劇団桟敷童子の恒例の番外公演。2本立て公演、5回目の再演。9月15日に行きました。


【あらすじ…HPより】
★『ぱぴよん -四畳半からの脱出-』
…スティーブ・マックイーンに勝手に捧げる… 
「ざぶりんこ、ざぶりんこ、馬鹿野郎、俺は生きてるぜ!
 怒涛の波しぶき…あたしゃ負けない、負けないよ、負けるもんか!!」
夫を交通事故で亡くし、引きこもりになってしまった主婦が、自分の創り出した幻の友達「ドガ」とともに引きこもっている四畳半を抜け出す葛藤を描く。
★『ぬらりひょん -向日葵のまぼろし- 』
…ある夏の夕暮れ…断片的、不連続な僕の追想、または妄想…
「僕はその夏、不純異性交遊に明け暮れていました…
あれは、僕の中に蠢く、何万匹のおたまじゃくし達が、いっせいに見た真昼の夢だったのかもしれない…
その夢をわかってくれていたのは、蝉と向日葵と、ぬらりひょんだけでした…」
ある罪を犯してしまった、主人公「僕」の過去と現在を行き交い、複雑な人間関係を通し、「僕」の心情を浮き彫りにしてゆく。


・一昨年の番外公演同様、2本立ての両作品が、ところどころでリンクしているのでありました。

●「ぱぴよん」
・洋画「パピヨン」が物語のキーワードとしてちょこちょこ登場する。
加えて、映画の中の小ネタ(出演者関係者ネタ)がぞろぞろ。なんともまあマニアックで(笑)、映画を見てからこの芝居を観ると、さらに楽しめたかもしれない…。

・ドガ(実は母親が扮装している)の助けを借りて、外へ飛び出そうとする潮子。やっと抜け出そうとして、思い出したのはあの光景…。夫が交通事故にあった時に同伴の女性の姿があったこと。実はその女性は…。

●「ぬらりひょん」
・劇中の台詞にもあった(「きみはぬらりひょん(みたい)だ」)と記憶してるけれど、劇中の少年たちを虜にしてしまいながらも、ひょいひょいとすり抜けてしまうヒロインの少女の姿をだぶらせているのだろう。

・劇中ではひまわりの花がたくさん咲いていたが、谷山浩子さんの『すずかけ通り三丁目』がBGMとして効果的に使われていた(ちなみに、スズカケソウも夏の花のようです http://hanazukan.hanashirabe.com/xs.php?fid=c1633 )。

・「ぱぴよん」での潮子の夫の車に同乗していた女性というのは、この「ぬらりひょん」を観ると、ヒロインの早苗であるとわかるのだが、
この早苗役を演じた、徳留香織さんがとても良かった!
劇中で見せる表情も豊かで、一見明るい清楚な女の子のように見えるけれど、
「ぱぴよん」の潮子の夫と不倫していたり、
この物語で、進吾や惣一を愛した末に、彼らを不幸な結末に追いやってしまうのだから、
実は、結構難しく且つ重責な役だと思うのだ。
徳留さんは、劇団に入ったばかりであるが、そんな早苗役を魅力的に演じていてとても印象に残った!
トゥルースシェルプロデュースの公演。いつも応援している劇団桟敷童子の もりちえ さんが出演。9月1日に行きました。

【あらすじ…HPより】
茫漠の21世紀。
震災後、記憶を無くした男と付き添う女。
復興の希望を背負い、遺伝子ドーピングに身を投じるオリンピックランナー。
そして戦後100年を目前に、希望を失くしたこの国でテロと対峙する民間軍事会社の男達。
人々の想いは錯綜し、魂は流浪する。遙かなる最果てに向かって…。


・物語に登場する3つの時代。
2016年【この年に再び震災が起きた設定】
2020年【新薬が開発された年という設定】
2045年【戦後100年】
この3つの時代の場面が、断片的に展開されだんだん繋がってゆく。

