相変わらず、ゆっくりとした更新で、まるで、日本政府の災害対策みたいだ...
→半年に1回から3ヶ月に1回だから、これを政府発表するとしたら
 更新頻度が2倍という「そこじゃねぇだろ」的な公報するんだろうな...

今住んでいるマンションの1階エレベータ前(エントランス?)の
天井にある点検口で水漏れが発生している。
かなり前から発生していて、色々、調査もしているらしいが、
原因不明のまま水漏れが続いているらしい。

その件で4月末頃に
居住区内に立ち入って検査させて欲しい旨の連絡が
管理事務所からあった。
→水漏れの件は、去年からの話で、本当に水漏れし出したのが
 何時からなのかは、誰も判らない。
 「雨も降っていないのに、水が落ちてくる」という住民苦情が出て
 結構な期間があった後、
 管理人が点検口の中から落ちてきてるんかな?的な状況把握動作を経た後
 業者依頼しての、居住区内の点検依頼...
 災害対策や危機管理/意識の低さは、日本の体質なのかと思ってしまう。

玄関近くの給湯機器周り(居住区内)や、水周りを見せて欲しい
という事で、それ以外の立ち入りや、点検行為以外はしません。
また、長くて15分程度です。との事だったので、
渋々承諾し、点検に立ち会った。

業者らしき人2名が
マンションの管理事務をしている人と(計3名)やってきて、
何やら点検/調査を始め、色々会話している。
→そもそも、何の観点で、何の調査をしているのかの説明もないし
 居住区内にある給湯タンクが設置されている一角
 (玄関入ってすぐのところに2畳くらいの
 大きな電気温水器が設置されているスペースがあって
 その近辺に集中して配管が通っている。)
 を懐中電灯で照らしながら闇雲に
 水漏れや浸水している箇所がないか探している。

特に水漏れをしているようなところは見当たらず
トイレや、風呂を覗かせて欲しいような発言があったので
当方の怒りメータが瞬間振り切った。

疑問や納得できないところが噴出して
言いたい事が山ほど出て
どう纏めていいのか混乱する程だ。

当方の疑問を整理すると以下になる。

・そもそも、何の観点で何を調べてるの?

・仮に、水漏れや、浸水している箇所が見つかったとして
 それが、1階の水漏れと、どのような因果関係になるの?

・仮に、水漏れや、浸水している箇所が見つかったとして
 それは、この居住区で発生しているのか、
 どこかから伝え漏れしているのか、
 濡れている壁見て判るのか?

・トイレや、風呂は、個室状態で、その配管は、床の下で
 個室内から目視で判るようなものではないのに、
 何故、見る必要があるのか?

・そもそも、考えられる原因の考察はしているのか?

で、これ以外にも細々と沢山の疑問を
出来うる限り大人しく理路整然と説明しながら
ぶつけてみた。

案の定、何だかなぁ的回答のオンパレード。
→どうでもいいですが、
 「オンパレード」って死語だったんですね....(^^;)

生産性のない押し問答みたいなのが続き
当方の居住区内からは、特に水漏れに繋がるようなものは
目視できなかったのもあって、
訪問者は帰っていった。

その後、この件で音沙汰が無かったのだが
6月の3週末or4週末に、再度検査したい旨の
チラシが投函されていた。

チラシには、
「水漏れの原因不明につき、再調査したいので
6月の3週末or4週末のどちらが都合いいかを
管理者ポストに投函して欲しい」
という旨の内容が記載されていた。

また、前回みたいに、無神経に居住区内に立ち入って
懐中電灯持って見るだけなら、
協力する価値ないなぁ...と思い、
返答は投函しなかった。

そうしたら、6月末頃に、
「再調査に応じてくれている居住者もいるのに
返答いただけてないので、都合の良い日を連絡してください」
という旨の封書がドアポストに投函されていた。

