今週の 『CSI:ニューヨーク』 を観ながら、胸が苦しくなった。
いつものように殺人が起こり、CSIのメンバーが捜査をして犯人を探し出すのだけど、
それと平行に繰り広げられる、ラボ研究員のアダムと彼の父親の関係についてのストーリー。
アルツハイマーの父親に会いに、アダムは老人ホームに通う。
ヒドイ父親だったのに、アダムはガールフレンドとの時間を我慢してでも、父親に会いに行く。
アダムが過去の話を明かしたCSIチームのリーダー、マックは
「どうして、それでも父親に会いに行くんだ?」 と訊く。
アダムは苦しそうに、 “ I am his son. I feel obligated.” と答える。
「息子だから...」
“obligated”、“obligation”... 日本語で “義務”、“義理”、“恩義”?
息子だから... 子供としての義務を感じるから。
アダムは、涙を流しながら続ける。
「アルツハイマーの父の記憶は、どんどん薄れていく。
自分は、ののしり全て、殴打全て、アザ全て... 全て覚えているのに。」
私も、涙が流れた。
“子供としての義務”
“記憶に残る言われたヒドイ言葉、されたヒドイこと”
この二つの間に挟まれ、苦しめられる。
頭は、どうするべきかよくわかっていても、心がわかりたくない。
親が年取ると、“子供としての義務” を強く感じ始める。
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その義務を果たしてないと罪悪感を感じ、苦しむ。
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無意識にその罪悪感の苦しみから逃れようとし、義務を果たさない理由に集中する。 精神のディフェンス・メカニズム。
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義務を果たさない理由、言い訳。 = “記憶に残る言われたヒドイ言葉、されたヒドイこと”
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罪悪感が増すほど、過去を辿っては、親に心を傷つけれらたことを探してしまう。
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ツライ記憶にとり付かれ、こだわり、苦しむ。
今の私。