日々思うこと、感じること -10ページ目

日々思うこと、感じること

当初から少しずつ変化してきていますが…
自分の中に入ってきた情報を私なりに考えたり思ったりしたこと、また、消化しきれない気持ちなどを表現していきたいと思います。

私はほんとにどんくさい。

今の生活で一番わかりやすいのが料理をしているとき。
包丁で怪我するわ火傷するわ調味料がドバッと入るわ材料をぶちまけるわものは落とすわ…etc.
ネタになるぐらい。

それ以外の場面でもよく躓いたりぶつかったり、お金を払う時はすんごい前もって準備しとかないともたもたするし、お釣りをもらってそれを財布に入れて財布を鞄に入れるのも歩きながらスマートになんてできなくて、一人の場合は必ずどこかで立ち止まる。

数え上げたらほんとに切りがない。

そんなことだからほんとは運動神経もあまりよくはない。
特に俊敏な動きを要するものは。
多分、脚力は強いようなので、それなりに早く走って飛んでるので運動神経がいいように思われてたし、自分でもそんな気になってしまってる時期もあったが、決してそうではない。
典型的なのがバスケ。
ボールが動くのについて走ってボールと一緒に飛ぶから活躍してるように見えるらしいが、実際ボールを触ること自体少なかったし、いざ手にするとドリブルもできないしとりあえず誰かにパスすることを考える。


どんくささはこうやって自覚してるし、お金を払う時の様に、注意が必要な場面はある程度予想がつくので、前もって準備できることはするとか、細心の注意を払うとか、しているつもりだ。
ただ、全ての行動に細心の注意を払っていてはますます行動が遅くなるので、注意は払える範囲で払う。
しかしその隙間で失敗したり、注意をしているにも関わらず失敗することもある。


ちょっと「 」と近い部分もあるけど、受け入れるしかないかなぁ。
自分としては既にほぼ受け入れてて、失敗することが前提となってる場合も多いが…

昨日、講座の第2回目でした。


午前中は、里山に潜む危険とその対処法についての座学、午後からは竹を使ったクラフトでした。


里山を身近に感じるようになってきていましたが、午前の講義で改めて、その身近な中に危険がいっぱいだということを感じ、怖がってばかりでもダメですが、ちゃんとした知識を持って、下手に慣れて気を抜いてはいけないということを再認識しました。

と今思っても、またきっと慣れてしまう日が来るような気がするので、事あるごとに思い出せるようにしたいと思います。


午後からは、実際にやるまではあまり期待していなかったのですが、実際に作業をしてみるとなかなか思うようにいかなかったり、その中で、一緒に講座を受けている仲間とわいわい言いながら取り組むことがとても楽しかったです。

昔は、生活に必要な物を里山にあるものでうまく利用していた、ということにしても、ちょっとしたものを作るのにも一苦労したり、色んな活用法があることも知らなかったり、そもそも周りにある動植物の種類も区別がつかなかったり、私はやっぱり現代人だなぁと残念に思うとともに、もっとたくさんの人がもっと身近に里山をホームセンターとして(リーダーの言葉)利用できるような環境ができれば素敵だなと思いました。


山にいって気持ちいと思うだけでなく、やっぱり知識も必要だとつくづく感じました。


それに加え、クラフトでわいわいできたり、昼休み中に一緒に散策して少しお話ができたり、講座の仲間との距離も段々縮まってきました☆

保全くらぶの先輩方とは少し違って、「同期」みたいな仲間と、今後も色んなお話ができるのが楽しみです。





日々思うこと、感じること

時々、自分が「思っている」ことがわからなくなる時がある。
自分がほんとに心からそう感じているのか、それとも頭で考えて、こういう場合はこう思うべきだ、と思うことによるものか、がわからない。

例えば…
集団で歩いていて自分の近くの人が病気とか体調が悪いとかで遅れてきて、自分もそれに合わせている時。
大丈夫?とか無理しないでとか口では言ってるものの、それは本当に自分の言葉なのか自信がない。
「こういう時に、みんな待ってるんやからはよせ-よ、とか思うって、いけてない人の考えることやよなぁ。」というようなことが頭の中をよぎる。
その意見はどっかで例え話として聞いたことなのか、それとも自分が思ってるからそんな例えが出てくるのか…

似たような状況でも様々な場面が考えられるし、ちょっと今例が思いつかないが、全然違う場面でも、こんな風に、自分のほんとの気持ちってどれ?ということがよくある。

頭で「考える」、体や心で「感じる」。
こういう時はわかりやすいし、そういう時はそういう言葉を使っているんじゃないか。
「思う」、これが一番よく使う言葉だが、一番わかりにくい。

もちろん、人間は完璧ではないから、本心とは違っても、倫理的にこうすべきだ、と思って振る舞わなければならないこともあるとは思う。
ただ、それを自分自身の振る舞いと勘違いしてしまって、いい人の振りをしてしまっていることもあるような気がするし、そういう場合に逆の考えも浮かびやすいような気もする。
もしかしたら、どちらも本心なのかも知れない。
多分、本当のところは誰にもわからないのだろうけど。