そこで、
「都合のよい日を連絡しなかった事は申し訳なかった。
しかし、再調査する事前提の選択肢回答の強要は納得できない。
そもそも、再調査とは何をするのか?
その調査で何が判るのか?前回とは何が異なる調査なのか?
もし、前回と同様の調査をすると仮定した場合、
前回何も異常が見つからなかったのに、
今回何か異常が見つかる可能性があるのか?
更に仮定して、前回異常無し⇒今回異常ありだった場合、
前回以前から発生している水漏れの原因が、
その調査結果とどのように結びつくのか?
それ以前に、水漏れしている水量の測定とかしたのか?
協力は全面的にするつもりだが、
生産性の無い物事に対して、
意味無く居住区内に立ち入らせる意思は無い。」
という旨を便箋2枚に纏めて回答したが、

その後、1週間経過した今
何の音沙汰も無い。

当方は、配管や建築のプロではないので
的を得た推測ではないが、

仮にマンション全体の大きさが
30m X 30m X 30m だったとすると、
27000立方メートル

この大きさの空気の水分含有量が、0.01%だったとして
27000立方メートル X 0.01% = 2.7立方メートル
大きめの浴槽くらいの水分量になる。
仮にこれが全て結露したとすると
個室内(住民が気づく側)の結露は取り除かれるだろうが
それ以外は放置されたままとなる。

また、築年数も結構経っているマンションなので、
いくつかの部屋から発生する水蒸気が換気側から漏れるなども
ありえるだろうし、

原因が常に1つである保障はない。

安直に見て回って、目視できる箇所に
運よく配水管のひび割れが見つかるようにも思えないが...
(目視できない壁の中、床下にも配管は通っているから)


「結論」
神の啓示宜しく物事全てが目の前に現れるなんて、
あり得ない。
現象をただ繰り返し見つめていても
答えなんて出てこない。
直接原因、間接要因、
直接原因を引き起こしている真因。
本質に辿り着かないと、解決なんてしないのは
科学的な事だって、恋愛だって同じ。

ドラえもんが現れて
秘密道具を貸してくれたら
解決するのかもしれないなぁ...

ふと思う...
秘密道具満載の四次元ポケットと
四次元ポケットの無いドラえもん
どちらがいい?って訊かれた時
「四次元ポケット」って答える人は金品に飢えていて
「ドラえもん」って答える人は心が飢えているのかな...

久しぶりのブログ更新だ。なんか半年に1回みたいになってきている。

→もう少し、頻度を上げたいなぁ


つい最近、とあるところで、お勘定の際に、客が「おあいそ」という言葉を使うと

店側に対して「お愛想をせんかい」という意味になるという

何だか、悲しい色眼鏡で物事を見ているんではないか?

