核廃絶への道 | 悠釣亭のつぶやき

核廃絶への道

8月6日は広島に原爆が落とされた日、9日は長崎に落とされた。
たった2発の、今で言う戦術核以下のサイズの原爆で、非戦闘員である
一般市民数十万人が一瞬にして殺されたわけである。
かくも恐ろしい殺人兵器であるが、いまや、世界中で多くの国が実質的な
核保有国となっている。
核兵器の数をすべて合わせれば人類を何度も滅ぼすほどで、今もまだ
増え続けているわけだ。


このままでは人類が滅亡するという危機感から、核兵器不拡散条約(NPT)
が世界191ヶ国・地域によって締結されたわけだが、インド、パキスタン、
イスラエル、南スーダンは非締約国のままである。
この条約、米、露、英、仏、中の5か国を「核兵器国」と定め、「核兵器国」
以外の国への核兵器の拡散を防止するというもので、いわば保有国の
固定化を進めるようなもの。
また、実質的保有国を抑制できるものでもない。

更に、今回のロシアのような行動を抑制するための力は皆無であり、
保有国の核を脅威と感じる国々にとっては拡散はして欲しくは無いが、
保有国の恫喝の手段にもして欲しくはない訳だ。
ま、それは今の時代として、仕方ない事なのかも知れないが、廃絶とは
程遠いものと言わざるを得ない。

核兵器の開発、保有、使用を禁じる核兵器禁止条約に至っては122ヶ国
(参加意思表明は137ヶ国)が参加しているが、核保有国はもちろんの事、
核抑止力に依存しているNATO加盟国、日本や韓国も参加していない。
場合によっては使ってもよいとする立場だ。


一方、毎年この時期になると、核廃絶のための運動が顕在化する、
というか、この時期だけマスコミが騒ぐ。
この活動自体は必要だし、世界中の様々な団体の活動がもっと活発に
なる事を期待する所ではあるのだが、一方で、このやり方で良いのか?
という疑問も感じる。

核兵器の恐ろしさはいくら論じても足りない訳だが、これは諸刃の剣でも
あると感じる。
あの2発の原爆で、かくも甚大な被害を受け、かくも長い間苦しめられて
いると強調する事が果たして、保有国の指導者に核使用抑止力として
うまく伝わるんだろうか。

場合によっては逆の効果も生みかねないのではと危惧する。
こんなにも恐ろしい兵器をワシが保有しとるんだぞ。
ワシの言う事を聞かないと、お前らも同じ目に合うんだぞという先例として
使われていないか。
ロシアによる恫喝を見るに、核に言及しさえすれば相手は黙るという意思
さえ感じるんだな。

核攻撃に対しては核報復が必ず起こるという事を強調する事の方が
抑止力としては遥かに強いように思うが、核廃絶の本来の道筋から
大きく離れてしまうという矛盾もある。


もう一つの大きな疑問は、核廃絶等の運動は民主主義国家内でしか
行なえていない事。
全体主義国家でやれば、たちまちひどい罰を受けることになる。
本来、一番危険なのは全体主義国家、中でも、独裁的な政治を行う
国家であって、そこではたった一人の支配者の一存で、核の使用が
行われる恐れが多分にある訳だ。
我が国は強大な核を保有していると、誇らしげに内外に宣伝している
国々さえもある。

ノーモアヒロシマは歓迎するが、こちらがヒロシマになる恐れがある時
(たとえ通常兵器であろうと、「国家が危機に陥る」とみなされる時)は
躊躇なく使うぞ、という論理に対抗できない訳だ。


恐らく、
何らかの地域紛争において、自国が酷く不利に陥ると指導者が感じた時、
核による恫喝が行われ、恫喝と感じた相手側が怯むことなく行動を続け、
このままでは国家的危機になると感じた指導者が、小規模と称して
戦術核を用いるというのが最悪のシナリオなんだろう。
で、受けた方が当然のように核による小規模報復を行うから、益々自国が
ヒロシマ状態になってしまうわけだ(相手にしたことは忘れて)。
核の応酬に対する歯止めが無くなってしまう。

ウクライナにおいても、もしロシアが直接攻められるような事態になれば、
まず確実に戦術核が使われることになるんだろう。
今や、際どい一線でかろうじて踏みとどまってる状態としか思えない。
第三次世界大戦の入り口に居ると認識すべきなんだろう。


とにかく、核廃絶は困難な道筋であることは間違いない。
不拡散でさえ、まともに出来ない現状で、核廃絶は遠い目標としか
言いようがないが、小さな力でも一歩から進めるしかないのかな。
恐怖に怯える指導者たちの馬鹿さ加減に、何時もダモクレスの剣の下に
居る気分で、ほとほと嫌気が差すこの時期である。
今日が立秋でなくても身体の周りに涼風が吹いているようにすら感じる。

 

 

Ref.
軍縮が出来ない訳
https://ameblo.jp/yct/entry-11594178675.html"