過ぎ去った日々に | yayohiktのブログ

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自己満足のためのブログ。テーマは韓国ドラマの感想・ロウン・SF9・お出かけ報告など

よろぶん、アニョハセヨ

 

ロウンがIGにこんな投稿をしてましたね?

で、調べてみたところ

Pnicというグループの曲で、このアルバムに収録されているらしい

 

「 내 낡은 서랍 속의 바다」(僕の古い引きだしの中の海)

 

 

日本語訳のついたもの

1.

ネ パダ ソゲヌン キプン スグァ   ホッテン コミンドゥ フェオリチネ
내 바다 속에는 깊은 슬픔과   헛된 고민들 회오리치네

僕の海の中には深い悲しみと 古い悩みが渦巻いている

ク パダ ウィエソン プロダチヌン   セサエ チュウィ マム オゲヘ
그 바다 위에선 불어닥치는   세상의 추위 맘을 얼게해

その海の上には吹き迫る 世の中の寒さ 心を凍らせる

*

テロ ホロ ウギド チチテ   トゥヌン カコ チジッ チャミ ドゥミョン
때로 홀로 울기도 지칠때   두눈 감고 짐짓 잠이 들면

時に一人泣くことも辛いとき 両眼を閉じてわざと眠りにつけば

ナエ パダ ク コヨハンゴセ   ムゴケ ネリョガ ナル パラボネ
나의 바다 그 고요한 곳에   무겁게 내려가 나를 바라보네

僕の海 その静かな場所に 重く降りて行く自分を眺める

#

ナン イリ オリソグンガ   ハンチド チャラジ アナンナ   ク オリンナレ ウスム イロマンガットンガ
난 이리 어리석은가   한치도 자라지 않았나   그 어린날의 웃음을 잃어만 갔던가

僕はこんなに愚かだったのか 一寸も成長しなかったのか あの幼い日の笑いを失っていってばかりいたのか

チョラハン ナエ セサエ   ペホロ ナムン チュオトゥド   ナ ポリスヌン オソットン ネ サメ イブンガ
초라한 나의 세상에   폐허로 남은 추억들도   나 버릴수는 없었던 내 삶의 일분가

みすぼらしい僕の世界に 廃墟として残った想い出も 僕が捨てることのできなかった自分の人生の一部だったのか

rap.

ナ オリジョ クット オシ カダ   チチョボリョ ムル クロボリン パダ
나 어릴적 끝도 없이 가다   지쳐버려 무릎 꿇어버린 바다

僕は幼い頃果てもなく行き 疲れてしまって膝を屈してしまった海

イェンナ ノムナド コウン モレ パダ   イジェン モレ ウィエ キプン サチョ ハナ
옛날 너무나도 고운 모래 파다   이젠 모래 위에 깊은 상처 하나

昔あまりに美しかった砂を掘り 今は砂の上に深い傷一つ

ボッカゴ サラヘットン クデワ ナ   マヌロ ウスジットン クド マナ
행복하고 사랑했던 그대와 나   생각만으로 웃음짓던 꿈도 많아

幸せで愛していた君と僕 考えただけで笑いが浮かぶ夢も多く

クロン モドゥンゴットゥ チョ クン パドエ モム マッキョ   オディンガ カドニ イジェン トラオジ アナ
그런 모든것들 저 큰 파도에 몸을 맡겨   어딘가 가더니 이젠 돌아오지 않아

そんな全てのことをあの大きな波に体を預けて どこかへ行ったので今は帰ってこない

パダアペ ネジャシニ ノム チャガ   フルヌン ヌンム トゥソン チュモチゴ タッカ
바다앞에 내자신이 너무 작아   흐르는 눈물 두손 주먹쥐고 닦아

海の前に僕の自信はとても小さく 流れる涙を両手を拳を握って拭い

マヌン クム クオンヌンデ イジェン チャマ    ポギガ トゥリョウォソ クニャ チャマ
많은 꿈을 꾸었는데 이젠 차마   날 보기가 두려워서 그냥 참아

多くの夢を夢見たのに今はとても 自分を見るのが怖くてそのまま耐え

クッテ ネガ パラボドン ゴットゥ アマ   ス オケッチマン クレド ヌヌ カマ
그때 내가 바라보던 것들 아마   볼수 없겠지만 그래도 눈을 감아

その時僕が眺めていた物はたぶん 見ることはできないだろうがそれでも目を閉じ

ナエ ナグン ソラソゲ キプン パダ   イジェン トゥヌン ガコ タシ ハンボン タダ
나의 낡은 서랍속의 깊은 바다   이젠 두눈 감고 다시 한번 닫아

