回顧録: 息子への手紙 9 | グローバルに波乱万丈

Dear MY SON、

魔法をかけられ眠りにつくオーロラ姫。 王子様のキスで目を覚ます... 「眠れる森の美女」の結末、ドラマチックよね。 私も、私のキスで前夫が目覚めるシーンを何度、頭の中で描いたことでしょう。 

植物人間は、オーロラ姫のように美しいものではありません。 醜いものです。 前夫も、焦点の合わない目を見開き、歯を食いしばってよだれを垂らしたり、顔をゆがめたり、まるでモンスターのようだったわ。 やせ細った腕や足の筋肉は縮み、ゆがんだ体を常に硬直して、ガタガタ揺すこともありました。 ベットに横たわる人が、あのハンサムで体型の良かった前夫とは信じれない、それはそれは哀れな姿でした。  

私は、彼はそんな体の中に閉じ込められているだけと信じていたの。 私の声が聞こえていて、体が動かせないだけだって。

「私が誰だかわかる? “YES”なら、手を一回握って。 “NO”なら、二回握って。」

「...“YES”なら、瞬きを一度して。 “NO”なら、二度して。」

刺激を与えることで脳が快復することもあると本で読み、手足をマッサージ、口の中に氷を入れたり、レモンや飴を入れたり... 馴染みのあるもので脳をよみがえられるとテレビで観たのを思い出し、普通に会話をしているような口調で話しかけたり、昔の写真を開いている目の前に持っていったり... 他に何をしたかしら。 そうそう、彼が使っていたコロンを鼻に近づけたり、好きだったU2の曲をかけたりもしたわ。 何ヶ月も何ヶ月も、あきらめずに。 

でも、何の変化も上達もなく月日が流れ、だんだんと現実を把握してきたわ。 私は、夫を失ったんだって。

バスルームの髭剃り、タンスの中の服、引き出しの腕時計... 目に入るのが辛くて押入れに仕舞い込んでも、すれ違う人の彼と同じコロンの香り、ラジオから流れてきくる彼の好きだった曲、店に並ぶ彼が好きだったフレーバーのアイスクリーム... 彼を思い出させるもので周りはいっぱいでした。 

一番辛かったのは、疲れや眠気で気を抜いた時。 ある日、義父が電話をしてきて、前夫がしていたように、「ハロー」を言わずにいきなり私の名前を呼んだの。 親子だから声も言い方もよく似ていました。 一瞬、考えもせず前夫からだと思い、次の瞬間、現実を思い出し... 私は受話器を握ったまま、泣き崩れたわ。 気を悪くした義父は、それ以来、必ず「ハロー」と言ってくれるようになりました。 

それまで大切な人を失ったことがなかった私には、突然、世の中が悲しみでいっぱいに感じられました。 まもなく湾岸戦争が始り、戦死のニュースがレポートされる度、息子を、父親を、夫を失った家族を思い、テレビの前で泣きじゃくっていたわ。 人の悲しみがまるで自分のもののように感じられ、苦しくてしょうがありませんでした。 どうして世の中には、こんなにも悲しいことが起きないといけないのかしらね。 

移されることになったクリニックに手続きに行った時の、ある光景が今でも目に焼きついています。 そのクリニックは、長期入院の脳障害者のためのものだったの。 施設の案内で通された大部屋は、脳への障害で成長が狂い、奇形した子供達でいっぱいでした。 頭だけは標準サイズで、体は幼児のままの子供達。 空中を見つめてヘラヘラ笑っていたり、奇妙な声を出していました。 あれほど悲しい光景、見たことがありません。 罪のない子供達。

目の前が真っ白になり、音が聞こえなくなり、なぜか、子供達の乾いた喉のためのベポライザーからの蒸気だけが見えていました。 私、倒れかけたのでしょう。 誰かが椅子を持ってきて、座られてくれました。 お母さんね、なかなか出ない声で、「息子を抱かせてください。」と頼んだの。 手渡してもらった、乳母車で眠ていた貴方を強く抱きしめ過ぎて、貴方を泣かせてしまったわ。 

貴方の小さな体を感じることだけが、私の精神を正常に保っていました。 事故の夜以来、私は貴方を胸の上に置かないと眠むれなくなっていたの。 貴方の重みを感じていないと、悲しみで胸がはじけてしまうような気持ちでした。

看護婦さんの話によると、そのクリニックの子供達の家族は、ほとんど面会に来ることはないということでした。 可哀そうな子供達。 そして、可哀そうな親達。 どうして世の中には、こんなにも悲しいことが起きないといけないのかしらね。
 
一度、前夫のバイクの前に飛び出た車の運転手が、病院に来たことがありました。 五十代の女の人だったわ。 アメリカのことだから賠償のことを気にしてか、謝るとかもなく、「できるだけのことをしてみるわ。」っと言って帰って行きました。 でも、世の中の悲しみで胸がいっぱいだった私、あの人への怒りは全くなく、気の毒にすら思ったの。 「罪悪感を抱えて残りの人生を生きていくのかしら。 可哀そうに。」などと、考えていたわ。 怒りがなかった分、楽だったと思うの。 怒りなんて自分を苦しめるだけで、何の解決にもならないわよね。

私、義理の家族、特に子供がこんなことになってしまった義理の両親が、とても可哀そうだったの。 自分も親になり、もし貴方に何かがあったことを想像し、義父や義母をいたわってあげたい気持ちでいっぱいでした。 でも、“冷めた娘”と言われていた私が、初めてあんなにも人のことを思いやったことがもとで、“悪い女”扱いされることになるとは... なんて皮肉なんでしょう。 

続きは次の手紙で...


Love、MOM


追伸

もし、相手の悲しみを自分のものとして感じる努力すれば、自然と優しくできるものだと思います。 いつでも、人の悲しみを感じることのできる人でいてください。 I love you with all my heart, and I will always love you no matter what. You are my son forever and ever.