終戦記念日、75回目の
毎年、終戦記念日が各地で催され、戦没者を祀り、
霊を慰め、不戦の誓いを行っている。
ワシは過去に終戦記念日についてはあまり書く気には
ならなかった。
大した理由はないけど、記念する前にすることがある
やろって気持ちが強かったからかな。
戦後75年にもなると、戦争を体験した人がどんどん
居なくなるのは事実だ。
6~7歳以下だと殆んど戦争という記憶は無かろう
から、80歳も半ば以上の人でないと戦争の確たる
記憶は無かろう。
様々な記録や言い伝えや小説やノンフィクションで
戦争のことを知るんだろうけど、社会のその場の雰囲気
とか、生活のこまごました部分に思いが至らないのは
仕方ない事であろう。
また、実際に芋蔓入りのおかゆを食べた人のひもじさは
飽食の時代に体験するのとは訳が違う。
国家間の不都合を煽り、やれ核だ、やれ軍備拡張だって
言う前に、30年代以降の歴史を、特に、戦争に至る
道筋を勉強することの方がいかに重要かを知るべきだ。
角突き合わせる前に、なんとしても話し合いの道を探る
努力をすべきだろう。
国家間同盟も良いが、非同盟諸国との話し合いも同じ
だけ進めるべきだろう。
靖国参拝する前に、先の戦争で靖国神社が果たした
役割や何故中韓が反発するのかを、もっと考えるべき
だろう。
今年は首相は参拝せず、献花だけだったようだが、
不毛ないさかいを避けようとしたのか、儀礼的だった
のか、本心がどこにあるかは分からない。
ワシは靖国神社はそのままにして、民間人で行きたい
人は行き、政治にかかわる人は行かない。
代わりに、国家行事として、国立戦没者慰霊所を設定し
そこで国としての慰霊行事を行うというのが一番嵌る。
千鳥ヶ淵を基にしても良かろう。
一番必要なのは、なぜあの戦争をやろうとしたのか、
国家の仕組みとして、なぜ回避できなかったのか、なぜ
軍があれほどの権力を行使できたのか、等々先の戦争の
総括を国家として「正式に」やることだが、未だに
それはなされていない。
いや、アジア解放の聖戦だ、米国に強要された戦争だ
等々、自分の都合だけを基にした戦争論を封じ、再び
バカな戦争を始めることが無いようにするには必須だ
と思うんだが。
災害も戦争も忘れたころにやってくる。
先の戦争も、そろそろ記憶の外に出る時期になっている。
忘れ得ぬ記憶として残すためにも、国家としての正式な
戦争記録が必要だ。
戦時の暮らしを語るとともに。
Ref.
首相の靖国参拝について
https://ameblo.jp/yct/entry-11737181286.html