軍縮が出来ない訳 | 悠釣亭のつぶやき

軍縮が出来ない訳

核兵器の廃絶が叫ばれているが一向に減らない。
通常兵器とて、減らした国はまずなかろう。
隣の国が軍拡すれば、じっとしてられない訳だ。
ま、人間のサガといえばそれまでだけど、結局、最後は暴力が
強いんだって事を、長い間DNAに刻み続けてきた結果なのであろう。



で、SALTやNPTなど様々な活動がなされる訳だが、これらの
活動が効果を発揮したか?。
核兵器の力は非常に分かりにくく、数の上では減った事になって
ても、性能×数で見れば、むしろ増えてるし、NPTに至っては、
今まで持ってない国は今後も持つなって言ってるだけだから、
根本的におかしいのだ。
持っている国が持たぬ国に脅しを掛ける限り、NPTが成立する
筈がない。


確かに、DNAに刻み込まれてきた部分はあろうが、人間はいつまでも
愚かであり続けるのだろうか?
解決の糸口を探るために、何故諍いが起きるのかを考察するのも
意味があるかも知れない。



①恐怖
人間は猿の時代から延々と恐怖と戦ってきた訳だ。
その多くは人間以外の動物との戦いであった訳だが、今や、他の
動物は完全に制圧し、恐怖の対象外になった。
で、代わって人間同士が恐怖の対象となっているのが今の時代である。
個人間の恐怖は喧嘩という形をとる。
法治国家では国家権力が裁定するので、相手が死ぬまで戦うという
ような事はなくなった。
しかし、国と国の間の恐怖は戦争となり、お互いが軽度の損傷で手を
引く程度なら良いが、それが蓄積されると、最後は相手の国が滅ぶ
まで継続される事になる。


②恨みつらみ
小さな衝突はシコリとなって残る。
増して、仲間から死傷者などが出れば、『この恨みは必ず晴らす』という
気持ちが残る。
恨みの感情は自然に減る事はない。
人間は変に記憶力が良いのである。
特に、痛い記憶を忘れることはない。


③疑心暗鬼
自分勝手な憶測が過剰な反応を引き起こす。
『あいつが棒を持っているのは俺を叩こうとしてるのか?』という精神状態
である。疑心暗鬼は相手の意図が分からないが故に恐怖に繋がりやすい
のであるが、それは自己の弱さの表れでもあるのだ。


④相互不理解
相手の意図が分からない事が即、相互不理解に繋がる訳ではないし、
その逆も必ずしも繋がらない。
相手方の考え方や生い立ちや行動様式を知る事で、相手の様々な
行動が理解できるかどうかが大きい。不理解が不信へと変化し、更なる
憶測を高めてしまう。


⑤利己主義
自分こそがすべてであり、自分が生き残れば良いというのが動物本来の
姿であるのかもしれない。
人間の集団としての国家も、その考えを集約して体するものである。
自国は隣国や他国に対して少しでも優位で居たいのである。


⑥富の偏在
あいつはたらふく食ってるのに、俺は腹ペコだ。
たらふく食えるには理由があるにしても、腹ペコは諍いの元である。
隣国が飢えていても、食糧支援は簡単には出来ないのだ。
他が飢えていても、自国の食糧は備蓄するものなんだな。


⑦思想・宗教
これは最後まで解決できない問題となると思える。
思想や宗教は変えることが不可能である以上、それを理解し、侵さない
事しか答えが無いのだ。
相手の思想や宗教を理解し、尊敬しようとするほど、人間は寛容ではない。
相容れない宗教や思想は叩き潰したいのである。


まだまだ、他にも色々あろうが、考えると滅入ってしまうのだ。
なぜなら、どれも『人間ってなんですか?』という問に対する答えになって
いるからなのだ。
要するに、人間の本質は戦争をするようになっているという事のようだ。
だから、普通に行動すれば、自分に都合の良い事を主張し、お互いが
お互いを疑い、お互いに不信に陥り、小さな衝突が加重され、遂には
破局にまで向かう。
宗教や思想が絡めば、速度と重大性が更に増す。



