あまり日本時代のことは考えたくなく、無意識に記憶から押しやっているのか、
覚えていることが限られているのだけど...
学生服を着た自分が、高校のグランドで友達に向かって、
いついつに誰々のうちでお泊り会があって、誰々と誰々と誰々が行くんだけど、私も行ってもいい?
と、緊張にどもりながら、親に許可を得る練習をしているシーン。
友達の門限よりも数時間も早い自分の門限が過ぎてしまい、パニック状態で家路を走っていて、
玄関の外の照明の下に、母親が怖く、冷たい顔をして立っている姿が見えてくるシーン。
そんなことばかり、浮かびます。
結婚、出産後も、たまに遠いアメリカから帰省しても、子供の面倒は母親がするものっと、
友達に会いに出かけさせてもらえませんでした。
友達はしょっちゅう実家に子供を預けて、食事やコンサートに出かけるという話に、悲しい思いをしたものです。
他の友達が出来ることを私はさせてもらえなかったこと、傷になっているのでしょう。
親になった私は、トラウマ的に、極端なほど真反対に息子達を育てました。
昔から息子達に言っていたことは、
「しないといけないことをやってしまえば、後は思い切り楽しいことをすればいい。
楽しいことのし過ぎということはないんだから、片っ端から楽しいことをしたらいい。」
友達からの誘いを断らせたことは一度もないし、しょっちゅうパーティやお泊り会を企画したり、
友達と一緒に息子達をディズニーや映画館、ビーチに連れて行きました。
今では毎週末、友達がやってきますが、「またぁ?!」 と内心思っても笑顔で迎えます。
私の親は、あからさまに嫌な顔をしてましたから。
主人がキーウエストのハイアット・リージェンシーの二泊招待状を貰ってきたので、長男と彼女に行かせました。
息子達の楽しそうな顔を見ることで、何よりも幸せな気持ちになれるんです。
最近、考えるんです。
どうして私の親は、私が息子達のことを想うようには、私のことを想ってくれなかったんだろう?
私が楽しい思いをすることを、何故あんなに嫌がったんだろう?
娯楽が人間をダメにする、みたいな考えがあったのだろうか?
冷たい滝に打たれたり、好物を絶ったり、我慢や辛抱により人間ができるという日本人の思想から、
私が楽しむことは、私に良くないと思ったのだろうか?
20年以上、日本文化に触れず生活してきた私は、考え方が西洋化してて、日本の価値観がよくわかりません。
日本では、近所の目があるからあまり頻繁には旅行に行けない、みたいなことがあると聞きます。
欧米では羨ましがられるくらいで、たくさん楽しいことをすることを批難されることはありません。
やっぱり、日本には娯楽に対して批判的な考えがあるのでしょうか?
自分の親との関係を含め、日本の親子関係を理解したく、まず日本独特の思考、信念、価値観を把握しようと、
欧米の心理学者、人類学者他が、日本人、日本社会を外から分析したのを、いろいろ読んでいるところです。
やっぱり儒教と、儒教を崇拝した江戸時代に築かれた封建制が、今の日本人の意識に大きく影響しているみたいです。