開花が遅れたせいか、青山墓地の桜は雨の後の今日(4月12日)もまだ見ごろ。

墓地の端を走る道は、桜が根を張り出していることもあって、たがいに道を譲り合ってやっと車が擦れ違える狭さ。そこに花を見上げてカメラを構えるおばさんたちが出て来るので、車は気づいて端によけてくれるまで待っている。車道に出てくるのはどちらかといえば年長の婦人たちで、若いほうは三脚持参、ちょっとのことでは動かない。

ここで好きなのは、外苑西通りから赤坂消防署に向かっていく坂道。その曲がり具合と勾配、桜の枝の張り出し方、遠景の高層ビル、青い空と雲、道を下りてくる車も加わって、何とも言えない風景が出来上がっている。逆に坂の途中から見た外苑西通り方向の街路の眺めも好きだ。忘れられない風景という感じがする。

どんな時の桜がいいかといえば、散るとき、桜吹雪。

もう何年も前、親戚の葬儀で黄金週間のさなか、青森県十和田市三本木に出かけた。生まれ故郷である。商店街の中央付近から桜並木の広い道が始まる。地元ではいささか大袈裟だが官庁街と呼んでいる。満開の桜が、それこそ息もできないぐらいに散り続けていた。アーケードのある商店街もそうなのだが、休日の官庁街には人影がない。ここでも過疎が進んでいる。沈黙が支配する明るい五月の日差しのなか桜の花びらが息苦しいぐらいの濃さで風に舞っている。この時ほど贅沢に桜を味わったことはない。

その何年かのち、弘前城にやはり黄金週間に出かけた。これは桜を見るためである。ところが、まだ一輪二輪咲いているだけ。根元には雪が残っていた。例年になく春が遅いという。岩木山神社では参道のわきに寄せた雪が背丈の高さになっていた。ままならない花である。

今年父が百歳になった。早々と去年の敬老の日に、総理大臣から賞状と銀杯が届いた。その年度に百歳を迎える人に、敬老の日にまとめて送るのだろう。他人事ながら、敬老の日より誕生日が後の人が、賞状は来たが誕生日前に亡くなってしまったらどうするのだろうと気になった。私の父など三月が誕生日なのだ。

幸い今も元気だし、誕生日には市長がお祝いに来た。父は近く(といっても車で一時間足らず)の老人向け施設にいるから、そちらに行ってくれるのでなければ来てもらう必要はないといったのだが、来てしまった。何度か顔を合わせたことはあるが、「こいつどこかであったことあるな」ぐらいの認識だろうから、特に話すこともない。お祝いをおいて、お茶を一杯飲んで帰って行った。

父の誕生日の祝いは、四月か五月、施設近くのホテルかうなぎ屋かそんなあたりに息子(私)、娘(私の妹)の家族が集まるのが定番だが、庭いじりが好きだった父のことだから緑の中がいいと妹が言い出して、今年は別所沼公園の野外ジンギスカンにした。百歳の年寄にジンギスカンはいかがなものかという気もしたのだが、やはり緑の中は気分が良かったのか、デザートにしようというときになってもまだ食べ続けようと箸を出していた。食欲に歯止めがない感じなのだ。長生きする人は良く食べるというのは、当たっているらしい。

問題は、百歳になっても当人は嬉しくも何ともないということなのだ。この頃は言わなくなったが、顔を合わせるたびに「なんでこんなに生きてしまったんだ。早く死にたい」と言っていた。そうだろうと思う。知っていた人はどんどんいなくなる。周りは大事にしてくれるが、だからと言って何があるというのでもない。

欲望がどんどん希薄になっているのではないか。食欲はあっても、おいしいものを食べたいとまで思っていないのではないか。もともとそれほど酒は飲まなかったが、まったく口にしなくても何も感じないようだ。巨人軍のファンで、子供のころはよく後楽園球場に連れて行ってもらったが、このごろではそもそもテレビも見ない。今ある安寧(それは安寧だろうか)だけが望みということか。ドロドロした欲望がなければ生きる喜びもないということだろうか。

床屋のおばさんに聞かれた。「趣味は何?ほら、魚釣りとかさ、あるでしょ」。昔なら、「読書と散歩」と即座に答えただろうが、このごろ週に1冊も読まない。目と鼻の先のスーパーも車で行く。眼鏡をかけ、車を運転するようになって、そういえば何かが変わった気がする。どっちも、50歳過ぎたあたりのことだ。

「スイカ」と、思いつくものもないので無責任に答えた。何しろのべつ幕なしにしゃべり続けるおばさんなので、答えずにいると何を言い出すかわからない。「えーっ、たいへんじゃない」。たいへんじゃないのだ。

苗を三本買ってきて植えただけ。植える周囲10平方センチの雑草を抜くのが手間だったぐらいだ。あとはほっておいても勝手に伸びて、ある日気が付くと直径1センチぐらいのかわいいスイカがなっている。藁を敷いて、日付をつけた棒を立てて待つだけ。40日ぐらいで食べごろになる。時々位置をずらしてやらないと、地面についているところの色づきが白っぽくなってダメになることがあるぐらいだ。

それと、カラス。

そろそろ食べごろと見に行くと、ぽっかり赤い穴があいていて中身がきれいになくなっている。スイカが好きな5歳の姪っ子が庭に座り込んでスプーンでくりぬいたのではないかと思うほどだ。はじめは何が起きたのかわけがわからなかったが、カラスの仕業だという。この日から、カラスはわが人生最大の敵となった。今年は、100円ショップで買ったザルのようなものを晩のうちにかぶせている。

 あと1週間で食べごろなのだ。