紛争下のアルメニア(1) | パパ?のブログ

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しばしば記事を書くのを怠けてしまいますが、今は過去に乗った車、運転した車のことをメインに書いていきます。それぞれの車の良い点や悪い点も含めて紹介しています。イメージとはかけ離れた実態を持った車種もあるので、少しでも参考になれば幸いです。

今日は再びトビリシを後にして、アルメニアに出発します。

実はジョージアの様々な会社をアサインしてくださっていた方と

車で陸路で行こうという話になっていたのですが、彼から私に

アンタルヤに到着した日に連絡があり、曰く

 

「アゼルバイジャンとアルメニアの間で紛争が始まった。

 陸路の国境が封鎖される可能性があり、入国してからだと

 最悪出国ができなくなる可能性がある。そもそも僕自身も

 行かない方が良い。」

 

とのことでした。

正直渡航の是非についてかなり悩みましたが、ナゴルノ=カラバフの

経緯についてはかなり色々あるものの、少なくとも今回はアルメニア

側が被害者の面が強いことから、現地でのアポイントをアサイン

してくれていた人たちに対して、今回の紛争で行かないことが

あまりに気の毒である点。

そして基本的には紛争開始から二日後くらいには沈静化の目処が

立ったことから、空路で行くことにしました。

 

「最悪死ぬだけだし」と思って。

 

 

ホテルは今回宿泊したホテルはかなり狭く、しかも備え付けの

ヘアドライアーがない上に、貸し出しのものも在庫切れでした。

まあ2泊だけですので良いこととしましょう。

 

またBoltで空港まで向かいます。

安心安全のプリウスアルファです。

 

ヒルトンも建設中ですね。

僕は今はAccorがメインですが。

ただアルメニアはibisでさえかなり高かったので、今日から2泊は

ローカルのバジェットホテルです。

 

既に見慣れた風景を右手に空港まで進みます。

 

いつもの気球も健在です。

 

いつかはトビリシに住みたいものです。

 

山脈を見ながらずんずん進みます。

 

そして空港でチェックインしましょう。

アルメニアとアゼルバイジャンの間は車や鉄道でも行けますが、

空路は少なく、料金も高いです。

またチェックインバッグの購入もネットではできなかったので、

空港で別途購入ですが、これがまた高くて25000円くらいします。

 

チェックインをしてからイミグレを通って

 

今日はCOSTA COFFEEで出発を待ちましょう。

 

今回は沖留めのようです。

 

あれ?普通のトルコ航空も来てるんだ。

しかもA330で。こっちが良かったな。

 

空港バスはまだ古いものもあります。

これは昔のMANでしょうか。

 

僕の乗ったバスは古くありませんでした。

このFLYONEに乗って出発です。

 

席の指定を忘れたので真ん中でした。

でも左右には誰も来なかったので、むしろなぜここをアサイン

したのでしょうか?

ただ左右に誰もいない場合はセンターのシートが最も快適でした。

 

全般的にかなり空いていたので、問題ありませんでしたが、

基本LCCのシートピッチなので、もし満席だったらそこそこ

不快だと思います。

フライトタイムは短いので我慢できるでしょうが。

 

イランの航空会社を右に見て出発しましょう。

 

離陸です。

 

そして一瞬で到着します。

 

トビリシに比べてもかなりのどかな都市です。

 

これは旧ターミナルなのかな。

 

たまに旅行系のYoutuberがあげているWIZZエアーです。

トビリシには来ていなかったですが。

 

紛争下なので入国で何かあるかなと思いましたが、特に問題なく

入国できました。

ターミナル自体は大きくありませんが、新しくて綺麗です。

 

ただ困ったことにアルメニアではBoltが使えないのです。

アプリ自体は開いて、料金も出てくるのですが予約ができません。

Yandexを登録したいのですが、アルメニアで購入したSIMカード

では番号がなくてできません。。。

これは困った。

Boltで表示された金額を元に何人かの白タクと交渉して、

結局4倍くらいの料金でホテルまで連れて行ったもらいました。

 

4倍といっても2000円少々です。

2000円は少し高いなと思いますが、Boltで表示される500円は

逆に安すぎる気もしますし、どちらが本当なのか分からなくなって

きます。

 

空港を後にします。

 

アルメニアもジョージア同様、ワイン発祥の地とされていますので、

空港前にはこんな広告物もありました。

 

ジョージアに比べても産業の少なさを感じ取れます。

 

ちなみにこの国でタクシーや大衆車両で使われているのは

オペルアストラをLPG仕様に改造したものが多く使われていました。

 

こんなこじんまりとした教会を見つけました。

 

街が見えてみました。

 

なんだかこれは中国っぽいですね。

 

多少は高層ビルもあります。

 

これは何の建物でしょうか?

