日本人考__貧乏根性 | 悠釣亭のつぶやき

日本人考__貧乏根性

あまり書きたくないテーマなんだが、あれこれと思う事もあり。
昔は「赤貧洗うが如し」というような極貧の人ってのが結構な数
居たように思う。
今は、ホームレスとかネットカフェ住人とかが居るようだが、
チャンと働けば毎日の食事に事欠く人は少ない。


だけれど、心が貧しくなってるような気がする。
貧すりゃ鈍するという言い方があるが、おカネが無いから心も
寂しくなるというのは昔の日本人にはあまり無かった感情の
ように感じる。

例えば着るもの。
ツギが当たってても清潔な物なら良しとした日本人は消費の
波に飲まれて、今や、ツギの当たった服を着る人はほぼ皆無。
靴下の穴を繕う人もいない。

♪ボロは来てても心の錦♪なんて歌があるが、貧乏人は貧乏人
らしく、工夫を凝らして楽しく生きていたと思う。
昔の人は、貧乏でも心は豊かだったような気がする。


昨今、毎日のようにポイント上げます、ポイント10倍の日などの
宣伝が来る。
僅かばかりのポイントを貰ったら得した気になるんかな?

特売日には人が群がり、遅い時間の割引にも人が多い。
ま、おカネに余裕がない人の工夫と言えば言えなくはないが、
そんなに多くの人が日々の食べ物に困っているとは思えないが。

極めつけは、マイナポイント。
ホントに便利な物なら、何万ポイントも付けなくても作るでしょ。
ポイントに釣られて、不要な物を作ろうとする気が知れんのだが、
多くの日本人がポイントや割引に心惹かれるようになった。


国民の実質所得が何年も上がらないと嘆くが、上がらないなら
上がらないなりの生活をすればよいだけの話だと思う。
もちろん経済が活性化して、皆んながより楽しく生きられるに
越したことはないし、そういう施策は大いに推進すべきだとは思う。
また、貧富の格差が拡大するのを善しとするものでもない。

カネは有ればそれに越したことはないんだろう。
が、カネが無いなら工夫して楽しい暮らしをすればよいと思うだけ。
中古の一冊の本があれば1日が楽しくなるはずだし、散歩を
すれば季節の移り変わりが楽しめるし健康にも良い。
一本の苗があれば少なくとも1年は楽しめるし、釣りを覚えれば
何年も美味しい魚が楽しめるんだ。

おカネのある人が旅行を楽しんだり、高い外車に乗ったり、
高級レストランに足を運ぶのをやっかんでも仕方ないが、おカネも
ないのにそういう事をするのは見栄でしか無いし、それが出来ない
から貧困というのは違うだろ。
身の丈以上の暮らしをしながらも、自分が不幸だっていうのは
オカシイでしょという事。


この50年で、生活コストが何倍にもなったように思う。
その分便利になったし、健康的にもなったんだが。
国家レベルで見ても、社会福祉や国防に掛かる費用が急拡大
している。
それはそれで必要だし、賄うために働くしかない。

しかし、GDPを上げる事に血道をあげる時代は去ったのでは
ないのか?
これからはもっとGDW(Gross Domestic Well-being)の方に
注力すべき時代じゃないのかな。


生活を豊かにするのはカネを稼ぐのに汲々とするだけではなく、
心を豊かにする工夫を凝らすことも必要なんじゃなかろうか。
カネだけがすべての世の中は心を貧しくし、却って、貧乏根性を
育ててしまうように感じる。
もちろん、人それぞれの価値観に沿えば良いんだが、カネの量が
少ないからといって貧乏根性に陥る事は無いと思う。


Ref.
日本人考__たかりの精神
https://ameblo.jp/yct/entry-12532996772.html
日本人考--人心
https://ameblo.jp/yct/entry-11907092543.html