高校の入試説明会、申し込みしていなかったけど、

突然行きたくなって行ってみた。

そしたら、予想外の収穫にとても満足の1日だった。

 

 

もともとちょっとだけ気になっていた学校だったんだけど、

不登校の娘にとってはあちこちの説明会に行くだけでも疲れてしまう。

そもそも、予定が決まっていて、

朝早く起きなくちゃ、とか

初めての場所だとか、人が多い所とか、

そういう諸々もキツイ。

 

 

それをよくわかっていたのであえて申し込まなかったんだ。

 

 

だけど朝起きて、今日○○高校の説明会やっているけど行ってみる?

と聞くと、行ってみたいと言った。

 

 

目的は学校の雰囲気がわかればいいのと、

学校の場所の把握、

そして、部活体験をやっているらしいので、

部活見学だけでも外から見られればラッキーと思っていた。

 

 

だけど実際に学校へ行ってみると、

 

 

入れないと思っていた学校に入れたし、

部活動をやっている体育館にも入れたし、

たまたま話しかけた子が、去年の在校生で、

今日は手伝いのために遊びに来ていた子だった。

 

 

とても気持ちのいい子で、

いろいろな話をたくさん聞かせてくれたし、

案内もしてくれた。

 

 

 

学校の正規の見学会もいいんだけど、

こっちのがなぜだかワクワクする。

娘も楽しそうだ。

しかも、制服じゃなくて私服で来ちゃったから

体も楽ちん。

 

 

そうやって、リラックスしていい体験をしたら、

このまま、もっと冒険をしてみたくなったらしい。

 

 

 

この学校に通うには電車に乗って通うんだけど、

帰りはこのまま電車に乗って帰ってみる?

と聞くと「うん。」といった。

 

 

旦那さんにはこのまま車で帰ってもらうことにして、

娘と二人

帰りは駅まで歩いて、

おいしそうなお蕎麦屋さんを見つけて立ち寄り、

町を散策して、

お寺でおみくじ引いたり、

ちょっとした旅行気分。

電車に乗って帰ってきて、

楽しかった~

 

 

この町と、学校の印象もずいぶんよくなくなったのか、

ここだったら通えるかも。と言っていた。

 

 

こんな体験ができたのも、

あたしの在り方がずいぶん変わったからだと思う。

 

 

人が怖くて学校に行けなかった娘も

今ではこうやって

いろいろな体験を楽しむエネルギーが

沸いてきている。

(もうママの心配しなくてもいいもんね。)

 

 

それが何よりうれしい。

 

 

 

 

 

9月から長年不登校をしていた娘が学校へ通うようになっている。

 

通うと言っても、朝から学校へ行こうとは思っていないらしく、

遅刻をして給食の時間から行くのが通常だ。

行くのも毎日ではない。

朝起きた時の体調や気分で行くか行かないかを自分で決めている。

 

 

彼女は小学校5年の12月から完全不登校になった。

それから中学3年間ほとんど学校へは行っていない。

 

そんな彼女が中学3年になったこの4月、

高校に行きたいと言い出した。

 

 

それで、それにはやっぱり学校に慣れておかなければと思ったのだろう、

ちょくちょく学校へ行く練習をし始めた。

 

 

とはいっても、今まで全然学校へ行っていなかったし、

何より、彼女は人が怖い。

そんな彼女が学校という、人がたくさんいて、

しかも密閉された場所に自ら飛び込むというのは

とてもエネルギーを使う作業だ。

 

 

案の定、いつも数十分から長くて数時間で疲れ果てて帰ってくる。

 

 

しかも最初、自転車に乗るのが怖いと言って、

30分の道のりを歩きで学校へ行っていた。

(そのうち、やむおえず自転車に乗るしかない状況が来て

自転車には乗れるようになったけどね)

 

 

 

そうやって、少しづつ、本当に少しづつ、学校へ行っていた。

それでも1学期に学校へ行けた回数は

全部で10回に満たなかったと思う。

 

 

学校へ行っていない不登校の期間はほぼ、

というか、まったく勉強はしていなかった。

なので、勉強は小学校の5年生で止まっている。

この前、小学校の勉強をやってみたら掛け算九九も忘れていた。

 

 

 

それで、本格的に勉強もやらなくちゃと言って、やってみるんだけど

やっぱり面白くなくて続かなかった。

小学校の勉強なら少しは教えられるかと思い、あたしも教えるんだけど、

毎日は教えられないし、忙しくて、続かなかった。

 

 

 

だから、塾に入った。

塾もいろいろ選んだ。

(塾選びのエピソードも面白いのでまた別に書きます。)

 

 

 

だから今彼女は、

学校と塾とバレーボール(自分でやりたいと言って2月に始めた。)

の3つのコミュニティーに所属して

それぞれのスケジュールをこなしながら、

学校へ行く練習をしているということだ。

 

 

 

彼女が加速度的に学校へ行きだしたのは9月に入ってから。

実は彼女には高校に行く明確な目的があって、(この話も面白いのでまた別で。)

だから行きたい高校も決まっていた。

 

 