僕の古い引き出しの中の深い海 今は両眼を閉じてまた再び閉じる

*・#・rap repeat

 

 

ロウンは明日「An Ordinary day」ソウル公演を開催するのですが、それに先立ってこの歌を「一緒に歌いませんか?」というメッセージが来たわけですね。

 

もちろん、私は明日、SF9のLIVEに行くので、これをファンミでロウンと一緒に歌う必要はないんですが、4月の大阪追加公演で、もしかしたらロウンが歌うかもしれないと思って、ちょっと調べてみました。

 

もちろん、SNSにはすぐ調べて投稿されている方が多数いらっしゃるのですが・・・

 

これ、かなり古い曲で、Panicというグループも既に解散したようで、韓国でどれくらい知られた曲かはわからないのですが。

 

でも、3月10日の横浜ファンミの時も、「一緒に歌ってください」とロウンが言って、歌った日本の歌は二つともそれほど皆が知っている歌ってわけでもなく、今の流行歌でもなかった・・・

ワンオクはまあ、おいといて、玉置浩二の『メロディー』も私の近くの席から、「これ、なんていう曲?」「メロディー」という会話が聞こえてました。

 

うん、そうだね。

私は世代的に「メロディー」は知ってたけど、ワンオクは名前くらいしか知らず、ロウンを知って、初めて曲を聴いたので・・・

逆に若い人は「メロディー」を知らなかったとしても不思議じゃないですよね?

 

・・・このブログで最近紹介した三つの歌、「Old Song」、「二十五、二十一」そして「僕の古い引きだしの中の海」。

全て、歌詞のどこかに「喪失感」と「追憶」が含まれていて、ちょっと考え込んでしまいました。

 

特にこの歌の、「僕の海の中には深い悲しみと 古い悩みが渦巻いている」、「僕の海 その静かな場所に 重く降りて行く自分を眺める」、「多くの夢を夢見たのに今はとても 自分を見るのが怖くてそのまま耐え」というフレーズは、「一体、何があったの、ロウン?この歌をファンと歌いたいなんて?」と思わずにはいられません。(←批判しているわけではありません。もし、私が明日ソウルにいるなら、きっと一緒に歌うと思います。でも、歌詞の内容を知ってしまったので、きっと泣くでしょうね・・・)

 

ただし、ロウンがファンとこれを「歌いたい」ということは、今は彼は「古い引きだしの中の海」を見ることは少なくなってきたからだろうと思います。

 

だって、人は悩みの渦中に居るとき、それを人と分かち合おうという余裕はない筈ですから。

 

実はドラマの「二十五、二十一」を見始めて、あまりの素晴らしさに一気に全部見てしまいました。

既に、御覧になった方も多いと思いますが。「まだ見ていない」けれど、「見ようと思っている」という方は、ここで引き返してくださいね?

 

実は少し前まで、ネトフリさんが盛んにお勧めしてくるので、以前「二十五、二十一」をちょっとだけ見てみたのですが、冒頭の、ナ・ヒド(主人公の女の子)の娘がトゥシューズとチュチュをごみ箱に投げ捨てて、バレエを辞める宣言をする辺りで、「あ、よくある青春の挫折と復活のドラマ?」と思って、見るのをやめました。

それに、タイトルロールで流れる映像で、ナ・ヒドが背負っているのをなぜか、ギターだと勘違いしたので(←なんで、そう思ったのかはわからない)。

そのちょっと前にソン・ガンが脇役で出てくるバンドをしている女の子が主人公のドラマを見ようとして、挫折していたので、「バンドものはちょっと・・・」と思って見ませんでした。

 

結果からいうと、好きな韓国ドラマベスト10入りしましたよ!

 

私の韓国ドラマベストは、ソン・ガン主演「ナビレラ」、イ・ジョンソク主演「揺れながら咲く花」、パク・ウンピン主演「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」、イ・ジェウク主演「環魂」、チャン・ギヨン主演「九尾の狐と危険な同居」、ロウン主演「偶然見つけた一日」、イ・ソンギュン主演「マイ・ディア・ミスター~私のおじさん」(←イ・ソンギュンさんのご冥福をお祈りします)、キム・ダミ主演「その年、私たちは」、アン・ヒョソプ主演「いつかの君に」、ヨ・ジング主演「怪物」、「王になった男」あたりだったのですが・・・(←おハル以外のロウン主演のドラマは敢えて外しています。)

 

・・・・・他にも「面白い」と思ったドラマは多数あるのですが、上のチョイスはドラマのどこかで、胸が「キュッ」とする何かがあったものが中心かな?

