父、桜、涙
一年前の今日、父が逝った。本人の希望でお葬式すらしなかったから、一回忌の集まりなんてしない。代わりに、今滞在中のモロッコで父のことを想うことにした。一人にして欲しいと、夫達に出掛けてもらった。父を想いながら、ここに父の最後を書き留めることにする。きっと涙が止まらないだろう。それもいい供養じゃあないかな。我が家はぐちゃぐちゃした家庭だったし、私は父に甘えるような娘ではなく、可愛がってもらった記憶もない。写真箱から出てきた父との写真に当惑したほど。でも、最後はいい父娘だった。そう思いたい。二年半前の母の脳梗塞以来、私は片道27時間かけてフロリダと広島を一年に四回往復し、親の世話をしてきた。脳梗塞で母はもう父の面倒は看れなくなり、私もずっと日本には居れないので、認知症が始まり、常識や判断に波が出てきて、下の始末が危くなった父を老人ホームに入れた。つらかった。ガリガリに痩せてしまってたのに何故か力はあって、ドアや窓の鍵は壊すし、賢い人だったので、従業員用の小細工してある隠しロックも見つけてしまうのだ。夜中抜け出し、雨の中を歩いて家に帰ってきた時は、老人ホームのマネージャーからうちの施設では看れないと断られてしまった。私にとって異国となってしまった日本で、家族から遠く離れ、母の脳梗塞後の世話もしていてクタクタだった私は、マネージャーから断られた時、父の前でしゃがみ込んで泣いてしまった。その姿を見て、父は「ごめん… ごめん… もう迷惑かけんから。」と顔を歪めて泣くのだ。父が泣くのを見たのは、あの時が初めてだったように思う。もっとよく調べ、父に合う施設を選ぶべきだった。父の前で泣くべきではなかった。父のあの時の涙顔を思い出しては、今でも後悔で涙が流れる。施設の対応もひどく、父の行為は悪化し、一旦精神科医に入院させられしまったけど、可能な限り面会を続けた成果もあって父の様子は落ち着き、二ヶ月ほどで退院許可が出て、よくよく調べて決めたグループホームに入ってもらった。「わしはここでの生活が向いとる気がする。」と言ってくれるほど慣れてくれ、安心して間も無くの頃だった。思い返すと最後になった私のグループホームへの訪問の時も、父は玄関まで見送りに出てくれたけど、私の手を握り締め、私の顔を長いこと見つめていた。父は何か感じてたのだろうか。二ヶ月後のその次の帰国では、病院に入院してた父はもう声も出せず、歩くこともできなかった。そして、そのまた二ヶ月後の帰国の二週間前、父の容態の悪化し、予定変更して帰ってきた方がいいと連絡が入った。直ぐには飛べない状況だったので、ビデオ通話で「もう少しで帰るから待てってよ。待っててよ。」と言うと、親指を立ててグッドサインをしてくれた。ビデオ通話の後、看護師さんに「別人のようですね。」と言われるほど回復したらしい。私にもう一度会おうと頑張ってくれたのだろう。出発まで長い二週間だった。広島に到着次第、父に会いに行った。毎日行った。そのうち桜が満開となった。ドライブが大好きだった父に、どうしてももう一度桜を見にドライブさせてあげたかった。車椅子用のタクシーではなく、普通車の助手席に乗せ、ドライブのように桜を見に連れて出たいと、泣きながら何度も何度も頭を下げて頼む私に、施設の人達は「こんなことを頼む家族さんは始めてです。協力します!」と他の階のスタッフも出てきてくれ、骨と皮だけの弱々しい父の頭、父の脚、酸素タンクをそれぞれが抱えて助手席に乗せて下さった。ありがたいこと。36年前、広島が桜満開の日に私は渡米した。あれ以来、満開の時に日本に居るのは初めてのことだった。フロリダには桜は生えない。35年ぶりに見る満開の桜は父と一緒だった。桜満開のニュースを観る度に、私が渡した桜の花を父は目の前に持って行き、くるくる回して見たことを思い出し、涙流すのであろう。桜を一緒に見た数日後、父は目は開けるが意識がはっきりではなくなっていた。手足がますます浮腫み、命の綱の点滴が身体に入らず、父の足は点滴の針でアザだらけで可哀想だった。看護師さんに「次に漏れたら、もう点滴はいいです。」と伝えた。もうろうとしながら、天井の何かを追うように目を動かす父に、「弥生よ。分かる?弥生がおるのわかってくれとる?」と問うと、親指を立てていた。少ししてまた問うと、やはり親指を立ててくれたので、分かってくれてたのだと思う。「お父ちゃん、はあ頑張らんでええわ。今までずっと私らのために頑張ってきてくれたんじゃけ、はあええわ。ありがとね。待っててくれてありがとね。はあ頑張らんでええよ。」と父の耳に囁いた。帰りのシャトルバスの時間になってしまった。父のおでこにキスをし、帰るとは言わずにそっとベットを離れた。父に私がそば居ると思い続けて欲しかったから。病室のドアで立たずみ、父の姿をしっかりと目に焼き付けた。最後になることを私は分かっていた。それから数時間後、病院から連絡が入った。書きながらやっぱり涙が止まらない。でもいい。泣いてる私がもし父に見えてるなら、自分は娘からこんなにも大事に思われていたのかと、嬉しいに違いない。きっと知らなかったと思う。私自身も知らなかった。自分が父のおでこにキスするほどだなんて。一年経ってもこんなに涙が止まらないほどだなんて。「弥生さんや。はあ泣きんさんなや。」と照れくさそうな笑顔で言う父の声が聞こえてくる。