紛争下のアルメニア(2) | パパ?のブログ

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しばしば記事を書くのを怠けてしまいますが、今は過去に乗った車、運転した車のことをメインに書いていきます。それぞれの車の良い点や悪い点も含めて紹介しています。イメージとはかけ離れた実態を持った車種もあるので、少しでも参考になれば幸いです。

前回の記事にコメントを頂いたので、まずは当時勃発した紛争に

ついて簡単に書こうかと思います。

 

アルメニアとアゼルバイジャンの間で発生する紛争は、

アゼルバイジャン西部のナゴルノ=カラバフという地域の帰属

(その地域に事実上存在したアルツァフ共和国の扱い)について

争われていました。

 

そもそもアゼルバイジャンの国土が不思議な形をしていまして、

アゼルバイジャン本土と、それよりも西方にあるナヒチェヴァン

自治共和国との間を、アルメニアの国土が通りアゼルバイジャンを

東西に分断しています。

 

これはソビエト時代に、連邦を構成する各共和国は四カ国以上と

国境を接していなくてはならないという規定があった為、

アルメニアを四カ国目としてイランとの国境を作る目的で、

強引にアゼルバイジャンの国土の間をアルメニア領としたことが

原因として、今のような国境になっているのだそうです。

 

ただアゼルバイジャン本土の一部とされたカラバフ地域は、

古くからアルメニア人とアゼルバイジャン人との間で、領土紛争の

場となっていたようで、特に中部の山岳地帯である、

ナゴルノ=カラバフ地域では、人口の大半をアルメニア人が占めて

いたことから、20世紀初頭には両国間の戦争にまで発展しました。

 

その後1920年末に両国はソビエト社会主義共和国連邦に編入され、

1921年7月に国境策定交渉で一度はナゴルノ=カラバフはアルメニアに

編入されることが確認されました。

しかしアゼルバイジャンの激しい反発により、たったの一日で

この確認は覆され、最終的には同地域のアルメニア人に自治権を

与えることで、アゼルバイジャンに帰属することになりました。

 

しかし当地のアルメニア人たちの不満は溜まりに溜まり、特に

ゴルバチョフ書記長下でのペレストロイカなど自由化政策の実行を

見たことで、同地のアルメニア編入を求める運動が始まります。

しかしそれをゴルバチョフが承認しなかったことで、同地では

アルメニア人の、アゼルバイジャン人に対する暴力事件の発生など、

騒乱状態となり大量のアゼルバイジャン人避難民も発生しました。

 

その後、両国に在住する互いの民族を強制的に住民交換するなど、

対立が一層高まります。この過程で1988年末までに、アルメニア側

から約20万人のアゼルバイジャン人と、イスラム教徒のクルド人が

追放されたとされています。

またその際に複数のアゼルバイジャン人に対する虐殺が発生するなど

悲しい事件も発生しました。

 

このような両者の対立はとうとう本格的な武力衝突に発展し、

1992年までに双方に約40,000人もの戦死者を出すまでの大規模な

ものとなりました。

テヘラン宣言など停戦交渉はなされますが、それにも拘らず

アルメニア側が侵攻するなど、混乱は続き最終的な停戦合意を

見たのは1994年5月。

更に和平交渉を持ちますが、和平合意には程遠い状態で昨年まで

武力衝突が頻発していました。

 

上記のように20世紀中のナゴルノ=カラバフにおける武力衝突は

アゼルバイジャンの被害がより甚大でありましたが、21世紀に

入ると情勢が変わってきます。

 

特に2020年の衝突では、トルコから供与されたドローンにより、

アルメニアも甚大な被害を被り、ナゴルノ=カラバフ地区の約4割を

失い、アゼルバイジャンの飛地であるナヒチェヴァン自治共和国と

アゼルバイジャン本土との補給路を確保を許します。

更にアルツァフ共和国のステパナケルトにいつでも砲撃やロケット

攻撃を加えられるシュシャ及びアグダム地区を確保されるなど、

ほぼ勝負ありの状態となりました。

 

これによりほぼ防御力を失ったアルツァフ共和国と、効果的な

支援をできなくなったアルメニアは対抗の術を持たず、

今回の紛争の早期終結につながりました。

 

この紛争の組織的な戦闘行為は、ほぼ2日で両者共ロシアの

停戦提案を受け入れ、旧アルツァフ共和国政府は現在も存続宣言を

してはいるものの、実態としては既に政府の機能はほぼ失われ、

2023年10月中旬に、アゼルバイジャンのイルハム・アリエル大統領

が同地域の各地を訪問し、ナゴルノ=カラバフ問題の解決宣言を

行っています。

 

今後、アルツァフメンバーによって、同地域で散発的な反政府行為が

起こされる可能性はありますが、一応の終結は見ています。

もちろんこれが良かったのか悪かったのかは分かりません。

私の訪問時にエレバン市内で行われていたデモは、どちらかというと

アゼルバイジャンに対してではなく、アゼルバイジャンによる

ナゴルノ=カラバフ支配を消極的ながら受け入れたパシニャン政権に

対しての抗議の面がより強かったです。

 

しかしエレバン在住の方からお聞きしましたが、おそらくその首相の

方針に消極的ながら理解を示している世論が、アルメニア国内でも

多数派であろうとのことで、デモ参加者はその少数派や

ナゴルノ=カラバフ地域にゆかりがある人である可能性が高い。

とのことで、現在は基本的にはアルメニアの情勢は落ち着いている

と言って良いと思います。

もちろん私が記事に書いた内容はこの対立の全てを反映できて

いませんし、立場の違いによって同意できない内容が含まれている

であろうことは理解していますが、概要を理解していただいて、

アルメニア訪問自体を躊躇されている方がいらっしゃるなら、

少なくともエレバンなどにおいては差し迫った危険はないであろう

ということをお伝えする為に書きました。

 