・世間の不安の中、復興を図るために開発された新薬。(遺伝子操作の作用により、極限状態で過度に興奮する=ある種のドーピング状態になる)。
最初は正しい使われ方を目的に作られた筈のものが、人々の思惑によりあらぬ方向へ向かっていく。
いつの世にも、不幸にしてそうなってしまうものがあるものだ…。
薬を服用していた人物から誕生した、ある青年と少女。2人はテロが頻発して政情不安になった日本を、生き抜いていく。先の見えない未来の中の希望の象徴のような2人であった。

・遺伝子をイメージしたCG映像と音楽がなかなか効果的だったと思いまする!
(テーマ曲がwebで聴けますね!http://soundcloud.com/nishimoto-kosuke/m-12-full-version

・出演者のみなさんは、自身の出番がなくても常に舞台袖に待機して、効果音を担当する。(器具等は使用せず、声や音だけで表現)
こういった原始的な表現方法と、前述のCGといった先端的な技術とのコントラストも印象に残った。

・もりちえさんは、今まで観た中でいちばん女性らしい役だった!
昨年の桟敷童子番外公演「杏仁豆腐のココロ」でも普通の女性を演じていたが、物語の展開上、気持ちの揺れ動きが激しく、結構ハードな役であった。
今回は、2016年の震災で記憶喪失になった男に付き添う女性の役。
一場面だけコミカルな場面もあるが(笑)、終始、物静かに淑やかに振る舞う女性で、もりさんの違った一面を見られた気がします…!
青年座の公演。8月25日に行きました。
いつも応援している尾身美詞さん・勝島乙江さんも出演。

【あらすじ…青年座HPより】
この世にはもっともっと広く、平和で、仲間の殺されない未知の国がある。
そんな思いを胸にトノサマ蛙の子ブンナは住みなれたお寺の境内にそびえ立つ椎の木に登ります。
やっとの思いでてっぺんまで這い上がったブンナ。
そこには、ブンナがもぐり込むことの出来る土のたまった空間があった。
太陽が輝き、風に草花がそよぎ、うまい虫までが飛んでいる。天国だ――!
しかし、そこは鳶の餌ぐらだったのです。次々と連れてこられる傷ついた雀、百舌、鼠、蛇たち。
彼等は「死」を前に壮絶な戦いを繰り広げる。天国から地獄に突き落とされたブンナ。
土の中で怯え、慄きつつ、なを生きることを考える。
季節は秋から冬へ、そして長い長い冬眠――。
春がやってきた。
眠りから覚めたブンナは鼠から生まれ出てきた虫たちを食べ、仲間が住むお寺の庭へと降りて行くのでした。


・私はこの作品を観るのは今回が初めてだが、青年座としては5回目の再演だそうです(パンフレットでは『第5次』と表現)。
今回は、できるだけ動物の本来の動きを取り入れた演出になっていました。衣装もそれぞれの動物に近い格好でした。
舞台も傾斜のついた回り舞台(役者さんが動かしてました)を中心としたシンプルなものでした。
パンフレットの歴代のスチール写真(すべての代の写真がありました)を見ると、
第4次の時は人間に近い衣装で宇宙をイメージしてるようにも見えましたし、第3次の写真ではどこか“アジア(特にどこの国と限定せず)的”な衣装という風にもみえました。

・鳶の餌ぐらに連れてこられた動物たち。
各々の台詞を聞いていると、【責任転嫁する・ご都合主義・欲望ギラギラ】といった人間のいろいろな姿にもダブって見える。
ちなみに鳶の役…というのはなく、大きな円形の鏡が天井から下りてきて、舞台上の動物(獲物)を捉えることで、“鳶の目”を表現。

・舞台の始まりから特徴的な音楽が!イメージはクラシカルかつ、前衛的?
終演後の交流会で聞いたところでは、
民族音楽“ケチャ”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%81%E3%83%A3) 
をイメージしてつくったとか。音楽にもグッと惹き込まれてしまった。

・終演後には、出演者の皆様との交流会があった(実は後援会会員でございます)。
尾身さんをはじめとする出演者の方々にもご挨拶できた。
また、相席であった会員の方とお話しさせて頂いたところ、前回の第4次『ブンナ』とはだいぶ演出が変わっていたようで、まるで違っていて面白かったとおっしゃっていた。