英語が通じないので質問不可能でした。。。

 

ワーゲンID.4が走っています。

これは中国生産車のようで、一汽大众のエンブレムがありました。

アルメニアはジョージアよりも中国の浸透が激しそうです。

 

ホテルに到着です。

街の中心に近く、便利な場所でした。

 

部屋は広くありませんが、充分に快適でした。

 

ちゃんとAmazon primeにログインして、夜にしっかりと

西部警察を視聴できるように準備します。

 

それでは街の散策に出ましょう。

 

ホテル前の路地を出た先は大通りです。

 

まずはランチに向かいましょう。

ホテルから10分ほど歩いた坂の上にお目当ての店を見つけました。

 

この通りにはいくつかおしゃれなお店があるようです。

 

このお店はオーストリア料理です。

 

まずは水とグレープジュース。。。だったかな?

 

サラダとグヤーシュ。それとパンです。

 

ちなみにこれはアルメニアのコインです。

なんだかゲーセンのコインのように見えますね。

 

ところでYandexが他国の電話番号でも登録できまして、

確か日本の番号で登録し、その後の移動は怖いものなしに

なりました。

 

というわけで食後はYandexで車を呼んで、歴史博物館に行きます。

 

エレバンも歴史を感じる綺麗な街です。

 

到着です。

が、車が近くで停められず少し離れたところで降りました。

 

非常におしゃれな街並みです。

 

ちなみにデモに備えて警官隊が警戒配備されていました。

 

博物館のエントランスは巨大です。

 

チケットを購入して入場です。

 

基本的には古代の展示が中心のようでした。

 

あ、ゴルビーをみっけ。

 

このようなタペストリーが多く展示されてました。

タペストリーというか、カーペットかな。

 

色々な柄や色調があります。

 

これの展示にかなりのスペースを割いていました。

 

これはカーペット製作のための道具ですね。

 

まだまだ終わりません。

 

少し食傷気味になってきました。

 

アルメニアでは4~5000年前から既にカーペットを織るという

文化が浸透していたようで、そのような歴史的な遺物が数々

発掘されているのだそうです。

 

道理でこれだけ推すわけです。

 

思えばアルメニアは8000年前からワインが生産され、

5000年前からカーペットを織っていたのですから、豊かな

歴史を持つ地と言えるわけです。

 

人類の歴史において、カーペットは古代オリエントから

始まったとみられているそうで、アルメニアもやはりオリエントの

文化に大きく影響されているのでしょう。

 

こちらは3~4世紀のガラス器です。

日本では奈良の正倉院にガラス器が納められていますが、

日本でも古墳時代には輸入品のガラス器が見られるように

なっていたようで、おそらくペルシアからの輸入品です。

当時、オリエント地域は時代の最先端であったのでしょう。

もちろん現在の中国も然りですが。

 

このような古代の土器のようなものも多くみられます。

 

どの地域もこのような文化を経て現代に至ります。

 

豊富な展示物を誇ります。

 

これが日本であれば稲なのでしょうが、この地域で描かれるものは

当然小麦です。

 

このような装飾品が作られているのも、どこも同じです。

 

土偶のようなものもあります。

 

交易が行われていたとはいえ、情報の即時性など皆無に等しい

この時代においても、各地で同じようなものが製造されていた

ことは非常に興味深いです。

 

いわばこの時代は必要に準じた、機能性を持たせた製造であり、

信仰も自然の畏怖の対象とする信仰だったのでしょう。

 

だいぶ近代的になってきました。

 

デザインも洗練されています。

 

しかし教えを伴う宗教がそろそろ興る時期ですので、

より新しいものにはそのような要素も加えられてくるものと

思われます。

 

昔はこのような荷車を牛に引かせていたのでしょう。

あ、これは死者を乗せる霊柩車です。

当時から死者に対する憐憫の気持ちを持っていたのでしょう。

 

これは戦士の防具だったかな。。。

違っていたらすみません。

 

展示物が膨大で少し疲れてきました。

もちろん台湾の故宮博物院には及びませんが。

 

金製の装飾品です。

 

流石に疲れてきましたね。

 

もちろん違うものですが、似たような展示品が続き

眠くなってきました。

 

朝早めに起きたのも、眠気の理由です。

 

でかい水瓶?

