回顧録: 息子への手紙 3 | グローバルに波乱万丈

Dear MY SON、

前夫は、夕方になると私が働いていた会社のビルの前で、毎日欠かさず待っていました。 他で待ち合わせれば教会関係の人に見られる可能性が少なかったのに、ひと時でも早く私に会いたいと、人通りの多いビルの入り口で立っていたわ。 教会から別行動を禁止されているのに、パートナーの白人はどこで何をしていたのかしらね。 監視し合わないといけない二人ともが、そんな感じだったからよかったんだけど、同じアパートに住むもう一組の宣教師達はそうはいかず、どこかで待ち合わせて一緒にアパートに帰っていたわ。 でも、携帯がない時代だから連絡が取れず、かなりリスクのあることだったのでしょう。

ある日、彼が動揺して電話をしてきました。 単独行動が教会に知れ、パートナーは即時アメリカに送り返されたの。 そのパートナーは前にも問題を起こしたことがあったらしく、教会が容赦せず厳しい処罰をとったようでした。 そして教会が前夫の処分検討中、とりあえず他の街で別のパートナーと宣教を継続ということになったらしいの。 電車で二時間近くかかる街への即日移動でした。 私への電話を切ったすぐ後、彼をその街へ連れて行くために教会の人がアパートへ来たようでした。 

新しい街から毎日電話がありました。 私に会えないのがとても辛そうだったわ。 私は... どうだったのだろう。 友達と遊ぶのが忙しく、そんなにまで彼のことを考えてはいなかったような気がします。 相変わらず、友達とディスコや飲みに出かけていたわ。 

彼に催促され、移動後ニ、三週間経ったクリスマス後の週末に、電車に乗って彼に会いに行きました。 新しいパートナーは真面目な宣教師でしたが、朝から晩まで私の話をする前夫に妥協し、仕方なく協力することにしたと愚痴っていたわ。 考えてみれば、あんなことに巻き込まれてしまって、可哀そうな人だった。 見つかったら共犯者だものね。 さすがに別行動には同意しなかったようで、駅に一緒に来ていたわ。 

駅に着くなり、彼は「メリークリスマス!」って、嬉しそうに駅のロッカーのキーを私に手渡してくれました。 急かされてロッカーを開けると、そこにはロッカーいっぱいのプレゼント。 シャネルの香水、腕時計、バック、イヤリング、テディベア... そして、小さなダイヤモンドの入った金の指輪。 プロポーズだったのです。 彼は小さな子供のような顔をして、どきどきしながら私の反応を待っていたわ。 私は本当の気持ちは、喜びというよりも憂鬱でした。 “私はこんなにプレゼントをもらえるほど価値のある女じゃないの。 そんなに好きにならないで。”って、心の中で叫んでいたわ。 

その時、新しい宣教師のパートナーの人が呟いたの。 「ここまでして、もし結婚できなかったら単なる愚か者だよ。」  頭の中で“単なる愚か者”という言葉がコダマしたわ。 「彼を愚か者にしてしまうのは可哀そう。」って、更に憂鬱な気持ちになりました。 


私は自分の意思や気持ちを、はっきり示すことができない人でした。 強そうな態度をとり、冷めていて投げやりだと周りには思われていたけど、結局は自分に自信がない、人から嫌われるのが怖い、弱い人間だったのです。 いつも周りに流されていたわ。 


彼を“単なる愚か者”にはしたくなく、結婚することに同意したの。 いい加減な理由よね。 「YES」という私の返事に彼はもちろん嬉しそうだったけど、私の気持ちが揺れているを感じて不安そうだったわ。 早く話を固めておきたかったのでしょう。 早々に、彼はその可哀そうなパートナーを引き連れて、二時間以上電車に乗り、私の両親のところにも挨拶に行ったわ。 パートナーはどこで待たせたのだったかしら。 いつ教会からの処分が下され、どこに飛ばされるかわからない状態でしたからね。 毎日ドキドキでした。

アメリカの彼の両親には... これが問題。 宣教中に恋に落ちて結婚することにしたなんて、その宗派ではとんでもないこと。 それじゃなくても、いろいろ荒れて日本に宣教師として送られた彼は、厳しい両親にそんなことを言えるわけもない。 でも、その時点では、私はそんなことは全く理解していなかったの。 彼の両親は私に会うのを楽しみにしていると、彼は私に嘘を吐いていたわ。 彼の両親からどんなふうに思われているかも知らず、のこのこと私はアメリカへ行くことになります。 

でもね、そんな複雑な状態でも、気持ちが揺れることがあっても、彼と結婚したのは、やっぱりあの写真が理由だったと思うわ。 自分も、長年連れ添った主人の腕で微笑む、あの女性になれると信じていたのね。 お母さん、幸せになりたかった。

続きは、次の手紙で...


Love、MOM


追伸

貴方は私に似ず、自分をしっかり持った人に成長してくれたことを、お母さんはとても嬉しく思います。 虚心と自尊心のバランスの大切さも、よく理解してくれているようね。 自分が日本人ということを誇りに思っていることもとっても嬉しいんだけど、アメリカ生まれのアメリカ育ちの貴方が「日本出身です。」って自己紹介するのは、ちょっとどうかしら。 I love you with all my heart, and I will always love you no matter what. You are my son forever and ever.