前述の「悔しい 」の振れ幅が狭いのと同様に、「悔しい」の逆の意味での「嬉しい」の振れ幅も狭いのもあると思う。
父親も母親も、心から喜んだり楽しんだりしているところを、少なくとも私の記憶にある限り見たことがない。
それも関係するのかなぁとふと思ったりもしたが、なるべく問題は自分の内側から見つけた方がいい。
誉められた時も、素直に喜べない。
誉められ慣れてないからかと思ったけど、そうでもない。
子どもの頃は特に、それなりによく誉めてもらった。
でも多分、あまり嬉しくなかった。
自分が努力したことに対してじゃないからなのかとも考えてみた。
でもなんとなく少し違う。
ちょっと抽象的だけど、その誉められている対象と、自分が重なり合わない時、喜べないのかなぁ。
何かをもらった時も素直に喜べない。
それは欲しくない物だからなのか、単に照れてるだけなのか、正直自分でもわからない。
ただ、喜ぶより前に恐縮してしまうことが多いように思う。
例えちょっとしたようなものであっても。
これに関連して、本当はお礼を言うべきところで「すみません」と言ってしまうことも多い。
後から思い出したように「ありがとう」を言うこともあるが、どうしても「すみません」が強くなってしまう。
大概の場合、自分に置き換えてみても「ありがとう」と言われた方が嬉しいのはわかってるのに…
いつもいつも、そんなややこしい思考回路が瞬時に働いてる訳ではないとは思うが、自分が「嬉しい」ことによって、相手や他人に不快な思いをさせたり犠牲を払わせたりしてないか、自分は楽しみだけど相手は果たしてどうだろう、などと考えてる時があるように思う。
厄介な性質…
そんなことを考えるよりもっと素直に喜んでありがとうと言えるようになろう。
手放しで喜んでいる姿や、潔い「ありがとう」はとても気持ちよいから。