敵前逃亡でも卑怯でも何でも構わないから
そこで生きられないと思ったら逃げろ。
どんな手段でも良い、追手の跡形もなくなるまで無心で逃げろ。
死んでも逃げろ。←
その「逃げ」の手段の1つとして自殺もあると思っている。私が今のところその手段を用いていないだけであり、
考えたことはやはりある。
で、自殺した子が弱いわけではなく、自殺出来なかった子が弱いわけでもなく。
その時のその辛さにとって適切な手段として選んだということなので
「死んだら負け」は正しくもあり間違いでもあり。
特に学生で自殺を考えてる人は
あなたの苦しみが学校生活が原因の場合は
期間限定の苦しみであり、ほんの数年で環境は真っ新に変わることを知らないor考えることも出来ないほど追い詰められている。
未成年時代の人付き合いなんて、一瞬で切れる。
そんなつまらないものに追い詰められてしまう状況は、周囲の大人が「いぢめのない明るい子供」の理想を押し付けるから。
理想を現実だと思いたいあまりに、見て見ぬふりをし、無かったことにする。
ほぼ全ての大人がそうする。
いい先生だった人も、公平な立場の大人も親以外はみんなそうする。
子供は幸せに育っていると思いたいから。自分たちの罪だと思いたくないから。
親が死後「いぢめの事実があったのに」と怒りと悲しみの裁判をするのも
実は我が子への愛だけとも言えない。
↑ここ重要ね、
我が子が負けたのを認められないという憤りも、生活が狂わされて将来あるべき己の姿が失われた怒りも含まれるのよ、孫を抱きたかったとか介護してもらう対象だったのにとか。
子供を中学生ぐらいまで育てるのにはそれ相応の大変な労力と金額と精神力を使っているのだし、愛であろうと無かろうと、奪われたものはデカい。
それを他の大人もみんな分かっている。なので「そんな事実は無かったのに賠償金目当て」と中傷され、精神的な苦痛となり諦めてしまう場合も多い。
そんなわけで死後、親が死んだあなたをかばって守って恨みを晴らしてくれるとは思わないで欲しい。
私は、あえて言うけど
もう自殺しか他に道が無いと思ってしまったなら、遺書を書いただけで死んだ時が
負け。
加害者を名指しした遺書であっても無かったことにされる。だから
いぢめ加害者に一生残るトラウマを用意してから自殺しなさいね。嫌がらせの証拠を完全に形にし、消去されたら終わりにならないようネット上に全部あげなさい。
加害者の顔や身元が分かるように完全にね。
そして、自分の未来を奪ったお前の未来を永遠に呪って潰してやるからなと思い知らせなさい。
それをせずに死んだら負けだよ。
ま、それをした時点であなたは死ぬ必要は無くなるかもね。
いや、あなたも晒されるわけだけど。
だけどそこまでやれば確実に今までの状況とは変わることになる。良くなるか悪くなるかは分からん。
そこまで生きてみてやっぱりしにたかったらそれはその時に改めて実行すればいい。
加害者を野放しにはするなよ。
↑これで死んだら「負け」とは言いきれなくなるのよ。
逃げる方法が死しかない場合もある。
その言葉を聞いた時、間違いではないけど”負けたかったのよ!”と思った。強い立場の人には通じないけど。
自殺そのものは全部は否定出来ない。
それを負けと言い切るのは私は嫌です。