うじうじっ子、30数年後 (40年弱後) | グローバルに波乱万丈



私、子供の頃、ものすごくシャイで内気で、うじうじした子だったんです。


町内のこども会のキャンプとかクリスマス会とかで、

皆がワイワイやってても、自分から加わっていくことが出来ず、

離れたところで一人で突っ立ってる子でした。


未だに記憶にはっきり残っているくらいですから、

相当、皆が羨ましく、相当、仲間に入っていけない自分が情けなかったのでしょう。



でもそれは、三十数年前の話...

(“四十年弱” と書いた方が正確なんだけど、数年ほど年を誤魔化してみる。)


“四十代になって生き易くなった。” とか、“四十過ぎた今の私が好き。” とか

よく女優さんなどのインタビューの記事で見かけますが、本当にそうです。






私の住む街には、アメリカ国内ではシカゴの次に大きいコンベンションセンターがありまして、

ディズニーあるし、ユニバーサルあるし、ゴルフ出来るし、天気いいし...

世界中から集まって、コンベンションが開かれます。


コンベンションの人材派遣の会社に勤める知人に、日本語が喋れるスタッフが必要だからと頼まれ、

二十年以上専業主婦の私が、制服の白のポロシャツ&黒のパンツスーツを着て、

会場の案内&会計係りをすることになったんです。



バイリンガルのスタッフのカウンターには、他に、

中国人、ドイツ人、スペイン語のペルー人、二十年パリ在したアメリカ人の、五十代の女性達でした。


会って十分後には、ジョーク飛ばして、ぎゃーははは。

一時間後には、ドイツ人の人と元パリ在のアメリカ人の人に、

「ねーねー。 お茶かランチしようよ。」 と提案し、電話番号を交換。

来週、水曜か金曜にカフェレストランで集合予定。

数時間後には、中国人の人と打ち明け話に二人で目を潤ませ、「うんうん。 わかるわ、わかるわ。」


(仕事、ちゃんとしましたってば。)




今では、知らない人に自分から話しかけていくこと、全くなんともなく、

そのままの自分をさらけ出し、こんな私を気に入ってもらえたなら、

“Thank you very much.”

気に入ってもらえないから、

“Too bad. 人の好みはいろいろだから仕方ない。”

相手にどう思われるとか、あまり気になりません。



また、相手のことも、あまり気になりません。

ペルー人の彼女は、神経質で不満が多い人で、問題点のある人だったのですが、

(普通、ペルー人はいい人が多く、意外に日本人と合うタイプなんですけどね。)


私の口癖なんですが、

“Everybody is different. People have their own reasons why they are how they are.”

(人は同じではなく、どうしてその人がそんなのか、それぞれ理由があってのこと。)

ですから、人の非や自分との違いはそれほど気にならず、一緒にいる間は仲良くできます。




四十過ぎた頃から、度胸がつき、細かいことに拘らなくなり、変なプライドや見栄がなくなり、

人に対しても自分に対しても、優しいというか、大らかというか、いい加減というか、

生き易く、そんな自分が好きで、だからまた生き易く...



昔からこんなかったら、こども会も楽しく過ごせたのでしょうが、

まっ、人生にはいろんな段階があり、それを登って行くものでしょうから、順番抜かしは出来ず、

今に自分があるには、過去の自分が必要だから、仕方ないですね。



な訳で、お金頂き、楽しい時間を過ごし、友達作った、なんともありがたい機会でありました。