今まで、自分も同じ作品を、全く別の演出で観ることが数回あった。

★「鹿鳴館」【劇団新派/劇団四季】
新派は言葉の響きや高貴な美しさを重視した演出。
四季は大仰な台詞回しでメロドラマ性を強調した演出。

★「天保十二年のシェイクスピア」【いのうえひでのり版/蜷川幸雄版/椿組花園神社野外劇版】
いのうえ版は音楽いっぱいなところが新感線風であった。
蜷川版は、1970年代の井上ひさし作品にみられた“猥雑”な部分が強調された感じ。
椿版は、作品の中にあるアングラな部分が引き出され、まるで野外劇用に書かれたように生き生きとしていた。

演出の方法ひとつで いろんな風に感じ方が変わるのは面白い。
今後、新しい演出で『ブンナ』を上演することがあったら、またまた観に行ってみようと思いまする。
パルコ劇場にて。8月18日に行きました。

【概要…PARCO劇場HPより】
舞台は元禄十六年。
大坂では近松門左衛門が実際の心中事件を元に書いた『曽根崎心中』が大ヒット。その舞台となった天神の森は悲恋の末に心中を遂げようとする男女の心中のメッカとなっていた。
その森の入り口にある饅頭屋の夫婦と心中にやってくる男女の物語を三谷幸喜が書き下ろします。


・三谷作品としても、文楽作品としても、初めて観に行った。
パンフレットによれば、
「判り易い言葉で、テンポよく」
ということを心がけて執筆されたそうです。
言葉数も多く、文楽の脚本としては分厚くなってしまったそうで、本来のテンポで上演すると4~5時間分だそうだ(!)
(今回のパンフは、解説やインタビューの入った冊子と、脚本の2冊セットになっていました)
三谷さんが手がけているからか、演出はどこか演劇的で、回想的な場面で照明の当て方を変えていたり、カーテンコールには人形遣いの方・大夫さん・三味線の方が出てきてご挨拶…!

・文楽の人形は、動きも滑らかで、一瞬だがホントに魂をもって動いているように見えた。
言葉は(パンフに脚本がセットになっていたくらいだから)能楽の謡のように聴き取りにくいのかなあ…と思ったら、全くそのようなことはなく聴き取り易くなっていた(三谷さんはそのへんにも気を配っていたようです)

【始まりから中盤までのあらすじ】
饅頭屋、心中にやってくる男女を相手に商売を始める。妻を彼らの相談相手に仕立てて、相談に乗りながら饅頭も売って、商売は大当たり!
しかし、近松が『心中天網島』を発表すると、今度は網島で、同じような商売をする天ぷら屋が出現!だんだん饅頭屋は商売が傾いてゆく(舞台上のお店も傾いていた(笑))。
どんな様子か探らせようと、娘・おふくを偵察に…しかし、おふくは天ぷら屋の息子と恋におち…。
商売あがったりだ!と近松に直談判に行く饅頭屋。「曾根崎心中の続編を書いてくれ!」
にべもなく断られるものの…それでも「なにかいい心中のネタを考えたら書いてもいい!」と…。
娘が天ぷらやの息子と恋に落ちたショックで、夫婦は自分たちが(饅頭屋経営破たんで)心中する物語を思いつくが…。

・心中を決意し、娘に気付かれぬようにそっと店を出発する夫妻。
笑って別れよう…と2人で決意するものの、娘のことを想い、笑いながら(=泣きながら)心中に向かう夫婦の姿にウルッときてしまった。
でも、哀しい結末にはならなかったので、ほっとした(というか笑える結末です…)。


なかなか文楽というものに触れる機会がなかったので、現代的な特別な演出になっているとはいえ、今回、とてもいいキッカケができた!
今度は国立劇場での正統派(?)の文楽にも行ってみようと思う。
椿組の夏恒例の花園神社野外劇。7月21日に行きました。