 

終わりのない迷路に迷い込んだような気分です。

 

綺麗ではありますが。

 

このように少し違ったものが出てくると目も覚めますが。

 

コインを見つけました。

 

最初の方は説明文を読んでいましたが、この頃には当然

そんな意欲も無くなっています。

 

あ、これは綺麗ですね。

 

夢遊病者のようにふらふら歩きます。

 

こういうは、しっかりと立ち止まってみますが。

 

写真に対してのコメントも尽きてきました。

 

あ、これは気に入った展示物でした。

織部のようでとても綺麗です。

 

この辺は再び焼き物が多く展示されます。

 

終わらねー

 

あ、これもきれいですね。

この辺になるとかなり近代的な様式となります。

 

何かの扉を横目に見て

 

再び進みます。

 

あ、ここは急激に新しくなり、確か17~18世紀の展示物です。

 

アルメニアは長くオスマントルコやペルシアに支配されていましたが

これはその時代のものなのでしょう。

 

19世紀末から20世紀初頭にかけては、アルメニア人は大虐殺に

遭うという困難な歴史を持っており、その際には多くの

アルメニア人が他国に逃げ延びています。

アメリカでアルメニア人がロビーストとして、一大勢力となって

いますが、これはその時期に多くのアルメニア人は

アメリカにも移り住んだためとされています。

 

そんな悲しい歴史を持つアルメニア。

今でも経緯については議論が分かれるところですが、私が

アルメニアを訪れたまさにこの時も、アゼルバイジャンとの間で

紛争が起こっていました。

 

私たちは今でも天皇陛下を私たちの象徴として戴き、曲がりなりにも

平和な国家としての体を保っている日本に生まれたことを

神様に感謝し、日本に貢献しなくてはなりません。

 

このような悲しいアルメニアの歴史に想いを馳せて、

博物館を後にします。

 

ホテルまでは歩いて戻れるので、途中でティータイムがてら

歩いて戻ります。

 

なぜかエレバンの街にはオーストリア風の店が多いですね。

メランジェを頂きます。

あ、このミルクのフォームが卵のメレンゲに似ていることで

メランジェと呼ばれるもので、日本人が昔喫茶店で飲んでいた

ウィンナーコーヒーの原型です。

小さな頃はウィンナーコーヒーの名を初めて聞いた時に、

コーヒーにソーセージが入っているのかと思い、恐怖したものです。

 

残念ながらザッハートルテではありません。

 

アルメニアはジョージアに比較しても、国が少々貧しく、

今でも旧ソ連の車を比較的頻繁に街中で見ることができます。

 

再びホテルまで歩いて戻りましょう。

 

その後、ホテルで休息を取ってから夕食に向かいます。

 

が、その前にせっかくだからモールに寄ってみましょう。

Yandexで車を呼んで向かいます。

 

そこそこ綺麗なモールですが

 

中のお店はあまり豊富ではありませんでした。

店内で食事をしようかとも思いましたが、ここという店も特になく

Googlemapを頼りの他に行きます。

歩いて10分ほどのところに悪くなさそうなお店があるようです。

 

あ、ちなみにガソリンは200円くらい。

トルコよりもほんの少し安いくらいです。

 

夜の街を歩きます。

中心街では今回の紛争に対して、デモがあるそうですが

この辺は平穏です。

 

この地下道を通って反対側に渡ります。

 

思いの外荒れていません。

 

というわけで注文しましょう。

 

大量のシーザーサラダに

 

でかいパンに入ったボルシチとマッシュドポテト

(サワークリーム添え)。。。

あとスプライト。

デカすぎて後悔しました。

当然完食は不可能です。

 

食べ過ぎで死にそうになりながらYandexを待ちます。

ここにも旧ソ連の車が。

 

それでは帰りましょう。

明朝は少々早いので、部屋に早々に戻り西部警察を視ながら

就寝です。

おやすみなさい。