夢のシックスティーズ 二日堂の妄想の日々-清正の井戸
 荷車曳き。この字を書くと、「午後の曳航」という三島由紀夫の小説があったのを思い出す。確か、母の情事(もちろん不倫に決まってる)を覗き見る少年が出てくるのだが、今回の話とは何の関係もない。

 要するにカバンに車輪と梶棒がついた、多くの場合婦女子ががらごろ街中を曳いて歩いている、あれである。飛行場では以前から乗務員が列をなしてあれを引っ張って歩いていたが、街中に登場したのは、そう昔の話ではない。

 何が気に入らないかといったら、邪魔なのである。ラッシュ時でなくても混雑する改札口の前を、あれを引きずって歩いていられたのでは迷惑この上ない。人の姿を見分けてかろうじてすり抜けようとしているのに、突然足元にがらごろが現れるのだから、突っかかりそうになったことは数知れず。踏んずけたり、蹴飛ばしたり、本当はぜひしたいのだが、かろうじてたたらを踏んでよけているのだ。

 それなのにまあ、自分の短い身体を横にしたっておっつかないぐらい後ろまでのばして、何を運んでいるのか。

 気に入らない理由の第二は、そのがらごろである。このごろでは長蛇の列ができることも珍しくないという清正の井戸がまだそれほど話題になっていない頃、明治神宮のお庭をこいつを曳いて歩いている中年の婦人がいたのだ。参道ではない、お庭の中、清正の井戸のあるあたりは、通常ならシンとしている。逍遥(逍遥だよ逍遥、そういう雰囲気のところでしょう)している人だって、それをあてにして木戸銭を払ってお庭に入っているのだ。

 そこに現れた、旅の途中で立ち寄ったのならまだ我慢のしようもあるというものだが、単に流行の格好をしてみましたという臭い芬々のおばさんが、恥ずかしげなそぶりもなく一人で静寂を破っているのだ。

 市の体育館で毎週開かれる合気道の稽古に参加している。道場に来ると子供たちは、特に初めての子供たちは、異常なぐらいよろこんで畳の上を走りまわり、転げまわる。どこの家でも、畳の部屋が少なくなっているのかもしれない。確かにこんなに広い畳の部屋は、普通の家にはない。

 父が一人になって一緒に住むようになった家の中でも畳の部屋は一部屋になってしまった。母が車椅子の生活になった時、大至急で畳の部屋を板の間にした。結局、寝たきり状態が続き、家の中を車椅子で動いたり、立って歩くことはほとんどないまま病院に戻り、そのまま家に帰ることはなかった。

 結婚して建てた小さな家の二階に畳の部屋があった。ハナミズキの見える北側の窓を開け、南側のベランダに面した戸をあけると、気持ちのいい風が通る。夏の幸せは、この畳の上に寝転び、風の流れを感じるひと時だった。本を読み、眠気がさせば目を閉じ、かすかな夏の風に身をまかせる。

 今も、疲れると一部屋残った畳の上に横たわる。ハナミズキはもちろんないし、風も通りぬけない。夏には窓のすぐそばの電柱で蝉がやかましい。しかし、ごろんと寝転んだ畳の固い感触が気持ちいい。

 結婚してすぐに建てた小さな二階家の北側の窓の下にハナミズキを植えた。ハナミズキの花は上から見るときれいだ。白に紫がかったピンクが混じった花は、毎年初夏に花を咲かせる。ハナミズキは、若葉の明るい緑、花、そして紅葉と三回楽しめる。見事なほどに真っ赤に紅葉した葉が秋には盛大に落ちる。狭い庭にとどまらず路地の向かいのアパートの縁の下にも落ち葉がたまる。

 燃えやすい落ち葉は火事のもとになると、真っ赤に紅葉した色のせいか、真顔で文句をつけたのがアパートの大家だった。ぼくより十歳ぐらい年上だったろうか、昔はきれいな人だったが、そのまま結婚もせずに、再び会った時は頬の垂れたおばあさんになっていた。このばあさんの言い条を真に受けたのか、父がこのハナミズキを切り倒してしまった。植えてから二十年ほど、ハナミズキは二階の屋根の高さになっていた。

 いつ頃だったか、子供が小学校に入って何年かしたころ、このハナミズキの枝に巣を作った鳥がいた。 名前は知らない。卵が三つぐらいだろうか。やがてヒナが孵った。毎日そっと二階の窓から気取られないように巣を覗いた。奇蹟のように小鳥たちは生き続けていた。しかし、三泊ぐらいだったか海水浴から戻ってみると巣にはヒナも親鳥もいなかった。ヒナの一羽は少し離れた庭の隅に落ちていた。

 その二階家にはもう住んでいない。ときどき、空気を通すために窓を開けに行く。北側の窓を開けると、ハナミズキを思い出す。もう何年もたつのに、ハナミズキの切り株を見ると胸が苦しくなる。