【あらすじ…シアターガイドHP・公演データより】
昭和。少し前の地方都市。廃線路の引込み線の奥、懐かしい野原が残り、取り残された僅かばかりの土地にバラックを建て、はみだす様に生きている4姉妹とその家族、男達。
そこに暮らす奇妙な人々。ある者は「むこう」を目指し、ある者は「そこに」止どまり、愛憎入り乱れての葛藤がある。立ち退きを迫られる中、事件は起こる・・・・。
だが、子供達の遊び声だけは絶える事無く・・・・
「さよなら、あたしの少女時代、さよなら、あたしの街、さよなら、いくつもの思い出たち…… さよなら、いとしいものたち……」
さよなら20世紀・・・21世紀はすぐそこだ・・・・。


・劇中では、細かな場所や舞台背景は明言されないが、台詞から察すると、本来は北朝鮮帰還事業(1958年~1980年頃)が行われていたころの関西のある町の物語なのではないだろうか。
また、隻腕の男性や、足の不自由な女性(どちらも戦争によるもの?)が登場するので、帰還事業が始まって間もないころの話だと思われる。
ただ、劇中では「地上の楽園」「向こう」というふうにぼかして台詞として現しているので、観た人のそれぞれの比喩や解釈で鑑賞することができる。

・自分が思い描いた未来には、ならないかもしれない。世間も。自分自身も。改めて、全て受け止める決意をした(タイムカプセル的に埋めた宝物を燃やして)碧さん。男の子のようにヤンチャに生きていた子供の自分(幼いミドリ)と対話する場面も印象に残った。

・辻親八さんのオカマのリリーちゃんのインパクトが凄すぎて(笑)、しばらくはそれが頭
をぐるぐるしました…あのような役で登場するとは思わなかったので(笑)。

・ミドリ役を演じた青木恵さん。劇中では本当にミドリ少年(というのか…?)のようにその時代を生きていた。
調べてみると、まだ文学座の研究所の研修生だという。上手すぎ!

・ラスト、舞台奥が開かれると、ひまわり畑!(座席の位置によってはその前から見えていたようですが)
トロッコ用の線路もあり、桟敷童子の池下重大さんも客演していたので『オバケの太陽』を思い出してしまった(^^;)
ジェットラグプロデュースの公演。
ツイッタやmixiでやりとりさせて頂き、いつも応援している鈴木歩己さんが出演。7月15日に行きました。

【概要…ジェットラグHPより】
廃墟となった倉庫に、俺たちは“再び”“集まった”(リ・メンバー)
理由なんかどうでもいい。ただ懐かしい仲間の顔を見たかっただけだ。
そして、“思い出す”(リメンバー)うやむやにしたままだったいくつかの過去を。
あの時は照れくさくて言えなかったけど、今なら言えるような気がする。
ずっといっしょにいたかった―と。


・物語の展開する時系列の構成が、通常の作品と違いすこしヒネっていておもしろかった(でも、混乱することはなかったです)。

・今年初めに観に行った、ブラジル「イエスタデイ」のブラジリィー・アン・山田さんの脚本。
今回は前半がコメディー色が強く、後半がサスペンスタッチであった。
旦那が愛人と密会している間に、帰ってくるはずのない妻が帰ってきて、バレナイように愛人を隠すために慌てふためく様子が、かなりドタバタ調で、思わず前述の「イエスタデイ」でのコントすれすれな描写を思い出してしまった(笑)。
後半のシリアスな展開とは、180度とは言わないまでも150度ぐらい(笑)違ってましたが、返って後半の展開が引き立ったように思います。

・ラスト近く…詐欺団のマドンナ的存在の 愛美 に思いを寄せる メンバーの 小山 がラストで愛美に撃たれるシーン…ガラスが砕ける音で表現されていたのが印象的。
実際に殺されたわけでなく、小山の心の中を表現したもの…??

