悠釣亭のつぶやき -2878ページ目

自由と勝手気儘

戦後教育は戦前の悪弊を断つという意味から大きく変化した。

それはそれで意味があったが、一方で、荒廃も生んだ。

倫理教育の荒廃については別途書くとして、今回は自由について

書いてみたい。


自由(Liberty、Freedom)はもともとは奴隷制や人権侵害からの

開放の意味を持っていたろう。

このような高尚な意味合いは北鮮等の一部の国々では大きな

意味を持つだろう。この意味での自由は人間の生きる権利を

確保するという事から、当然、獲得し死守すべきものであろうが、

生きる危険がなくなった社会では、自由の意味合いが「束縛からの

自由」へと変化していると思う。


自由とはその後ろにある責任と一体になって初めて意味を持つ。

責任の無い自由を勝手気儘という。

自分のしたいことを勝手気儘にやって良いというのが、日本の

戦後教育ではなかったか?と私は疑っている。

世の中や他人の迷惑になる事をするのはは自由ではないはずだ。

そこにはルール(法律、規制、道徳、慣例、躾等)があり、その範囲で

初めて自由が許されるのではないのか?

これを履き違えた人間のいかに多い事か!


性の乱れ、軽犯罪の横行、ネット上の様々な問題、喫煙の問題、

ゴミの問題、乗車ルールの問題等々、犯罪からいわゆる迷惑行為に

至るまで、嫌な話が世の中にあふれている。

私の良く行く磯でさえも喫煙の問題、ゴミ問題が目に余る。

多少の事には目をつぶるべきなのかも知れないが、このままで

放置すればどんどん住みにくい世の中になるように思われる。

そろそろ強権を発動しても良い頃ではないのか?


よく見ると、意外に若い人には少なく、30歳代後半から40歳代の

人間にこの傾向が強いようだ。何故?

やはり教育に帰せざるを得ないように思う。

早く対応しないと、この世代が親になったときの事を考えると

寒々しい気分になる。

一方、最近は良い方向への揺り戻しがあるのかな?若年層の行動は

割と良くなっているようにも思う。

それなら暫く様子を見ていても良いのかも知れないのだが・・・。


家庭教育が低調な今、教育のかなりの部分を学校教育に負わざるを

得ないと思う。

倫理教育、徳育をまず強化すべきだと思うが、自由についての教育も

改善すべきではないか?

自由の教育はルール教育と一体であるべきだというのが私の結論である。