三度、トビリシへ(2) | パパ?のブログ

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しばしば記事を書くのを怠けてしまいますが、今は過去に乗った車、運転した車のことをメインに書いていきます。それぞれの車の良い点や悪い点も含めて紹介しています。イメージとはかけ離れた実態を持った車種もあるので、少しでも参考になれば幸いです。

長く楽しかった西アジア、東ヨーロッパの訪問もとうとう終わりが

近づいてきてしまいました。

私はこれまで30カ国近くの国々を訪問していますが、今回訪問した

3カ国は私の経験でもおすすめ度がかなり上位に位置する国です。

トルコは別として、ジョージアもアルメニアも日本にいると中々

なじみもなく、訪問の機会が少ない国ではありますが、今回運良く

機会を得て、訪れることができました。

 

現地をアテンドしてくださる方にも、運良く出会うことができ、

近い将来必ず同地でビジネスの拠点を設けたいと思います。

残りの滞在は今回、ジョージアの訪問地を選定、アサインして

してくださった方が、私を観光に連れて行ってくださいました。

どうもありがとうございます。

 

今日はトビリシの北部に位置する古都、ムツヘタに連れて行って

もらいました。

同地は紀元前4世紀から、紀元6世紀ごろまで現在のジョージア東部を

治めた「イベリア王国」の首都であり、ジョージア最古の教会も

この地にあります。

ムツヘタは紀元前302年から紀元530年頃まで首都が置かれ、

その歴史建造物群は世界遺産に登録されています。

トビリシからは車で2時間程度に位置しています。

 

今日も午前中に車で迎えに来て頂きました。

毎回どうもすみません。

 

このせっかく見慣れたトビリシの風景とも、もうすぐで

しばしのお別れです。

 

いつも遠くに見えるこの山々が、ジョージアの豊かな自然の

象徴となっています。

 

トビリシからクラ川に沿って北上していたら、こんな

水門のような施設を見ることができました。

この上流に川を分岐させて作った発電所があるようで、この施設は

そこから流れる水の流量を調節する施設であると思われます。

 

ムツヘタに向かう途中に、古くから伝わる修道院があるとのことで

そこにも連れて行ってもらいました。

 

標高がどんどん上がります。

 

遠くに見えてきました。

 

ジワリ修道院と言います。

4世紀に女性の伝道者がここを訪れ、祈りを捧げる為十字架を

建てたのが始まりと言われており、この修道院は586年から608年の

間に建築されたそうです。

この時代に、こんな不便な場所に修道院を建てたことに、

驚きを禁じ得ませんでした。

 

この丘(山?)からムツヘタが望めます。

 

美しさMAXです。

 

東京で生まれ育った僕は、こんな風景に憧れを持つのです。

 

湿度は低いですが、翠豊かな風景が広がります。

 

少し拡大してみましょう。

 

言葉を失う美しさです。

 

修復はしているでしょうし、石造りですがこんな1500年近くも

前の建築物が現存していること自体すごいことです。

もちろん日本にも負けず劣らず、長い歴史を刻んだものはたくさん

現存していますが。

 

修道院はこの丘の頂上にあるため、当然景色もより

素晴らしいものとなります。

 

私だけで訪問していたら、まずここに来ることはできませんでした。

 

修道院の横から、別角度で下を臨みます。

 

中にも入ってみましょう。

 

私は無宗教ですが、宗教施設というのはどこも厳かな気分に

なります。

 

外に出て、

 

こんなところから覗くムツヘタも美しいです。

 

ではジワリ修道院を出てムツヘタに向かいましょう。

 

丘の上で、ものすごい存在感です。

下からの見え方も計算して建築したかのように見えます。

 

道中にも美しい建築物が見えますね。

 

到着したようです。

 

世界遺産の称号に恥じぬ、美しい街並みです。

 

ジョージア最古の教会に向かって歩きます。

 

見えてきちゃいました。

 

ただ喉が渇いたので、先にワインのアイスクリームを頂きます。

キンズマラウリのアイスクリームでとても美味しかったです。

感想が子供っぽくてお恥ずかしい限りですが。

 

この地での一番の目玉は、前記のジョージア最古の教会。

スヴェスティツホヴェリ大聖堂です。

この地に4世紀ごろ、最初の木造教会が作られたようですが、

現存しているスヴェスティツホヴェリ大聖堂は、1010年から

1029年にかけて再建されたそうで、思っていたよりずっと

綺麗な建築物でした。

 