・もともとこの作品は、昨年3月に上演が予定されていたもの。実は初日が3月11日だった。
しかし、その日に起きた東日本大震災で結果的に全公演が中止になったのだった。(自分も3月12日に行く予定であったが、急遽出勤になって行けなくなってしまったのであった。)
今回は、昨年集まっていたスタッフ・出演者がほぼ全て再結集(リメンバー)して、創り上げられた公演だそうで、(詳しいことはわかりませんが)物語も昨年上演予定だったときのものとは、若干変更があったようです。

携帯カメラに残っていた昨年の公演チラシ写真と、今回のチラシを比べてみる…、昨年のチラシ左上にあった『空を蹴破る、大きな靴』が、今年のチラシでは無くなっている!
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去年

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今年

昨年版では、“再会したメンバーたちの、楽しい余韻を妨げるもの”があったのだろうか…あのプロゴルファー&女優夫妻が悪役だったとか…!(←想像です(笑)))

【携帯写真だと分かりにくいので、ジェットラグのHPの告知ページには(昨年版チラシ・今回公演版チラシの)大きな写真があります。】
http://www.jetlag.jp/news/news.html
創立30周年の南河内万歳一座の公演。6月30日。

【あらすじ】
とある旅行会社。営業所員たちとお客が言い争いをしている。
そんな中、兄弟のような?先輩後輩のような?2人の男や、往年の名女優と呼ばれる女が、それぞれに店を訪ねてくる。いつしか営業所員もお客も、彼らと同じように、地元であるはずの夕陽ケ丘を彷徨い始めて…。


・会場で『南河内万歳一座 30歳』という記念冊子を購入。
創立メンバーの座談会、劇団の歴史。唐十郎さんや渡辺えりさんの寄稿など盛りだくさんの内容。

・開演前のBGMが、全編『スターボー』(80年代に“宇宙から来たアイドル”という設定でひっそりと話題になった(笑)3人組)の楽曲で、どんだけマニアックなんだ!とおもいました。
こんなのに気付いたお客さんは、ほとんどいないのではなかろか(笑)。

・劇中には30年目を迎えた劇団(万歳を投影している?)の役者や、演劇コンクールをめざす高校の演劇部員(古典派vs青春派)が登場して、或る意味 演劇の現在の姿を自虐的に言っていたのが面白かった。

・旅行会社に集う人々と並行して描かれる、2人の男や往年の名女優。黒っぽい格好でカラスのよう(劇中でもカラス云々の台詞あり)。
やがて、彼らは街を彷徨い始める。しかし夕陽ケ丘は、なにもない場所になっていた。入ってしまったら抜け出せない場所になっていた…。
家で調べてみると、カラスは昔から“夕暮れ”や“帰り着く者”の象徴とされていたようだ。
そんなカラスさえも迷ってしまう「夕陽ケ丘」は、閉塞した現代や人々の心の中を表したものなのかな??
熱海五郎一座の公演。6月24日。

【あらすじ…WOWOW番組HPより】
古典落語の名人・三遊亭円高(ラサール石井)が高座の最中に、急に声がおかしくなる事件が起きる。
落語にうとい鬼塚刑事(春風亭昇太)が捜査を開始。円高のライバルである桂飯丸(三宅裕司)の弟子、桂五穀米(小倉久寛)に疑いがかかるが…。
一方、円高の息子・三遊亭円安(東貴博)は、恋人の千恵里(林あさ美)に影響されて、舞台上で派手な演出をほどこす“ネオ落語”を広めようともくろんでいた。


・毎回の名物になってしまった(笑)東MAXさんの“開演五分前諸注意前説”、今回は公演時にちょうど「AKB総選挙」があったためか、キタナイAKBみたいな格好で出てきました(笑)。

・出演者本人のプライベートネタや持ちネタを織り交ぜつつ、笑いのツボの押さえどころも王道的な感じで、いつもながら安心して観ていられますです。

・東MAXさんの今回の役名は三遊亭円安…もちろん“安”は奥様のお名前から拝借(笑)。

・渡辺正行さん演じるアリナミンジさんが経営する、アリナ製薬のテーマ音楽が ♪タケダタケダタケダ~ 風だった。ネタ元が判りやすい…(笑)。

・昇太師匠は落語に疎い刑事役のはずなのに、異様にザブトンに執着していました(笑)。

・最後は、渡辺・東・小倉・ラサール・三宅(…たしかこの順番です)がリレーで落語を披露。
…これを見ていて思ったのだが、
『公演の題材となったものを、物語のラスト近くで出演者の皆さんが大々的に披露』
という流れやメッセージ性を含むストーリーが、なんだかいつものSET本体の公演とダブってしまって気になった。
伊東四朗さんが出るとき…つまり伊東四朗一座のときは、こういった印象は受けないし、もっとシンプルに“笑い”の面を強調していたように思うのだが…。
劇団青年座の公演。6月17日に行きました。