学校の先生や塾の先生と話をしたら、出席日数があったほうがいいよね。

ということになり、彼女はそのために学校へなるべく行こうと決めた。

 

 

とはいっても、そんなことぐらいで学校に行けるんだったら誰も苦労はしない。

彼女は学校に行けるようになるために、本当によく自分と向き合ってきた。

こういう風に書くと“学校行けるようになること”いうその行為だけに

視点が行ってしまいがちだけど

学校に行けるようになる=自分を幸せにするためだと思う。

 

 

 

自分を幸せにするために彼女は並々ならぬ努力をしてきた。

それは親バカ目線ということだけでなく、一人の人間としてみても

本当に素晴らしく、自分の本心と向き合うことを真摯にやっていた。

怖いこともいっぱいしていた。

 

 

私たち夫婦もできるだけサポートをした。

 

 

そんな彼女が、昨日は学校から大きな声で

「ただいまーー!!」

と言って帰ってきた。

 

 

その声には力が宿り、顔にはエネルギーが満ちていた。

とてもいい顔をしていた。

 

 

何かいいことがあったんだな。と感じて、

「何かいいことがあったの?」

と聞くと、

「うん。」

と返事が返ってきた。

「よかったね。」

というと

「うん。」

と言ってうれしそうに笑った。

 

 

 

今から2週間前、彼女から言われた言葉がある。

「ママ、私は自分の事が大好きになったよ。

それはママのおかげが大きい。ありがとう。」

と。

 

 

私はそれを聞いた瞬間、涙が出た。

私にとって、それは何よりうれしい言葉だった。

自分が自分の事を好きになる。

それを言葉にして表現できる。

これほど素晴らし事があるだろうか。

 

 

生きていくためにはいろいろな力が必要だ。

だけど私はこういう風に思えることこそが本当に必要な力だと思っている。

自分を愛おしいと思える力は生きる力だ。

命の源だ。

人はそれがあってこそ本来の力が発揮できて

命を輝かせながら生きていけるんじゃないかと思っている。

だから彼女が自分のことを好きだと思えて、それを表現できたのなら、

この子は大丈夫だと思った。

 

 

それと同時に、

私の子育て第一幕が終わったなぁと感じた瞬間でもあった。

 

 

私は自分の子供にこれを伝えたかった。

こういう風に言える自分になってほしかった。

 

 

彼女が不登校になってから

本当に紆余曲折いろんなことがあった。

 

 

だけど今、彼女は自分が大好きだと言えている。

 

 

こんなうれしいことはない。

私の夢が叶った瞬間だった。

 

 

 

そして、私の娘ちゃん、ありがとう。よく頑張ったね。

 

 

なんかあたしは頑張りすぎていたんだ。

 

もっとかっこよく、

もっとスマートに、

もっと素敵に、

もっと、もっとと頑張っていたけど、

なんかそれってとても疲れる。

 

もっともっとの先には何があるの?

終わりはあるの?

 

終わりなんかない。

 

終わりなんかなくて、

永遠に自分で自分を許さない

自虐の世界があるだけなんだ。

 

結局自分を大切にできないだけなんだ。

 

あたしはあたしを認めていない。

 

大きく息を吐いてみよう。

 

顔をあげて空を眺めてみよう。

 

そして、自分の内側を感じてみよう。

 

外側に世界に翻弄されるんじゃなくて

 

意識は自分の内側へ。

 

 

 

 

 

小学校5年生から不登校だった娘がここ最近学校へ通うようになりました。

 

今は中3です。

 

中3になってから高校に行きたいと言い出して、

 

頑張って学校に通おうとしてたけど、

 

やっぱり無理で、

 

少しいるとやっぱり疲れて

 

帰ってきていた娘が、

 

ちょっと前まで自転車をこぐのも億劫で、

 

私の車で送り迎えをしていた娘が、

 

今日は朝から自分で起きて、

 

実力テストを受けに学校に行きました。

 

朝の1時間目から5時間目まで学校にいて、

 

全くできないテストを受けて、

 

自分で自転車で帰ってきました。

 

 

こんなことを書くと、なんだ当たり前のことじゃん。

 

と思うかもしれませんが、

 

あたしたち親子にとっては、

 

本当にうれしいことで、

 

やっと、ここまで来たねよく頑張ったね。

本当にすごい。という思いです。

 

 

別にテストを受けに行ったことがうれしいわけではありません。

 

 

学校に行けたことが嬉しい訳でもありません。

 

 

そうではなくて、

 

 

その行為に至るまでの彼女の頑張り、

 

 

苦悩の日々、

 

 

そして、どうして学校に行きたいと思ったのか

 

 

それを知っているから、

 

 

よくやったねと言いたいのです。

 

 

自分の夢に向かって自力で一歩を踏み出した彼女に

 

 

私は子供の生きる力を感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はとても月がきれいだな。

 

そう思ってベランダの外に出てみたら、

 

生暖かい風が吹いていた。

生暖かくて湿った風だ。

 

 

とても強い。

 

 

月がきれいで風が強い。

 

 

こんな日はあたしの何かが変わる日なんだ。

 

 

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