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教科書的学習に思うこと

最近、ふとしたきっかけで、知り合いがマーケティングの勉強をしていて、セミナーなどに通っているという話を知って、触発された考え。


「教科書的に読んでいるものよりも、目の前の仕事で得たものの方が、使えるんだよね」

そう感じて、なんとなく批判的になる自分がいることに気づいたので、ここを深堀してみることにした。


そこでまずは、過去の自分自身を振り返って、「目の前の仕事に一生懸命になって得たもの」と、「教科書的に読んだもの」を挙げてみた。


(目の前の仕事から得たもの)
・英語でのディスカッション(PGで主に電話会議での海外チームとのやりとりで)
・B2Bの価格・ソーシングの交渉(PGのときに一時期担当)
・組織変革のコンサルティング(HVのコンサルティング経験を通して)


(教科書から得たもの)
・組織変革(PG時代。コッターなどを読んでいたとき。実務経験がないときに)
・競争戦略(マイケルポーターなどをPG時代の初期に読んで)
・・・その他、多数の書籍


これを眺めながら、要素を「習得のプロセス」と「結果の違い」の2つの観点でまとめてみると、目の前の仕事から得たものには、次のような特徴があった。


(習得プロセス)
・集中して取り組んだ
・上手くいくかいかないか、ではなく、上手くいかせる必要があった
・手本となる先人がいた
・成果によって、正しいか正しくないかが判断できた
・最初は上手くできなかった
・悪戦苦闘した


(結果として得たもの)
・明らかに他の人に優位にできる
・考えずにできる(惰性でやっても、はずさない)
・何が勘所なのか、何を見ていけばいいのかが分かっている
・これだけははずしちゃだめ、というものが分かっている
・パワー配分ができる
・次に何がおきるのか、あらかた想像できる
・説得できる材料がある(やる前に)・・・実体験で巻き込むことができる


さて、こうやって整理してみて、特に感じたのは、


(結果)⇒反応的に対応ができるようになっている。いつも安定的に発揮でいる。
(プロセス)⇒「これははずしちゃいけない」と想起される、過去の経験の記憶がある。


というところ。



1つ例に挙げると、コンサルをやり始めたとき、自分の担当だったヒアリングを実施したときの大失敗が思い浮かぶ。


このヒアリング、ある企業の人事制度を変更するために、主要な役員に、あるべき人材像をヒアリングしていくというもので、こちらから階級別のたたき台モデルを持っていって、「これを刺激に、聞いていこう」というスタンスだった。


ところが、実際にヒアリングを始めたら、10分程度でみるみる役員の機嫌が悪くなり、最後は、


「そもそも、なんのためにこれをやろうとしているの?」


と激怒され、敢え無く中止に・・・。今でも忘れないが、本当に泣きそうになった。


後から振り返ると、担当役員としては、ここで出てきたモデルが、そのまま決定事項になってしまうかのように捉えたのが元凶。もしそうだったら、自分の組織運営に思い切り関わることだし、たたき台が妙に精緻にできていて、あたかも決定事項のようにも見えてしまい、


「そんな短期間に決めてくれるな!相談もなしに」


というお怒りだった。


この経験以来、ヒアリングでは


「とにかく相手に不信感、不安感を感じさせない」


のが何より大事ということを肝に銘じるようになった。


具体的には、


「自己紹介」
「今、何をやろうとしているか」
「この結果はどのように使われるのか」


の3点を、分かりやすく、誤解なく聞いてもらえるような説明資料と、口頭での補足を慎重に準備するという行動に紐づくようになった。


ここでポイントだと思うのが、おそらくヒアリングの基本教科書には、間違いなくこれが書いてあるし(そして、このコンサルの社内資料にも、これは明記されている)、言われてみれば当たり前のことだけれども、それがどういう意味を持っていて、そこを外すと何が起きるのか、瞬間的・反応的に記憶と紐づいて対応できるのが、仕事を通して獲得した部分であるということ。


この、


「記憶」⇒「瞬間的・反応的な対応の再現」


というところが、肝かな、と改めて感じる。


おそらく、教科書で学んだだけでは、限られた時間の中、周囲と反応的なやり取りを繰り返す中で、ついついこういった部分を踏み外してしまう瞬間が訪れるなど、安定的に押さえどころを押さえ続けるということができないのではないか。


ちなみに、自分以外の人のケースを学べば、これがカバーできるかというと、そうでもないな、と思った。

なぜなら、「この状況を上手くやる人」に丁稚奉公でついていても、上手くやる人はこの部分を外したりしないから、殆どそういう場に遭遇することがない。


逆に、「上手くやらない人」と一緒についていても、それによってもたらされる大変な経験は、自分にダイレクトにふりかかってくるわけでないから、記憶として定着しない。


それから、仕事以外のシミュレーション的なところや、趣味などの分野ではどうかというと、おそらく、真剣に成果を追い求める場面でないと、人は無意識に失敗というところを避けたり、トラウマになるほどの失敗に直面する状況にないだろうから、やはり「記憶」は残らない、残りにくい、気がする。


とどのつまり、


「瞬間的・反応的」な対応のベースとなる記憶は、目の前の仕事に真剣に取り組んで初めて獲得でき、だからこそ、このプロセスでなければ、本当に安定的な成果を挙げる力は身につかない」


ということになるのかもしれない。


というわけで、一旦ここの結論としては、


「教科書を読むのは、決して悪くない。結果論として、成功のための重要なポイントはそこに書いてあるかもしれない。ただし、その重要なポイントを、いつも再現性高く、1つ1つの行動にちりばめられるか、いつも瞬時にそれを押さえていけるか、というと、教科書だけではNO」


ということかと思った。


ちなみに、プロとしてお金を貰うためには、これでは明らかに不十分。

だって、安定的に成果を出せない、失敗の経験をそこで初めて発生させるかもしれない、という人には、お金出して買いたくないし。


さあ、ここまで書いてきて、以下のような???が沸いてきたので、これはまた別の機会に考えてみたいと思う。


・上記で説明されるような記憶&瞬間的な対応は、ある種、衛生要因的な部分に思える(これをクリアしていないとお話にならないが、これ以上の水準の要因がある)。
それってどういうところだろう?


・失敗の記憶の役割だけでなく、成功の記憶の役割ってなんだろう?



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