という出来事があった。


インターネット上に流れる情報も、

相変わらず誰かの受け売りなのかどうか知らないが

その系統の書き込みや、情報発信が多いように思う。


「お勘定」=「お愛想」の語源は、

雅な頃、京が日本の中心であった頃の発祥で


「勘定書を見ると客が愛想を尽かす」ところから

→多分、洒落な(当時のブラックジョークかな)の京文化がベースで


「勘定書」や「勘定する事」を、

「お愛想する」とかの表現になったところが発端であると

自分は理解している。


なので、客が「おあいそして」というと、単純に

「清算してください」の意味となり

それ以外の他意は出ないように理解している。



自分は、京都出身でもなければ

京都に特別縁が深い訳でもないので

京言葉を完全に理解しているわけではないが


京では

借用物を返却する際、

「それ返すとき、おあいそ入れといて」みたいな使い方で

お礼の金品を、借用物に忍ばせ返却したりする事で

感謝を表す事もあるそうだ。



「目には目を、歯には歯を」を、"やられたらやり返せ"的な誤解釈

→「相手の目を傷つけたらなら、自分の目をもって、

 歯を傷つけたなら、己が歯をもって償いなさい」という戒めの言葉が本来の意味


「助長する」を、”手助けする”的な誤解釈

→本来は、「成長するためによかれと思ってした事が、逆効果となり殺してしまう」という意味


と同じ臭いがする。


しかし、言葉は変化していくもので

万人(大多数)が、その意味で使い出すと、本来の意味の効力を失うのが世の常。


「シャリ」「アガリ」を客が使うのが、寒いなどと曰ふ輩も多いが、

そういう輩に限って、よく使う言葉に見受けられる

「フォローする」、「ボケ」、「ツッコミ」、「オチ」、「寒い」なんかは

本来、業界用語のような・・・おお寒。

→「多すぎ」を「大杉」、はぁ?って思う。

 敬語や丁寧語を使えとは言わないが・・・

「ネット文化」らしいが、精度の悪いIMEの誤変換が発端で

 それでも文化と言えるのか?と思うが

 まぁ、それもありなんだろう。



下名が使う「曰ふ」も本来は、尊敬語なのに、

今では、ちょっと相手を下に見たり

からかうような時に使う言葉に成り下がっている。


「輩」も、本来は、同類・同じ人という意味で、決して悪い表現ではない。


だけど今や、「曰ふ輩」や「輩」という表現をすると

文句を垂れる人とか、うっとぉしい人とか、

内心消えてくれと願う人みたいな使われ方をする。


ちょっと齧ったり、雑学を仕入れたら

「本来の意味はなぁ」とか、「判ってねぇんだよなぁ」いう輩も多いが


そんな事は、百も承知で、現在使われている意味に従って

その言葉を使っている輩も多いんではないかなって思う。


「『おあいそ』って言ってるよ。バカじゃね。」なんていう

関東人や、関東かぶれしている関西人の方が

よっぽど、通ぶってるバカのような気がする。


今、現代社会を支えている人たちは、90歳以下で

且つ、飲み屋に行く人って、年配でも80歳台後半が限界だと思う。


その言葉って、少なくとも数百年の歴史があるんじゃないのかな...


正しい意味って、何処が基準なの?


普段ノ生活ニヲイテ、本来アルベキ

送リガナヲ、カタカナニスベキナノカ?


自分にとって都合のいいとこだけ、正しい日本語っていうのも何だかなぁ...


今の小学校って、

「続き」は、「つずき」らしいし

「鼻血」は、「はなじ」らしい...

→「づ/ず」→「ず」に統一、「ぢ/じ」→「じ」に統一らしい


「こうあるべきだ」より、

「こんな事や、あんな事もありでいいんじゃない」の方が

生きてて楽しいんじゃないかな...


今時、「拙者」なんて言わんでしょ。

→現代の一般生活において使用すると、「ふざけてんのか!」ってならないか?



そういえば、性同一性障害で苦しみ夫婦になった家庭に、

体外受精で子供が出来たけど、

その親を、親として認めないというニュースが最近あったような...


法律で、男女の転換を認め、夫婦として成り立っているのに

親としては認めないなんて、なんだかなぁと思う。

認めないんだったら、最初から男女の転換そのものを否定すべきだし、

否定しないんだったら、ちゃんと認めてあげるべきだと思うけど...


