散文 | 芝居の感想日記

芝居の感想日記

わりとらんぼう思考。振り落とされたくなければ近寄らないで。

色々な感情がモヤモヤして、いつも以上にうすぼんやりな夜長です。


ひとに向けない言葉なら綴ってもいいのかな。


自分で書いて何度も読まなければ頭が整理できないって、どれだけばかなんだろうか。


間違えてきたことを繰り返さないようにちょっと注意しながらは書きます。




芝居をみるのがすきなんですけれど。


演劇に限らず、音楽でも、書籍でも、絵画でも。なにかに表すってことは自分を出す行為だと思っています。


それは作品を綴るひとだけでなくて、演劇だったら役者さんは演技として自分を出す訳です。


音楽も作曲や作詞のひとだけでなく、演奏者は演奏することで自分を出す。


そのひとが蓄積した自己の内からひねり出す。




たぶん出してないひとの表現に触れてしまったら、「脱げよ」って乱暴な気持ちになると思います。


それ意味あるの?って。


すごく個人的で偏った考え方なのかもしれませんが。


掘り下げるほどに興味があるのは、もしかしたら悪趣味なのかもしれません。


でも自分自身を欠片も出さない表現には本当に意味を見いだせません。


作りこんだ嘘にだって、そのひとが出ているはずだと思います。




すでに道に迷いつつありますが。この文章。




私は自分を出したいから、手段として演劇に興味があります。


これはもしかしたら、失礼な考え方なのかもしれません。


地元で、やりたいことへの道を探りながら実現しようと思っています。


協力を仰ぐための面談すらまだですけど。


思考ストリップには適性があるかもしれませんが、それだけでは成立しないので勉強しないといけないです。


ここ一年は観たいなと思った芝居を可能な限り観てきましたが、やりたいこととはやっぱりちょっと違っていました。


私が望むのは手段なので、たぶん正当って感じではないんだと思います。




でも脱ぎたいから脱ぐ方法を考えなくては。


頭の中でやりたい手順とか決まっていますが、たぶん実際やるのは面倒だろうなとも思います。


私の中のモヤモヤも、ぐちゃぐちゃも、全部客観と主観で詰め込んでぶん投げて、レスポンス。


自分勝手。乱暴かもしれない。




この初期衝動がどういう風に変わっていくのか、少し面白がる感じに自己暗示。


面談までにも少し練ろう。決戦は金曜日です。




寝ます。