これもまた父のことである。

 保険会社から、生存確認の問い合わせがくる。市役所に行って、ハンコをもらって送り返す。

 駅前に市役所の出張所があるのだが、ここではハンコを捺してもらえない。

 これも妻が、行った。行く途中、駅前通りで転んだ。妻は癌が見つかってから13年になる。ここ3年は毎年入院、手術が続いていて、この1年は抗癌剤治療と副作用治療のために週に2、3回病院に通っている。体力も落ちているし、内臓のダメージも相当なものだろうと思う。骨も弱っていたのか、あとでわかったのだが、肋骨が折れていて肩の骨もひびが入っていた。よく市役所までたどり着いたものだ。

 その市役所で、またも代理人届を要求されたのだ。いくら元気とはいっても、父は97歳、いちいち市役所まで出掛けるにはリスクが大きい。妻は肋骨一本だったが、父なら何本になるか。当然、息子や妻や孫が出かけることになる。すると代理人届を出してくださいだ。まさか目の前で代理人届を書いて出すわけにもいかないから、いったん家に帰る。二度手間になる。

 いくら自分のこととはいえ、年寄り当人が市役所まで来るのが当たり前という考え方は、おかしいだろう。息子や孫がいればいいが、いなかったらどうなるか。わずかな保険金のために、決死の形相で市役所へ行かねばならぬ。途中で行き倒れる恐れもある。保険会社の思惑はその辺にあるのか、疑われても仕方がない。

 いずれにしても、年寄りだろうが何だろうが自分でやるのが当たり前という市役所システムはおかしい。親と子は世帯が別というなら別でいいが、同居している間柄でハンコ一つもらうのにいちいち代理人届を要求するほどの理由があるのか。おかげでこっちは、肋骨一本折っているのだ。

 

どうも耳が遠くなったのではないかとは前々から思ってはいた。97歳になる父のことである。入っている老人施設のスタッフから、最近、食事のときなど仲間との会話がないように見えるが、相手の話が聞こえないからではないかといわれ、本人は嫌がるだろうなと思いながらも、とりあえず紹介された耳鼻科に出かけた。妹にも声をかけた。97歳ともなると、寒いなかでかけるのも大変なのだ。

医者の診断は、補聴器が必要というほどではないというものだった。妹に言わせると、聞きたくない話になると聞こえないふりをするのよ、とにべもない。でもまあせっかく検査もしたことだし、片耳だけでも作ることにした。

問題はその後だ。請求書が来たので妻が銀行へ行ったのだが、これはゆうちょ銀行からでないと振込めないといわれて帰ってきた。請求書にゆうちょ銀行用の振込用紙が入っていたのは知っているが、ほかの銀行から振込めないなどということがあるのだろうか。聞いたところでは、支店番号がない(支店がわからない)ので振込めないという。調べたら、ゆうちょ銀行には振替口座というものがあって、それだと通常の銀行の場合の支店+口座番号という組み合わせがないようなのだ。埼玉の会社だから、埼玉りそなに口座があるだろうと、補聴器屋にすぐ電話したのだが、正月休みに入っている。

この後がまた気に入らない。年を越すのも嫌なので、妻が郵便局に出かけた。りそなの支店までは2、3分なのだが、郵便局までは10分以上かかる。その郵便局で、10万円以上の振込は窓口へ行けと言われ、窓口へ行くとあなたは工藤茂三(父である)さんではないですねと言われたという。当たり前だ。請求は父宛に来ていたのだ。関係を問われて息子の妻だと答えると、代理人届が必要だ、本人の保険証と、妻の身分証明書をもってきてくれないと振込めないという。法律で決まっていると言ったそうだ。

10万円にどういう根拠があるのか知らないが、どんな法律か教えてもらいたいものだ。それとも、ゆうちょ銀行では10万円を超える振込はそんなに珍しいのだろうか。

 ゆうちょ銀行に特に恨みはなかったのだが、この話を聞いたとき深く決心した。ゆうちょ銀行に口座は作らない、ゆうちょ銀行の口座に振込を指定する請求には応じない、ゆうちょ銀行の口座に振込を指定する業者とは取引をしない。先行きそんなに長くないし、この決心は貫徹できそうだ。

高校が赤坂にあったので、赤坂見附駅から学校まで一ツ木通りを通った。TBSの前あたりで、学生服の舟木一夫が何かの雑誌の撮影をしていたりした時代である。島倉千代子が阪神の藤本選手といっしょに歩いているのを見かけたこともある。彼女の訃報を聞いて、なんとなく思いだした。

朝のニュース番組で死の直前にレコーディングしたという「からたちの小径」を「喜多條忠という人が詞を書いている」と、リポーターが紹介しているのを聞いて笑ってしまった。この作品は、喜多條忠・南こうせつ作詞、南こうせつ作曲だという。二人の名前が並んでいなくても、喜多條があの大ヒット曲「神田川」の作詞者であることぐらい芸能リポーターなら思い出してほしかった。

喜多條と親しい作詞家の伊藤アキラさんにこの話をしたら、やはり大笑いしていた。喜多條忠といえば、かぐや姫の解散コンサートが開かれた神田・共立講堂の便所でおんおん泣いていたのを思い出す。男泣きの見本のような泣き方だった。

いずれにしても、もう、ずいぶん昔の話だ。