 

で、今回、「二十五、二十一」、は「ナビレラ」、「揺れながら咲く花」の次にくるくらい、胸が「キュッ」とするシーンが多くて、「今までこれを見なかった私って、バカ」とまで思ってしまったくらい、私の好みでした!

 

ドラマ「二十五、二十一」は、tvNで2022年2月12日から4月3日まで放送されたテレビドラマで、現在Netflixで配信中ですが、2022年2月はまだ、コロナ禍の最中で、おそらく、日本でもそうだったように、韓国でも大勢が一か所に集まるイベントは規制されていたと思います。

 

ちょうどこの頃、Sf9のチャニが「メンバー生存確認」というVLIVEをしたので、「ロウン篇」をちょっとご紹介しますね。

 
つまり、「生存確認報告」をする必要があったくらい、メディアに出る機会が少なかった期間と言ってもいいでしょう。
 
日本でも、コロナ、或いはコロナ禍が原因で命を落とされた方の訃報が相次ぎ、本当に苦しい体験を世界が共有しました。
 
単なる私の推測(←妄想かもしれませんが・・・)ですが、このコロナ期間中に、活動が制限されたことで、むしろ、ちょっと休めた芸能人もいたと思います。
 
ロウンについては、ドラマの撮影とブランドのアンバサダーとしての海外遠征とアイドルとしての活動のうち、少なくともアイドルとしての活動と海外遠征に関してはちょっと休憩できたのではないでしょうか?
 
コロナ禍中にでも、観客を入れない歌番組やステージは放映されていたでしょうが・・・それでも、きっと数は減っていたはずだと思います。
 
もちろん、それが原因で潰れた芸能プロダクションも多かったと思いますが・・・そして、芸能界を引退したアイドルもきっといたでしょうが・・・・・
 
でも、ロウンにとっては充電期間ではなかったのかな?と思います。
その間にきっとたくさんの本を読んで、たくさんのドラマや映画を観て、たくさんの音楽を聴いたでしょう、きっと。
 
なんとなく、ロウンはドラマ「二十五、二十一」を見たのではないかと思うのです。
 
そして、この充電期間中に触れた何かに触発されて、自分が歯を食いしばってでも手にしたいものと、逆に泣きながらでも手放さないといけないものが、彼の中で、形をとり始めたのではないでしょうか?
 
話をドラマ「二十五、二十一」に戻すと、これがコロナ禍の時期に放映された点に、制作サイドの強いメッセージを感じます。
 
このドラマで描かれるキム・テリ演じるナ・ヒドとナム・ジュヒョク演じるペク・イジンの出会いは、アジア通貨危機とIMF経済危機がなければ成立しなかったので、「時代に翻弄された青春群像」が、ドラマの主軸となっています。
 
夢を諦め、現実と向き合わざるを得ない立場におかれてしまった22歳の青年ペク・イジンが、挫折しかかりながらもたくましく未来を手に入れようとする17歳の少女ナ・ヒドと出会い、いくつもの嵐を、時にお互いのアンカーになり、時に防波堤になり、時に高波の向こうに見える灯台の光となりながら、「愛」のありかたを追及していく。
 
このドラマは最初から、二人を待つのは別れだということがはっきりしている構成なので、「ハッピーエンド」を求める人にはつらいドラマでもあります。
 
でも、ドラマの中で「成長痛」という言葉が使われているように、時に、若い頃に経験する「愛」は成長には欠かせない何かを人にもたらす。たとえ、その結末が「別れ」であったとしても、それは「成長」がもたらした結果であれば、いつかは「思い出」の一つになっていくという、誰もがとは言いませんが、多くの人が体験したことのある「愛」の形の一つを、みごとに描いた作品でした。
 
ナ・ヒドがペク・ウジンに出会ったのは、十代の後半。
「おそるべき十代」という言葉があるように、「十代」には「希望」しか見えない、「恐い」もの無しの年代です。
「いや、十代の時も悩んだり、不安を感じたりするのでは?」という疑問はあって当然ですが、それでも、自分のことを振り返ってみても、「十代」は「恐いものなし」だったと言えます。
 
それが、二十代になると、「恐れ」を知り始める。
 
大人になるということは、「恐れ」を知るということだから。
 
でも、「恐れ」を知ることを回避しないで欲しい。
 
今の日本の若い人たち(←「今時の若者は・・・」と言い出したら、年をとった証拠なんですが・・・現実に私は年をとっているので、しょうがないですね・・・やれやれ・・・)は、「恐れ」ることを「恐れ」ているように、私には思えます。
 