では、そうならない工夫はあるのか?
理性のみであろう。
人間には他の動物と違って、論理的に考える能力があるのだ。
それが最大限に使われたときに初めて、上記の状態を克服できると思える。
お互いに相手を知る努力をし、感情が高ぶった時には話し合い、行動の
意図を明示しあう。
その結果は、共存の道を探る事に繋がると思える。
宗教ですら、そういうものなんだという理解があれば、共存は可能となる筈だ。


しかし、人間の集団は偏狭である。
相手の考えを理解する努力をしようとしない。
安穏な考え方は駆逐されやすい。
相手の行動がすべて自分に敵対するように見えやすい。
相手が悪いというのは容易なのだ。
善意の行動は付け込まれると思い込んでいる。
集団ヒステリーを起こしやすい。
宗教や思想は相手を容認しない。


その上に、
忘れない。特に憎悪の感情は。
そして、一度打ちのめされても、それを謙虚に反省しない。
自分は悪くなかったと言い張る。いつも悪いのは相手なのだ。
尚悪いのは、今度こそやっつけてやると誓う事かもしれない。



その上厄介なのは、自分に都合の良い情報を流布するのは当然として、
自分に不都合な情報は過大に誇張するのだ。
『相手が棒を持っているのは叩こうとしているのだ。棒に鉄芯が入ってて、
そういえば血に汚れていたぞ』と物知りが言えば、こちらも鉄芯入りの棒を
準備せざるを得まい。
出来たら、釘を植えて、殺傷力を高めた物にしないと、相手の意図を挫け
ないぞ、って事になるのだ。
話し合えば、相手が牛を追う為に棒を持っていたことが分かるし、もう少し
細く短い棒にしてくれんかな、と言う事も出来るかも知れないのに。


世界情勢を緊張化させる要素も意外にこんな所にあるのだ。
証拠は、
ワイワイ言いふらす世論の内、どれだけが、相手と十分に話し合って得た
情報による物か。
悪意の宣伝を見抜けるか。
見抜く力や方法を持っているか。
疑心暗鬼が起こったときに、すぐに話し合える体制になっているか。
自分が何を脅威と思っているかを説明した事があるか。
と問えば、答えはノーなのだから。


各地での紛争を見て見るが良い。
上記のどれにも当てはまらぬ物があるか?
人間が努力すれば、必ず解決の道はあるにもかかわらず、それを探る
努力は憎悪にかき消されるのだ。
善意は駆逐され、話し合いは弱腰として拒絶される。



本来なら、国連のような機関が紛争国同士の間を取り持つ事をすべき
だと思うのだが、この団体すら、政治的に汚染されてしまっている。
少なくとも、特定の国に、より強い権力を与えた時点で、汚染が始まって
しまっているのだ。
紛争が起こったとき、第3者による裁定機関を配して話し合う場を設ける事
くらいが何故出来ぬのか?
ま、裁定したとしても、納得しないだろうから、結局は暴力で持って引き離す
という馬鹿げた事が必要になってしまうんだが。



で、再び、そうならない工夫はあるのか?
と問うてみるのだが、現時点では、
そういう努力はなされているが極少数の弱々しい活動に過ぎない。
ともすれば消え入りそうな、これらの努力に世界はもっと注力すべきだ。
というしかない。


結局は、『軍縮なんて出来っこ無い』という意見が勝つ。
と言う事は、人類に残された道は破滅であるという事で、今度は
『核戦争があっても我が国は生き残る』という馬鹿げた戦略へと転換
してゆく事であろう。
破滅への時計が刻々と時を刻むのだが、多くがそれは自分の事ではない
のであるから。




Ref.
人間はどこまで馬鹿なのか?
http://ameblo.jp/yct/entry-11574277827.html