回顧録: 息子への手紙 8 | グローバルに波乱万丈

Dear MY SON、

誰にも言ったことがないんだけど、ちょうど前夫の事故が起きた時間に、数回だけなって切れた電話があったの。 その電話が取れなかったことが気になって、時間を覚えていたんです。 私は魂とか霊とか信じないんだけど、今でもその電話は前夫からだったような気がして仕方ありません。 


あの日、貴方が4ヶ月になった日。 病院から、「奥さんですか? ご主人が事故に遭われました。 病院に来てください。」と、電話がありました。 動揺し、必死で前夫の状態を質問する私の英語、ひどいものだったのでしょう。 病院の人が時間をかけて、日本へ宣教に行った日本語ができるスタッフを探してくれたんだけど、「ご主人が事故に遭われました。 病院に来てください。 電話で説明はできません。」 同じことの繰り返し。 自分の英語力の低さが情けなかった。

事故の日のことはあまり記憶にないの。 病院に駆けつけた時に渡された透明の袋の中の前夫の服を、待合室で眺めながら、「救急室に運ばれた時に切り裂かれてしまって... お気に入りの服だったのに、もう着れないわね。」 事の大きさを把握してなかった私は、そんなことを考えていたのを覚えています。 

もうひとつ覚えているのは、集中治療室で彼の体中にたくさんの管や機械が繋がっているのを見て、ショックで呼吸が速くなって気を失いそうになり、「酸素が頭に入り過ぎている! これを口に!」と、誰かが小さな紙袋を渡してくれたこと。 

バイクに乗っていた前夫は、飛び出してきた車との正面衝突を避けようと瞬間にバイクを横にしたのだけど、衝撃で体が飛ばされ、アスファルトで頭をひどく打ち、内臓が破裂し体内出血ということでした。 ベットに横たわる前夫の剃られた頭にはたくさんのワイヤーが貼り付けられ、お腹の両側に穴が開けられ、血を出すための太い管が差し込まれていました。 肺は止まっていたので、喉の開けられた穴にパイプがはめられ、呼吸できるように定期的に機械から空気が送られていました。

事故は大学のキャンパス内の大学病院の近くだったの。 私は事故現場を見る勇気はなく、一度も行きませんでした。 集中治療室のドクターが、「設備の整った大学病院の近くでなかったら、命はなかったでしょう。 でも、それが良かったのか、悪かったのか...」と、言うのが私にはよく理解できませんでした。 「良かったに決まっているじゃない。」、そう思っていたわ。 

数日後、頭蓋骨の中で脳が膨張していて、圧力で脳にダメージが起こってしまうので、頭蓋骨に穴を開けて圧力を下げるべきかも知れないという状態でした。 そんな時、一番気にかけてくれていたドクターが、「この州の法律では、家族の判断で呼吸の機械を止めることができるんです。」と、言ってきたの。 そんなことを言うドクターに少し腹が立ったし、前夫を逝かすかどうかの判断なんてできるわけなかったわ。 後にその判断をすることになるとは、その時は思ってもみませんでした。 

そのうち、脳の膨張が引き、彼は機械なしで自力で呼吸をし始めたの。 奇跡だと思ったわ。 喜ぶ私を心配したドクターは、集中治療室から脳外科に移る時、「希望を持ちすぎると、もしもの時にショックが大きいから...」と、忠告してくれたの。 でも、私は前夫は植物状態から目を覚まし、完治するものと決め付けていたわ。 “結婚して子供が生まれて、人生のうちで一番幸せな時なんだから。 これはハッピーエンドで終わる奇跡の話なんだ。”ってね。

バックにおしめ、ミルクを詰め、貴方をカーシートに乗せ、片道45分の道のりを運転し、乳母車を駐車場からビルの上階の病室まで押し、毎日彼のところに通い続けたわ。 その頃の私の英語は小学生レベルの会話くらいしかできなくて、恥しくて人と話するのが嫌だったの。 でも、前夫に起こっていること全てを理解したく、病院で辞書をひきながら質問したわ。 私の英語は病院で学んだようなものね。 脳外科のドクターや看護婦さんの説明でわからない単語があれば、スペルを紙に書いてもらい辞書で調べたわ。 必死でした。 そんな私のことを気の毒に思ったんでしょうね。 皆、とても優しくしてくれました。 お母さん、のちに刑務所に行かなくて済んだのは、その人達のおかげかも知れないの。 

そんな数ヶ月が過ぎたある日、脳外科の科長医師がやってきて、「もしかして、貴方達、健康保険もってないの?」って聞かれたの。 貧乏な学生結婚の私達は、保険を払うお金がありませんでした。 まだ賠償の話はついていなかったし、病院側としては支払いがどうなるかわからない患者をおいておきたくなかったのでしょう。 アメリカではよく聞く話よね。 翌日、その病院を出て長期患者用のクリニックに移るように言われ、移動のための書類を渡されたわ。 

その書類のある欄に、「MOST LIKELY NEVER.」って書かれていたの。 知っている三つの単語だけど、どういう意味なのかわかりませんでした。 MOSTは“最も、ほとんど”、LIKELYは“らしい、見込み”、NEVERは“ない”。 その欄の項目を辞書で調べてみると、“退院予定日”... 胸いっぱいだった希望が、一瞬のうちに薄れていったわ。 「退院の見込みはほとんどなし。」という意味だったのでした。 涙が止まらなかった。 だから今でも、お母さん、“MOST LIKELY NEVER.”という表現を使うの嫌なの。 

それでもあきらめずに、植物人間になった前夫を目覚めさそうと精一杯でした。 また、三人で一緒に暮らしたかった。 

続きは次の手紙で...


From、MOM


追伸

4ヶ月だった貴方は、事故の夜から突然夜通し寝始めてくれました。 病院通いでくたくたなお母さんを休ませてくれました。 貴方はいつもお母さんのことを気遣ってくれる優しい息子。 私は幸せな母親です。 I love you with all my heart, and I will always love you no matter what. You are my son forever and ever.