という訳で私が同地を訪れた二日目です。

当日は三社程度、ミネラルウォーターの会社を訪問し、商談の予定で

現地の方にアレンジしてもらっていました。

朝、少し早めにYandexでホテルを出発します。

 

車で待ち合わせ先である、オフィスに向かっていたら道路の

オーバーパスが突如として通行止めにされ、大渋滞にハマりました。

もしかしたらデモの一環だったのかも知れませんが、その部分を

しっかりと見れた訳ではないので、詳細は分かりません。

遠回りして、なんとか到着です。

 

少しエレバンの中心からは離れますが、一社目に向かいましょう。

 

思ったより大きな会社で、出荷の真っ只中でした。

 

早々に終わりまして、二社目に移動しましょう。

Yandexを待っています。

 

やはりトビリシに比べても少しなー

という感じです。

 

到着ですが、降ろされた場所がほんの少しOBでした。

 

ダイレクターの部屋で商談です。

あ、さっきはミーティングルームでした。

 

仕様やカスタマイズの可否などについて打ち合わせします。

 

一旦オフィスに戻って、午後の別会社に備えます。

 

あ。EQSが停まっています。

ベンツのEVって写真や映像で見るより実車の方が見れるデザインを

しているんですよね。まあ所詮EVですが。

 

エレバンも郊外になると丘の上になり、街を見下ろせます。

 

オペル・アストラはアルメニアの国民車ですね。

 

こんな建設現場を右手に見て、中心街に戻ります。

ところでですね、アルメニア人の話し方で気になったのが、

相槌を打つ際の「ahhan」とか「ummhunh」とかが非常に

強めなんですね。これを「アーハン!」とか「ンーフン!」とか、

すごく美人の若い女性が言うものですから、話していて段々と

妙な気持ちになってきました。

アルメニア人って顔は金髪の白人なのですが、体型が白人にしては

小柄でスキニーなので、日本人にもフィットするサイズなんです。

だから。。。

いえ、なんでもありません。どうもすみません。

 

オフィスに戻ってきましたが、もともと住宅であったところを

そのまま使用しているようでした。

 

相当広いフラットなので、エレバンであっても家賃は約30万円

だとのことでした。以前は超大豪邸のヴィラを借りたそうですが、

コロナで誰も来れずにもったいないので、ここに移ったのだとか。

 

ちなみに表通りから見るとかなり大きなビルなのですが、

裏側の入り口はこんな感じです。

ただ外からは想像できないくらい、綺麗な内装です。

 

近隣でランチに連れて行ってもらいました。

チキンのラップサンドだっけな?

大きかったけれど、美味しかったです。

そういえばこれとは別に、もう一つ違うメニューもご馳走に

なりました。

 

食後は三社目に向かいます。

 

おお!ここは昨日の昼食時に注文した水ではないですか。

おそらくここが一番大きな会社のようで、ペットのタイプは

空港の売店で一大勢力でした。

 

ガラスボトルの場合は、こんな形に次は変えることを検討している

そうでした。

この形のボトルであったらおしゃれで良いですね。

 

ありがとうございました。

ではこのお店を後にしてオフィスにまた戻りましょう。

 

Yandexを拾いやすいところまで歩いていたら、まさかの旧ソ連車の

ストレッチリムジンを見つけました。

どんな目的でこんなの作ったんだ???

 

S123だ。コンパクトベンツだ。。。

後ろの旧ソ連時代のアパートメントとのシナジー効果で、気分は

既に1980年代です。

 

これはなんでしょう。

新そうな建築物です。

 

あ、東風本田のe:NS1を見つけました。

これ、アルメニアで何台も見つけたんですよね。

エンブレムも東風本田です。もちろん繁体なので、「風」の中は

×と書いてありますが。

やはり中国から輸入された車が多いですね。

オフィスに戻って、少々話してから皆さんにお礼を言って

ホテルに戻りましょう。

 

そして夕方からは本日一日、アテンドしてくれた方々の会社の

オーナーと、役員(共に日本人)プラス現地在住の日本人

と飲みます。

 

アルメニアワインもなかなか美味しいものですね。

 

アルメニアの人たちも犬に優しいです。

全く逃げることはありません。

 

そして昨日ランチを採ったお店の並びで飲み直しです。

 

デモは私たちが飲んでいる店の横も通っていきます。

状況を聞いているだけに、酔っている私の心を複雑なものに

しました。

 

更にワインをいただきましょう。

 

これはラーマジューン。。。

ピザに近いです。

 

これは最高のチョイスでした。

かぼちゃの中にラムの肉などを入れてオーブンで焼いたものです。

 

皮を剥いてサーブしてくれます。

 

中に入っていたラム肉などは、一度取り出して別盛りです。

かぼちゃもホクホクで美味しいし、ラム肉も臭みがありません。

最高に満足しました。

お腹いっぱいになって、酔っ払いましたが、酔い覚ましで

歩いて帰りました。

約10分ですのでちょうど良かったです。

 

まさに紛争直下であった為、訪問を迷いましたが来て良かったです。

今回は2泊だけでしたが、次回はもっとじっくり滞在し、

アルメニアのワインや料理をもっと堪能したいです。

そしてエレバン以外のエリアにも訪れたいです。

みなさん、ありがとうございました!