日本でも、そして、韓国でも深刻すぎる問題である「非婚化」、「少子化」の根底には、この若い人たちが、「恐れ」を回避する生き方を選びはじめているからなのではないかと常々思っています。
まあ、でも、これはここで書くようなことではないですが・・・
 
ナ・ヒドがオペク・ウジンと出会ったのが、二十一歳と二十五歳だったら、それはまた違った物語になってのではないかと思います。
 
1998年から始まるこのドラマの時代を、私は自分で体験してきた世代なので、出てくる携帯電話一つにしても、物語の前半で頻繁に出てくる貸本屋にしても、懐かしく見ていたのですが、その時代、時代が持っていた雰囲気がよく伝わってきて、そして、その時代の雰囲気がドラマと切り離せない展開で、なんというか、凄い脚本だなあと思いました。
 
そして、止まない嵐が無いように、明けない夜がないように、韓国という国が激動の時代を乗り越えて、現在の韓国を作り出してきたように、コロナ禍という、世界中を巻き込んだ、大きな嵐もいつかは収束し、思い出の一つになっていくのだというメッセージがこめられたドラマだったと思います。
 
もう一度、「古い引きだしの中の海」を見返すと、
人は自分の記憶を古い引きだしの中に入れて、日常を送っているけれど、夜布団の中で、ふと、その古い記憶を思い出すと、時には眠れなくなる。
その「記憶の海」は目をつむると浮かんでくるけれど、それでも明日を生きるためには、目を開けるのではなくて、もっときつく目を閉じて眠るしかない・・・・・
そんな夜が誰にでもある・・・・・ということを歌っていると私には思えます。
 
ロウンが韓国のファンミでこの歌を歌いたいのは、そういった「夜」を誰もが過ごして、そして、ロウンもファンも、今、そこにいることの意義を確認し合いたいからではないのかな?
 
私はそんな風に思いました。
 
ロウンが目をきつく閉じて眠ろうとしたいくつもの夜。
そして、ロウンのファンたちが眠れなかったいくつもの夜。
 
これからも、そんな夜はきっと繰り返しやって来るだろうけど、そうやって眠れない夜を眠ろうとしているのは、自分一人ではないことを眠れない夜を過ごす人に思い出して欲しいなと思います。
 
・・・え~っとぉ、明日はsf9のZEPPなんば当日ですね。
sf9のメンバーはもう大阪入りして、テヤンがIGにこんな画像を投稿してくれました。
 
「ミナミはおれの庭」と豪語する夫が帰宅するのを待って、これを見せたら、「あ、これ、〇〇〇の裏辺りのあの辺やな」と言ってましたが、〇〇〇と聞いて、私が思ったのは、「テヤ~ン!一歩間違えたら、大阪のおばちゃんの恰好の餌食になってたんちゃう?」ということ。
 
いくらフードしてても、大阪のおばちゃんというものは、興味を覚えたら、
 
①近づいてきて、顔を覗き込む
➁「いやぁ、兄ちゃん、えらい男前やね~」と声をかける
➂ビビるテヤンにおかまいなしに、「いや~、タレントさんなん?うち、知らんけど?なんていう名前?」と聞く
④テヤンが答えようとしても、その答えを待たずに、通りかかった知り合い、または知り合いでなくても、「ちょっと、奥さん、この子、知ってる?えらい男前やわ~テレビに出てるんやろか?」と仲間を増やす
⑤声をかけられた「奥さん」も、「え~?誰々?」と言って近づいてくる
⑥ハッと気がついたら、4~5人のおばちゃん、たまにそこに自転車で通りかかった、おっちゃん一名くらい混じって、取り囲まれている
 
という事態を、超簡単に作り出すので、注意してね?
 
sf9のメンバーも、うろうろするのなら、ミナミはやめとこか。キタにしとこ、キタならまだちょっとましやから。
(←元大阪府民の「おばちゃん」の言うこと、聞いとき!)
 
さあ、22時を超えましたね?
お肌のために、もう寝なくては・・・
 
ファンタジーの皆さん、ZEPPなんばで、盛り上がりましょう!
そして、ソウルに駆けつけていらっしゃるロウンペンの皆さん、ロウンと一緒に「僕の古い引きだしの中の海」を一緒にコーラスして、盛り上がって下さいね?
ご報告、お待ちしています。
 
では、お休みなさい。
 
(画像は全てお借りしました)