我慢
「それは我慢の子であった」なんてセリフがあったが(古っ!)、
最近の世相を見ると、我慢と言う言葉自体が死語化してきている
ように思える。
そりゃぁそうだわなぁ、欲しいものは何でもあり、親にねだれば
すべて手に入る。そんな世の中で我慢なんていう感情が起こる
訳がない。
人よりちょっとでも良い暮らしをさせたいという親心もあろうしね。
その結果として、ちょっとでも不満があるとブチ切れる輩の、何と
多い事か!
良い歳になって、自分の生活を自分が見なければならない世代の
犯行が多いのも、その表れと思える。
欲しいものは何としても欲しい。今までは親にねだれたが、それも
出来なくなった。暴力でも盗みでも騙りでも何でもして手に入れたい。
普通なら、欲しいものがあっても、自分の努力の範囲でなければ、
我慢すると言うのが正常な感覚だろう。
仕事の不満、世間付き合いの不満を、関係のない他人に向けるのも
我慢の足りないせいであろう。
犯行の動機を聞いて思うのは「なんて身勝手な!」と言う事。
自分を抑える感情を持ち合わせていないとしか思えない。
器にあった生き方が全く身に付いていないとしか思えない。
今の世の中、子供時代に我慢を教えるにはどうすればよいのか?
それは「与えすぎない」に尽きると思う。
ちょっと足りないものしか与えない。欲しければ自分で努力する。
この感覚を身につけさせないと、将来とんでもないことをしでかす
可能性が残る。
「何不自由なく育ててきた」=「我慢の感覚を教えなかった」と自覚
すべきである。
ハングリー精神こそ飛躍の糧である。
もう一つのやり方は「集団生活の中に入れる」ということ。
部活や同好会の中では自然に我慢を強いられる。
自分が好きでやり始めたものなら、飛び出すのと我慢するのとの
狭間で悩むはずである。
あっけなく止めて飛び出してしまうのを、激励し督励して我慢を教え
るべきである。
「あ、そう、止めたら」では我侭を助長するだけであろう。
中学生くらいまでの少年期には親の権威でもって、上記2項は
強制できるはずだ。勝手気侭な育て方をしたら、本人は勿論、
親も大きなツケを背負う事になる。