったら画像アップします。
1969年の月刊誌「 喫茶と経営 」の中で当時出てきた注目のバーガーショップ 「マクドナルド」特集が
あり、行列しているアメリカ人がオリンピアを履いていて気になって仕方がありませんでした。
(当時はオリンピアなんて名前知りません) 日本のメーカーでBob バスケットマスターと言うチャックの
そっくりさんがあって一部で人気がありましたが同時期にBobwolfProと言うネームでADSオリンピアの
コピーが出てビックリでした。今考えるとこの会社はなんだったのでしょう。良い感覚のブランドでしたけど
オリジナルの前ではやはりコンプレックス・・・
ホワイトLEVISピケのパンツ
LEVISカリフォルニアン#5200です。60年代なかばリーバイス極東支社の対アジア向けパンツで大好評の品でした。ホワイトリーバイとうたいながら人気は黒とカーキでした。外側巻き縫いの#606スタイルのスリムです。
デッドストック29インチ、店にありますので気になる方はご覧下さい。 当時国内では#911などは希少で限られた堀越商会卸の店以外ではありませんでした。後のリーバイス特約店になりますとデニムの#805、502 などが見られました。
国内ではIVY系の人が穿くという感じでアメリカンカジュアルとは程遠かったような記憶があります。その頃私たちはスタプレでしたし・・・1969年のWOODSTOCKコンサートに集った人々の中に長髪、ウェイファーラー、ボタンダウンシャツ、ピケパンにモカシン、ローファー、テニスシューズが多いこと、いわゆるIVYの学生たちが髪をのばしてヒッピー化していく途中ですね。この中途半端さの自然でよいこと。当時かなり影響されました。この後フレアーパンツの大ブームに・・・
ボートシューズ
チャックなどのバッシュー、ブルーラインJPなどに対してボートシューズと呼んでいました。
トップサイダーはまだポピュラーではなくkedsのサーファー、サーフライダー、Bataなどがメインでした。
テニスでしたがスキッドグリップも。
kedsはアメ横のハナカワが得意でテニスエースなどよい靴がありました。当時¥6800~と高価でしたけど。
これはskipper、東京は調布飛田給のマザーグースで扱っていたEX物です。(Export Clothing)
いわゆる基地のアメリカ人向けの品で完璧アメリカデザインで日本製と言う物。2年後くらいにSea&shoreと言うアンクルパッドの入ったボートシューも好評でした。
Sears、モンゴメリーなどのカタログに載ったものもあります。
¥500から¥800くらいのチープでよい靴です。ゴムは一体整型でチョッと劣等感ありですが・・・
このころはまだ関東村もありましたし・・・近々EX話も載せましょう。
元町森ブラザースのワゴンスニーカーもこことは違う輸出用でブルーライン、ランディ(これはアメリカ製もありますが)¥1200でとっても良いものでした。
ベンチャーなんて靴もあって。
1970年になって国内ではようやくアサヒサンデッキなどkedsコピーのスリッポン、ボートシューなど発売されます。¥980とか。後々ドリフ靴などと言われてしまうものです。