私的「いいセックス」の条件(2) | ★モラハラ妻★と裁判離婚する日まで~痩せたソクラテスのモノローグ~

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6年前に妻が恐るべき「モラハラの本性」を現したのを機に、「性と性格の不一致」に当初から悩み苦しみ抜いた19年間の結婚生活に遂にピリオドを打つ決心をしてからの悪戦苦闘の日々の想いを、ゴール達成=「離婚成立」の瞬間まで可能な限り同時進行で綴って行きます…

私的「いいセックス」のベースは、「あなたが気持ちいいと、わたしも気持ちいい」とお互いに思えることです。

「本気」ではない、「遊び」相手との間でも、この条件さえ満たされれば、「いいセックス」は十分に可能です。

いや、敢えて誤解を恐れずに言えば、「遊び」相手の場合は、基本的に、

既に「コンディション」の調整は万全に終えて、発射台で点火を今か今かと待っている状態なので、

「どうせなら一緒に気持ちよくなろう」というベクトル合わせは、いとも簡単に行われ、

高い確率で「いいセックス」に結び付けられる可能性さえあると思います。

「それって、愛のないセックスなんじゃないの?」と訊かれるかも知れませんが、それは偏見だと思います。

家庭内レスから、外で盛んに遊んでいた頃、遊ぶ度に、

「これが自分にとって生涯最後のセックスになるかも知れない」と自分に言い聞かせて、

どうせだったら相手も「いいセックスだった」と心から喜んでくれるようなセックスにしよう、と心に決め、

そのために一戦一戦(?)全力を傾けていました。

実際に思い通りに相手が素直に喜んでくれた瞬間のささやかな幸福感・充実感、

「生きてて良かった」という感覚(決して大袈裟ではなく)は忘れられません。

そこには、「愛」とまでは呼べなくとも、

お互いの間に、確かに、「温かい連帯感」、「同志の友情」のようなものが流れていました。

家庭内(今の妻との間)では、得ようと色々試みても、決して得られなかったものです。

(to be continued... )