丹後の王国に行ったこと(前編) | ご近所の神社訪問記

ご近所の神社訪問記

近場の神社や、気になる神社の紹介です。
神社のいわれ、神様やそこに住んでいた昔の人などに思いを馳せてみます。たまに岩や石のことも紹介します。

丹後ブルー それでも私は海を見ていたい

 

この丹後の海はどこかと繋がっている

 

少し前になりますが、丹後に行ってきました。

いろいろ回ったので、忘れないように記しておきます。


6時出発。

丹後へは5年前に籠神社に行ったとき以来です。

ナビに任せて走っていたら、いつの間にか高速ができていました。餘部鉄橋の下をくぐるのも楽しみの一つだったのですが。

 

8時過ぎ、最初の目的地、道の駅てんきてんきに到着。ここでトイレ休憩、そして今日のスケジュール確認。

 

墳丘と土器っぽいオブジェ、丸いのは(たぶん)土笛

見にくいですが、竹野遺跡と潟湖 ここも潟湖だった模様

 

道の駅の隣には、遺跡公園がありました。これから丹後の遺跡を見にいくのに、いやでもテンションが上がりまくりです。

 

その前に、立岩を見ておかなくては。

 

空にそびえる立岩

 

道の駅で朝市をやっている地元の人に行き方を尋ね、すぐ近くに車を止められました。

ここは山陰ジオパーク。豊岡に玄武洞がありますが、それにも劣らず不思議な大岩に、ただただ圧倒されるばかりです。

そしてふと横を見ると・・・。

 

何だろう、これ。。

全くわかりませんでしたが、後で調べてみたら、聖徳太子親子像なのだそうです。

この地は「間人」と言うのですが、それは間人皇后が名前を送ったからだとか。

しかし皇后と同じ名前では恐れ多いと、「間人」と書いて、「たいざ」と読むのだそうです。

うーん、そうですか。

それ以前の呼び名は何だったんだろう。

 

そして、この旅の目的の一つ、丹後古代の里資料館を目指しました。赤坂今井墳丘墓から出土したガラス管玉を見るためです。

しかし、まだ時間が早いため、近くの式内社竹野神社へ。

行ってから分かったのですが、竹野神社は「たかのじんじゃ」と読みました。

 

そこでふと思い出したのが、因幡にあります岩美町の高野神社です。

岩美町は昔は巨濃(この)郡と呼び、式内社の一つに高野神社があります。

その巨濃の中心地は新井(にい)。新井には許野乃兵主神社(こののひょうす)という式内社。

 

「この」「たかの」「にい」と、丹後と同じ音が気になります。

偶然でしょうか。


 

式内社 竹野神社

風格ある佇まい

境内から神明山古墳へ行く道があります

 

なかなかに、落ち着いた雰囲気の歴史を感じさせる神社でした。

また、ここの境内からは神明山古墳へと続く道がありますが、次の予定のこともあり、パスしました。

 

さて、時間になり戻ってきたのですが、丹後古代の里資料館が開いてない。

あれ?

張り紙があり、「臨時休業」と。

ああ、またやってしまった・・。

営業時間をきちんと調べておかないのはいつもの悪い癖です。

 

がっかりしつつ、次の目的地に行こうと車を走らせたところ「大成古墳」の看板が見えました。

ここからほんの数百メートルなので、行ってみることにします。

 

 

大成古墳は13基の横穴式石室墳からなる古墳群で、見晴らしのよい高台にありました。

高台というより、崖の上?

墳墓の石があちこちに見えています。そりゃあ、風が強いからそうなるよね。って思いました。

どうしてここに作ろうと思ったんだろう。

 

赤く塗ってあるのはベンガラでしょうか

丹後ブルーの海が見える丘。

ロケーションとしては最高ですね。ただ、風が強いことを除けば。

 

丹後王国の人たちはどこから来たのだろう。

そんなことを考えていたら、

 

「それでも私は海を見ていたい」

 

という物語がぼんやり脳内で生まれました。

 

(前編おわり)