「結論」

自分の知っている意味や範疇で、

相手がその言葉を使っているとは限らない。

使っている単語の揚げ足を取ったり

自分の知っている意味だけで、

その言葉を受け取る事に、意味は無い。

だけど、相手がどのような受け取り方をするのかには

注意が必要だし、相手が不愉快に感じる事を知ったのに

ごり押しするのは、話す側/聞く側のどちら側であっても悲しい事だと思う。


市民権を得た言葉には、そのまま、市民権を与えてあげてほしい。


久々(6ヶ月ぶり)の書き込み。諸事情があったにせよブログとしての

更新頻度は非常に低いな...と自分でも感じるが、

ま、自分なりのブログなので・・・


今年の6月後半頃から韓国語を独学で勉強している。


勉強のきっかけは、非常に些細な事からだったのだが、

今では、すっかり、韓国語の勉強にはまってしまっている。

また、TV地上波で放送される韓国ドラマや情報番組も

よく見るようになった。


TV東京の「イラっとくる韓国語講座」も、その1つで、

毎週視聴しているのだが、

先日の放送で、次長課長河本氏の発言に、

「ん!?」と感じる(イラっとくる)場面があった。


それは、番組に協力している韓国人コーディネータのキムさんに、

「金 氏(キム シ)」と話しかけた時

「韓国では、名字+씨(氏)で呼ぶことは一般的にしない」旨を

説明されているのに、

「○○さんの意味で、使っています・・・」云々の言い訳をして

「キム シ」で通そうとする場面で、

その後も、ずっと「キム シ」で通している。

→ちなみに、韓国において名字+씨(氏)で呼ぶ事はしないですし、しない方がいいです。

 씨(氏)は、「さん」の意味ではなく、自分が上の立場である事、もしくは、下の立場にはなりえない事を

 相手に知らしめるような意味合いを持ったりします。


基本的に、番組では日本語で話しているし

打ち解けてきているのだったら、

「형(ヒョン)」で呼ぶとかすればいいのにと思う。

→「형(ヒョン)」は、弟がお兄さんを呼ぶ時の表現ですが、

 血縁関係になくても、相手に敬意と親しみを込めたり、慕う場合にも使います。

 日本でいう"兄貴"とか、"先輩"とかのニュアンスに近いです。


 日本人の言語感覚で、日本語の文章を組み立てたものを、

 そのまま単語変換しただけでは、韓国単語を使った日本語であって

 韓国語ではないんですが、

 コーディネータのキムさんは、日本語を理解しているから

 次長課長河本氏の言い回しを、許容しているんだと思います。

 韓国では、相手への呼び方は非常にデリケートな問題がある為、

 呼び方によっては喧嘩になったり、相手を憤慨させたりするようです。


今、韓国語の勉強をしているが、韓国語の勉強を進めていく内に

日本語の言葉の意味や表現についても、再認識させられている。


言葉は文化であり、その表現方法も含め、1つ1つに意味を持つ。


昔、上級生に対し「○○くん」と呼んでいたのを

親に「さん」付けで呼ぶように注意された事があった。


その当時、上級生には「くん」付け、女子には「さん」付け

同級生や下級生は、呼び捨てか、あだ名で呼ぶのを

常識と思い込んでいた当方は、その注意の意味が理解できなかった。


くん付けは、目下に対してつけるものと親から説明され、

学校で、女子には「さん付け」、男子には「くん付け」で呼ぶように

指導されていた事が重なって、

不当に(女子から)目下扱いされるのが納得いかず、

その注意以後、随分、釈然としない毎日だったのを今も覚えている。

→注意されるまでは、何とも思っておらず、自然だったのに

 「くん付け」は、目上から目下、いわゆる上から目線ってやつだと

 説明され、その意味を持った瞬間から、心情が変化するから

 言葉の意味つけって重要だと思う。


今でも、学校教育の現場では、女子さん、男子くんなのだろうが

言葉の意味からいくと、

女子が上司で、男子が部下の関係となる。


まぁ、各児童・学生には、目下・目上の感覚は無いだろうし

対等もしくは自分より相手が下と思って話しているだろうし

昔からの慣習もあるから、特には問題ないと思うが、


仮に、呼び捨ては対等を表すが、くん付けは目下扱いを表す

(くん付けは見下していて、呼び捨てだと同等と思っている)という

言葉の意味付けを行った後で、

くん付けを強要したら、くん付けで呼ばれる方は、

呼ばれる度にフラストレーションやストレスが溜まっていき

次第に、呼び捨てにしてくれって言い出すような気もする。



「結論」

自分は、こういう意味で使いますと言って意味付けするのは

詭弁を弄しているだけである。

本来的には、相手の意味付けを尊重して、相手の意味付けに

合わせるのが礼儀のように思う。

また、折につけ、意味付けについて考え、意味付けの認識を合わせる事も

必要なのではないかとも思う。


今、勉強の目標として、映画・ドラマ・テレビ・ラジオの韓国語が

正しく聞き取れて、意味が理解できる事を目指している。

それが出来るようになってきたら、

韓国語検定4級から順に6級まで目指したいな・・・(^-^A;)