回顧録: 息子への手紙 4 | グローバルに波乱万丈

Dear MY SON、

やっぱり、前夫の単独行動が教会に見つかってしまいました。 宣教期間2年も残り数ヶ月の時だったわ。 教会は、彼を一旦また他の街に送ったのですが、アメリカへ送り返することに決めたようでした。 私のことが教会に知られてしまったのでしょう。 「必ず日本に帰ってくるから、僕のことを待っていて。」 そう言い残して、彼は宣教を修了せずにアメリカへ帰っていきました。 さぞかし親の顔を見るのが怖かったことでしょう。  

宣教師達の間で、前夫のことは噂になっていたそうです。 彼の父親は有名人だから、話も早く広まったことでしょうね。 ある宣教師が、始め前夫の両親は「そんな恥の息子を家に受け入れない。」と、彼を拒否したという話だと教えてくれたの。 手紙で前夫にそのことの確認をしようとしたんだけれど、彼は答えてくれなかったわ。 私に両親のことを怖がらせたくなかったのでしょう。 でも、彼の両親は息子を失うくらいなら私のことを受け入れるしかないと、考え直したらしいんです。 世間体よりも息子の気持ち、息子との絆を大事にしたのね。 私、今親になって、その時の彼の両親の気持ち、よくわかるわ。 

たくさんの手紙がアメリカと日本を行き来しました。 eメールもスカイプもない時代だし、国際電話は一分間が2ドルくらいする時代でしたからね。 郵便は5日くらいかかったのかしら。 


実はね、その手紙の束、押入れの奥の奥に収めてあるの。 埃かぶっているわ。 別にまだ彼への気持ちが残っているとかじゃないのよ。 お母さんがどれだけお父さんのことを愛しているか、貴方も知っているわよね。 ただ、捨てることができなかったの。 前夫がこの世に居た証を抹消するようで、なんだか可哀そうな気がして。 でも、この貴方への手紙を書き終えたら、22年経った今、やっと捨てることができるような気がするわ。 


始めは彼が日本へ戻ってきて日本で生活をするという計画だったんだけど、やっぱり将来のためにアメリカで大学を卒業して日本へ移りたいから、私にアメリカに来てほしいと連絡がありました。 突然そんなことを言われ、当惑したわ。 私、アメリカ生活なんかしたくなかった。 日本で暮らしたかったの。 でも、なんだか“乗りかかった船”状態で、毎日のように、「愛している。会いたくて堪らない。」と手紙が来ていたし、こんなに愛されているなら幸せにしてもらえるかなって思ったの。 会社に退職願いを出し、航空券の予約をしたわ。 まあ、アメリカ生活と言っても、どうせ彼が大学に行く数年間だけと思ったし。

彼の両親は私とのことを認めたとは言え、さずがに宣教中にディスコのお立ち台で踊っていた私をナンパしたなんて、言えたわけないわよね。 両親には、教会に興味を持った私に彼とパートナーが神のことを教え、私は洗礼を受けた教徒と説明したらしいの。 だから、話が合うように、アメリカに行くまでに洗礼を受けないといけなくなった訳。 洗礼を受けていると教会に登録されるから、嘘はつけないんです。

洗礼を受けるには、前夫と同じようなにアメリカから来ている若い宣教師の二人組みから、何回もレッスンを受けないといけませんでした。 アメリカ出発まで日にちが余りなかったから、毎日仕事の後、30分くらいかけて教会に行き、神だの天国だのの話を興味あるような顔して聞いていたわ。 気が狂いそうだった。 教会に来ている教徒の人達、互いを“OO兄弟”“OO姉妹”って呼び合って、いつも神様がどうのこうの。 カルトではないんだけど、私にはそう思えたわ。 でも、前夫の両親とうまくいくためだから、耐えて通い続けました。 

レッスンを重ねていくうち、ますます教会の教えに納得がいかず、不満がたまっていきました。 私とは全く違う世界の教徒さん達を見ていると、人口のほとんどがその宗派の教徒だという彼が住む街で、教会の教えに従うふりをして、神のことばかり口にする人達の中で生活することを想像し、ぞっとしたわ。 それに、あまりにも一生懸命で、人のいいの若い宣教師達に嘘をついている自分に嫌気がさし、ある日レッスン中に涙が出て来て... きっと、アメリカに行くことに不安を感じていたというのもあるんでしょうね。 宣教師達に本当のことを話してしまったの。

数日後、洗礼を受けることになっていた日の寸前に、「貴女は神を信じていない。 申し訳ないけど、洗礼はできない。」と、宣教師の一人に言われたのです。 私は、「私が洗礼せずにアメリカに行くと、どんなことになると思うの!? 私の人生をめちゃめちゃにする気なの?!」と叫び、宣教師の彼を泣かせてしまいました。 若かったとは言え、なんて酷いことをしたのかしらね。 アメリカでその彼に会う機会があり、ちゃんとあの時のことを謝ることができたんだけどね。 悪いことをしたわ。

そうそう、教会からの特別の許可で前夫は彼の州で宣教を継続し、宣教期間を完了することができたんです。 それで少し両親も安心したようでした。 だけど、私が洗礼を受けてないことでどういうことになるのかと、二人とも不安いっぱいの気持ちだったわ。 

一旦また日本に帰るつもりで往復の航空券を買い、アメリカに行くことになりました。 それでも、日本を発つこと、胸がはち切れそうに悲しかったわ。 時間が止まってほしかった。 往復チケットだけど日本へはもう帰って来ないと、内心わかっていたのかも知れないわ。 

桜が満開の時でした。 たくさんの人にお別れを言い、一人新幹線に乗った私。 新幹線の窓から見る桜が満開の故郷が涙で霞み、薄いピンク色に見えたのを今でもはっきり覚えています。 もうホームシックになることなんかない私だけど、一年に一度だけワシントンの桜が満開というニュースで日本を恋しく想うのは、そのせいかもしれません。

続きは、次の手紙で...


Love、MOM


追伸

貴方を失ってまで守らないといけないものなどありません。 貴方ほど、貴方の気持ちほど大切なものなどありません。 I love you with all my heart, and I will always love you no matter what. You are my son forever and ever. “貴方がどんなことをしても、どんなことになっても、私は貴方のことを愛し続けます。どんなことがあろうと、ずっと貴方は私の息子です。”