教会を背にしてみた街並みも美しいです。

 

大聖堂の敷地内に入ってきました。

広大な敷地に建築されております。

 

敷地面積のうち、建築されている部分は恐らく全体の10%程度だと

思われます。

 

ちょっと逆光になっていますが。。。

 

蝋燭を持って中に入りましょう。

買ってもらっちゃいました。

どうもすみません。

 

この蝋燭をそれぞれ、自分が気に入った場所に捧げて

祈りをします。

 

ジョージアの人たちは敬虔な人たちが多いので、みなさん

女性は髪を隠して教会に入場します。

以前書いたように、生理中の女性は入りません。

 

左奥の床で、一部白い四角が見えますが、この下には王様や

恐らく宗教家の方々が安置されておりますので、

踏んづけないように注意が必要です。

 

内部も美しく、荘厳です。

 

このように蝋燭を立てて、内部を巡ります。

 

お邪魔します。

 

美しい宗教画です。

 

この部分はこの大聖堂の中でも、建築以前に残っていた場所である

と思われます。

 

お邪魔しました。

 

昼過ぎになりましたので、河畔のレストランで昼食をとりましょう。

 

まずはコーヒーを頼んで。。。

 

ウィナーシュニッツェルとパンをいただきましょう。

本当はレモンが欲しかったけれど。

 

風景が良いので、トルコティーを頼んでしばしお話に耽ります。

大と小があって、大は下段のポットが二段重ねになるそうです。

上のお茶がなくなったら、下段のポットからお湯を注ぎ足して、

引き続き楽しむことができます。

 

お店を後にして。。。

 

何やらまたすごいところに連れて行ってもらえるそうです。

 

ちょっぴり道に迷いました。

 

こ。。。これは。。。

マリオを見つけてしまった。。。

 

道に迷っていますが、美しい風景の中ではそれもまた良しです。

 

しかしちょっともう無理なところまで入ってきてしまいました。

 

一旦戻ってやり直しです。

 

どうやら到着したようです。

 

ディドゴリ戦闘メモリアル。

 

ここがどんな所かと言いますと、ディドゴリの戦いの記念碑です。

 

西暦1121年8月12日、当時のグルジア王国とセルジュクトルコとの

戦いがここでされまして、セルジュクトルコの軍勢を

グルジア王国がここで食い止めたのだそうです。

 

この草が生い茂った美しい山上に、当時を偲ばせる剣の

モニュメントが刺さっている様に、私の頭の中では

「夏草や兵どもが夢の跡」という芭蕉の句が蘇りました。

この場合、ジョージアは芭蕉の句とは逆で勝者側でしたが。

 

この美しい光景に合わせせて、当時の戦いの様子を想像すると

自然の偉大さと人間の儚さ、哀れさを痛感しました。

 

こんなところに来られて、私は幸福です。

平和な日本という国に生まれたことに感謝の念を禁じ得ません。

 

ちなみに標高は約1600mでした。

 

そこから車で2~3分の所にはこんなオブジェが置かれていました。

 

こんな兵士も

まるでラピュタです。

 

なんだか感傷的になります。

 

こんな荒野にも人の息吹を感じることができます。

 

なかなか来ることができない貴重な体験をできました。

運転してトビリシに戻りましょう。

 

別れがたい美しい風景です。

もし私の記事を読んだ方が、今後これをきっかけにジョージアに

訪れることがあったら、それは私にとっても大変光栄です。

 

トビリシに戻ってきました。

丘の上のテレビ塔の横にある遊園地にちょっと立ち寄ります。

 

平日ですので、人は少なかったですが。

 

この人誰だっけ?

 

丘の横のベンチでお茶を飲みながら、美しいトビリシの街並みを

ずーっと見ていました。

 

陽も暮れてきましたので、ホテルに送ってもらいます。

 

滞在する期間に比例してトビリシをいう街を好きになります。

 

夕食はホテル近くの小さなカフェで、オーストリとパン

 

パスタと紅茶を食して今日を締めさせていただきました。

パスタは茹ですぎですが、料理の味自体はとても美味しかったです。

みなさん、是非ジョージアを訪問されてください。

日本との間で直行便が就航するくらいに。