どうしても『変えられなかった』こと

なんか涙が止まらなくなって、これを書いてる。

 

どこを見るかで本当に現実って変わる。

 

同じことが起こっていても。どこを見るか、どこを切り取るか。

 

すごくすごく涙が出るんだけどさ。お母さんが良く、「わたしばっかり」っていうのが、口癖だった。

実家を離れてずいぶん経つのに、

 

その記憶が寝起きでぐるぐると頭を回って、頭が痛くて、

 

自分に対しても他人に対しても、ジャッジが止まらなくなるのが、本当に嫌で。

 

そんな自分が嫌いで、よく責めてた。アクセスを習ってからは、それは〇〇、というのがいるときだよ、と言われて、

 

それでも、クリアリングをしても止まらない。頭痛がして吐いても止まらない。

度々そんな状態になる、自分のことが本当に嫌で、コントロールできない自分の体が嫌いで、

 

もう、一生、【自分を生きる】なんて、この人生じゃできないのかも、

だって、どんなにやっても変わらなかったんだもん。

 

もし自分が手放したくないのなら、どうにもできないじゃん。

 

そんな風に思って。

 

 

 

勝手に起きてくる出来事

 

自分に勇気がないから、とか、覚悟がないから、とか。

前進する覚悟がないとか、本気じゃないとか。

 

どんなにやっても、それが変わらないなら、心の奥底で、それが本当の自分じゃないとどんなに自分が叫んでいても、人には届かない。

 

こんなわたしが人と関わるなんて無理だし、本当に、自分が変わってきたと思った瞬間、起きた出来事で、自分のシャッターが落ちた。

 

というより、自分でも訳が分からないまま、涙が止まらず、起き上がれなくなって、なんでこんなに鬱みたいになってるんだろうってわからなくて。

 

でも、誰に頼ったらいいんだろう。誰に相談したらいいんだろう。

誰に相談したら、内側で起きてることを、ジャッジなくフィルターなく、観てくれるんだろう。

そんなことも本当にわからなくて。

 

 

今でも、その時何が起こったのか、よくわからない。

 

自分の【ドラマ】が起こしているの?

 

でも本当はそんなことなんて起こしたくない。

誰に言ってもわかってもらえない。味方がいない。話を聞いてくれる人がいない。

 

自分の【本当】を観てくれる人がいない。そんな感覚だった。

 

 

 

 

『このままじゃ終われない』…魂の声

自分の『本当』を生きたかったのに、どこかでそれを失った。

 

もう、この人生でどうしても生きたかった、本当の『自分』は、生きられないのかもしれない。

 

何度も、絶望のなかで再起をかけて、それでもダメだったから。

それでも、うまくいかなかったから。

 

どんなに生きたくても、失ってしまった『光』は戻らない。もう、この人生、本当に終わりかも。

 

…それぐらいの気持ちだった、1年半前。


わたしはきっと、『ダメ』なんだろう。

 

失敗ばかりして、自分の本質も生きれないで、表面的なものばかりに気をとられて、どうでもいいことで道を誤って、見失って、私が本当に生きたい光は生きられないんだろう。

 

 

もう、そんな感じだったんだけど。

 

 

『このままじゃ終われない』って、魂がものすごく強く言ってる、って、SATOMIさんに言われた時。

 

…そっかぁ、みたいな。

 

正直、半信半疑だったんだけど。

 

 

 

自分の中の『無限の可能性』

たくさんの歓びに輝く分子、笑顔を観て、涙が出た。止まらなくなった。

 

頭の中で、ネガティブな声が聞こえて止まらなくて、壊れたテープみたいに、止めたくても止め方がわからない。具合が悪くて起き上がれない。happyな方をみたくても、それが叶わない。


どうやってもそれが『言い訳』にしかならず,それが自分で「選択」してることなら,どうしようも無い.

 

…それが『自分』なのかな、って思いかけてた時に、『あぁ、そうじゃなかったかも』って、思い出して、涙が出たの。

 

そうだった、歓びの分子でいたかった。

 

わたし、『光』でいたかった。

 

『光』を灯したかった。

 

自分が光となって、誰かを照らしたかったの。そうすれば、誰かが思い出すから。

 

 

誰かがうまくいっていて悔しくなったり、自分がどうしてもうまくできなくて、不甲斐なくて歯がゆくて、絶望したり、誰かに嫉妬したり、そんなのもつらくて、

 

本当は、そんなことがしたいんじゃない

 

ただ、わたしはわたしという『光』を灯したいだけ。

 

頭の声を消したいだけ。

 

親とか環境を恨みたいんじゃない。ただ、ず~~~っといつからかもわからない、聞こえてくるこの『頭の声…テープがなかったら』って、どうしても感じてしまうだけ。

 

 

 

 

自分の内側の『光』

 

福家友里ちゃんが、書いてくれていたことが目に留まって、また涙が出た。

 

 

 





 


もしかして、あきらめなくていいのかな。

 

自分が魂の光として輝くこと、あきらめなくていいのかな。

 

自分が輝けば、誰かがその光を内に思い出すことを知っている。

自分の光を、思い出す、誰かの心に光がともることを知っていた。

 

それが、点々と広がって、光が拡がっていくのを知っていた。

 

 

…もしかして、あきらめなくていい?

 

こんな私でも、それをあきらめなくていい?

 

今が程遠い状態でも、あきらめなくていい?

 

自分がやりたいこと、届けたいこと、光、あきらめなくていい??

 

 

願ってもいい?

 

自分が光って、輝いて、誰かにそれが届くこと、あきらめないでもいい?

 

願ってもいい???

それを望んでもいい???

 

誰かに光を届ける人間になること、あきらめなくてもいい????

 

 

…なんか、そんな風に想ったんだ。

 

とってもつらい。自分の光が見えないことは。真っ暗闇で生きることは。

生きる希望を感じられないことは。自分のことを信じられないことは。

 

だけど、本当に、自分が、ただ歓びで生きることができるかな。

 

自分の輝きを取り戻すことができるかな。

 

『ドラマ』を演じたいんじゃなくて、本当に、『自分でいたいんだ』という気持ちが、誰かに伝わったらいいな。

 

 

ただ、自分を生きて、ただ、自分でいたいんだ。

魂の、本質の自分でいたいんだ。



そのことを,わたしも,もう一度

真摯に願おうと思った.望むよ.


強く求めるよ.宇宙.


よろしくね.




なんだ,世界に求めていた「変化」は,『私』だったのか,って思った日✨


ずっと世界にみたかった可能性にわたし自身がなる