プーチンはプリゴジンを、それならキンペーは…? | ★モラハラ妻★と裁判離婚する日まで~痩せたソクラテスのモノローグ~

★モラハラ妻★と裁判離婚する日まで~痩せたソクラテスのモノローグ~

6年前に妻が恐るべき「モラハラの本性」を現したのを機に、「性と性格の不一致」に当初から悩み苦しみ抜いた19年間の結婚生活に遂にピリオドを打つ決心をしてからの悪戦苦闘の日々の想いを、ゴール達成=「離婚成立」の瞬間まで可能な限り同時進行で綴って行きます…











それは、余りにも突然の訃報だった。










つい半年前に退任する(させられる?)まで「首相」を務め、アノ国の序列2位の立場にいた李克強氏が、今日(10月28日)未明に突然、「心臓発作」で急逝した、というのだ










かねてから、独裁者キンペーとの「確執」(権力闘争)が伝えられてきただけに、氏の訃報の第一報に接した瞬間、オレは想った…










『キンペーのヤツ、ヤりやがったな…』










キンペーの「盟友」であるプーチンが、自らに叛旗を翻したプリゴジン氏を「航空機事故」を装って「抹殺」した事件の記憶もまだ鮮明に残る中での衝撃的なニュースだ










無論、「証拠」など(仮にあったとしても)発見されるはずもないから、当局が「心臓発作」だと発表した死因の真相は永遠に「藪の中」だろう










ただ、ここで重要なのは、「あのキンペーなら(プーチンと同様のことでも)ヤりかねない」と思わせる「冷血独裁者」イメージが既に染み付いてることなのだ










振り返れば、1989年の『天安門事件』で、そもそも学生・若者たちのデモ隊が民主化を求めて天安門広場に集結したキッカケとなったのは、「改革派」の胡耀邦氏が、「保守派」との権力闘争に敗れて失脚後、間もなく「心筋梗塞」によって急死したことを悼む追悼集会だったのだ










胡耀邦氏の路線にも連なる「改革派」として民衆からも慕われていた李克強氏が、冷血独裁者キンペーに疎まれ、「首相」の座を追われてから僅か半年後に「心臓発作」で急死したことが、今後、「第二の天安門事件」のキッカケとなったとしても何ら不思議じゃない…










独裁者キンペーを始め、当局者たちは、今、最もそれを恐れているに違いなく、厳格な取締リをこれから一層強化するのは間違いない…










実は、事実上2人に1人が失業、とも言われる「不都合な真実」の当事者であり、体制に対する不満がフツフツと溜まりつつあると見られる学生・若者たちの今後の動向から目が離せなくなって来たようだ…