【あらすじ…青年座HPより】
舞台は現代、ロンドンのアパート。酒とクスリに依存している母・マーサ、
高校を中退した兄・ヘンリー、全寮制の学校に通う妹・ミア、
家族を捨て、今はお金を送るだけの存在の父・ヒュー
ミアが学校で事件を起こした。イジィと共に下級生アリスにクスリを大量に飲ませ、意識を失わせたという。学校から連絡があった父が久しぶりに家に戻ってくる。
距離もココロも離れた家族。それぞれが見せる「その顔」とは…


・原作は2007年にロンドンで当時19歳の女性が書いた脚本。
父親は海外に単身赴任し、表向きには裕福そうな家庭。しかし、実際にはかなり荒んでいて…。

下級生に薬物を飲ませる描写や、母親と息子の近親相姦的関係など、老舗の劇団では今までなら取り上げないようなショッキングな題材で驚いた。

今年になって、このような歪んだ家族関係を描いた芝居を期せずして観ることが多く、これも“時代”なのか…と考えてしまう。
一見、過激な中にも「人間同士の依存」とか
「心の軋み(心のどこかで誰かに助けを求めている)」といったものが、逆説的に浮かんできた。

・(先日観た「南部高速道路」の黒沢あすかさんとは逆に、)映像作品では、健気で優しい女性の役が多いイメージの那須佐代子さんが、酒に溺れ息子を近親相姦的に溺愛する母親を演じていて、新たな一面を見た。
TRASHMASTERSの中津留章仁さんによるユニット
「中津留章仁Lovers」の公演。
ツイッタをきっかけに、やりとりさせて頂いている山本亘さんが出演。
6月30日に行きました。

【あらすじ】
健康食品の店を経営している愛甲家。
実は、長男は叔父を殺し服役中。
家族たちはそれを極力引きずらずに、今日まで暮らしてきた。
そんな中、長男の妻が愛甲家に引っ越してくることになった。
しかしそれをきっかけに、少しずつ少しずつ家族の歯車が軋みはじめ…やがて…。


・久々の2時間超のお芝居。夜勤明けで且つ、当日は昼にも観劇してきたので「寝ちゃわないかな…」と不安でしたが、心配ご無用でした。
登場人物それぞれがそれぞれの事情を抱え、
しかもその当事者なりの事情があり、
どれもみんな妙に説得力があった(ストーカー的な、長女の元彼さえも)。人物の細部設定がしっかり作られているからかもしれない。
許されない恋をする者同士が逢引きしているところを、別の人物が偶然見てしまう…という普通ならワザとらしいシチュエーションも、細部の作りこみがちゃんとしていたのであまり気にならなかった。

・前にも書いた気がするのだが、ここのところ見る芝居は、荒んだ家族関係を描いたものが結構多い。
この物語も最後には、次男は殺され 思い寄せる従妹は泣き狂い、父は 2人の交際を認めなかった自分を責め…長女はそれを見て更に酒に溺れ…という、悲劇的な結末で…。

お芝居というのは、世の中の写し鏡なのだろうか?と考えてしまう。

この作品のストーリー上、愛甲家は“殺人事件を起こした人物がいる家”という負の要素が、まず、ある。
今を生きる現実世界も“負の要素”が付いてしまうと、それが周りに広がれば広がるほど、それを跳ね除けて生きていくのは、難しい。それに起源するイメージに囚われた眼でしか人から見てもらえず、もがき苦しむ。

芝居そのものは大変観応えがあったのです。
が、それと同時に、時間が経つにつれて、このお芝居と同じぐらい悲劇的なニュースばかりが伝えられるようになってしまった世の中に、やりきれない思いがした。

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終演後、山本さんからお声をかけて頂き、芝居を観始めたいきさつや、今回の作品のことなどじっくりお話をさせて頂くことができました。
ありがとうございました。