1つ前の記事と少しダブる内容もあるかもしれませんが、と、前置き。
私は生まれ持った身体の弱さ(五体満足ではあります)と、
幼少期からの心の不健康さで、
「将来」とか「一般的な幸福」には縁がありません。
兄弟でもいればまた違っていたかもしれませんが、
一人っ子で、両親健在にも関わらずこちらから一方的ではありますが縁を切ったことにより、天涯孤独の身であり、
また、そういった行為は常識的に言えば反社会的なわけで、その上、このような劣性な遺伝子を残すわけにはいかないという考えもあり、
この先も天涯孤独であろうと思われます。
以前「しくじり先生」で、いとうあさこ先生が老後や葬式、遺影等の準備をしてる話をし、生徒たちが「まだ早い」と言い、
あさこ先生が「早くはない!!」と、力説してました。
うん、早くはない。
これは男性には分からないことなのでしょうね。担任若林先生、生徒吉村くん。
男は90歳過ぎても子を持とうと思えば持てる。結婚も、適齢期を過ぎても出来なくはない。
女性は、35を過ぎても1人ならば、大体決意をしなければなりません。
今や医療は進み、40歳過ぎても子を産める…場合がある…とはいえ、それは大変裕福な立場であることと、命の危険との賭けになるということ、これは医療が発達しようが変わりません。
「結婚」とは基本、子孫を設けるための契約です。
子を持たない夫婦の契約理由としては、1人ぼっちが寂しいとか、金銭的に安定した生活が得られるとか、相手を自分だけのものにしたいとかありますが、
比較的長寿な大型哺乳類である人間が結婚する理由は、子を設け、長い子育て期間を安全に終えるためです。
子を産まないメスは、オスの伴侶には成りえないのが通常なのです。
同様に、無精子のオス、エサを安定供給出来ないオスも、メスの伴侶には成りえません。
35歳を過ぎたオスとメス、一生ひとりで生きていく確率が高いのは圧倒的にメスですね。
だから「早くはない」。
私の場合は32歳ぐらいで悟りました。
だからと言って老後の資金を貯められるような体力は持ち合わせておらず、その日暮らしを続けておりますが。
「終活」という言葉は好きではありません。
が、準備は日々行っています。
毎日のように「明日も生きてるだろうか」と思ってるので。
まず、孤独死対策。
ありえるのでね。でも大家さんに迷惑はかけたくないので、遺品の整理をする時にすぐ見つけられるであろう場所に、そして普段は目につかない場所に、パネルで遺書を置いています。
独りぼっちの身で、封書に遺書など置いてたって、それすぐ見つかるようなら自殺だと思われるし、しまい込んでたら見つからないから不審死扱いになるし。
そうなったら事故物件で大島てる行きだw
次に、何も残さない努力。
家具や財産という意味ではないですもちろん。
私は、このPCやスマホが発達した時代にも関わらず、ペンだこが常にあるほど文字を書きます。テレビを見るのが趣味なのですが、テレビを見ながらノートにメモを取るというおかしなクセがあります。感想やら情報やら妄想やらびっしり、みっちり。
0.3mmのボールペンを2~3本身近に置いてますが、物書きでもないのに月に1本はインク切れます。
そのノート、もし死んだ後に誰かに見られたら…という恐怖で、ヒマが出来るとちまちまちぎって捨てるのです。
何の為に書いてるのか、そんなことは知らん。
付箋も多いです。忘れるのが特技だから。
それも納得したり用が済んだらちぎります。
残してるのは毎年のスケジュール帳だけ。
スケジュール帳としては機能してないかな、目標だとか反省だとかを日付け関係なく書いて書き殴って。
ただ、嬉しいことがあった日だけ、きっちりその日付けのとこに何が嬉しかったか書いてある。
本当はこれだって見られたくないものだけど、私が生きている間は見返したいから。
一番大事なのは、
死後の始末。
連絡すべき人は、いません。
葬式、読経、墓、必要ありません。
家財は自治体に任せます。
火葬後、関東の地での散骨を希望します。
はてさて、ネット上での私はどうなるんだろうね。
それだけが心配。
だからSNSは必要な時だけ使い、
徐々に縮小。
Twitterは、まあいいか。
ブログも、まあいいか。
他は、アカウントを持ってるだけで使っていないという状態です。
長寿の血筋だけど、
平均寿命まで生きたくはないなぁ。
65~70ぐらいでフィニッシュ、理想です。
私の終活プランでした。