そう『在る』ように、在るために。
…最近の変化。(Part,②)。なんか、最近とにかく、読みやすくとか装飾するとか、とにかく省いて(めんどくさくて)ひたすら、閃いた時に、自分メモ、という要素が、いつも以上に強くなっているのだけど、今回も、その要素強めです。(スミマセ)*****…なんか、今日と言うか、今、ついさっきなんか閃いて、書こうというか書きたい感覚がやってきて、でも、それが何か、というと、うまく言語化できないまま、PCの前に向かいました。なんていうか、今『変革期(まぁまぁ大きいやつ)』にあるのは、間違いないんだけど、その中で、本当に外側の世界を排して自分の内側をみて、見つめなおす…望みなおす、みたいな感覚が強くあって、それはなんていうか、『今まで』望んできたものが、本当の本当に、自分だけの『内側』からくるものじゃないとしたら、(外側の要素…影響、もあるのだとしたら)『内側…自分の、本当の本当に、好きな(望む)こと』を、描きなおす、というような、要素が強く、くるのですよ。(あと、なんか『出会い』を示唆されることが増えてきた)*****これを、単に『願えば叶う』というよりかは、もっと単純なそして根底的な自分が創りたい世界ってなんなの?それは、世界を遠慮せずに(外側の世界を基準にせずに)。…というような、たとえば、わたしが今まで、〇リウッドスター、を仮にめざしてたとしてそれって、本当の本当に、〇リウッドスターになりたいの????本当に望むことって、それ??????…みたいな。外側で、そういう『わかりやすいもの』をゴールに目指すことを、『教えられて』憧れて、本当に『うちがわ』は、それを望んではいないのに、それを「ゴール」に、してはこなかった????…みたいな。(…繰り返すけど、それは例えね)自分の「 本質 」 としては、当たらずとも遠からじ、なんだけど、それって別に、「〇リウッドスター」を、ゴールにしていたわけじゃなかった、かもしれないよね。だから、世界の限界を規定せずに、遠慮せずにかといって、「形」あるものの規制の形にとらわれずに、というか。本当の本当に、それが、ゴールなの????…というような。ある意味、形のないものを、忠実に、「思い描く」に似ている。目新しいものが、ゴール、とかそういうことでも、ない。『何か』を目指したら、その時点で形にとらわれて、何かが崩れそうなものを、忠実に思い描く……要素を、一個一個、分解して取り出す、に似ている。ある意味、本当の本心から、出ているなら、既存の『形』に、似ていてもいいし名声とか、社会で評価されるゴール…『形』と、違っていてもいいし逆に、社会にある(≒評価される)形を、ゴールにして、狭めなくてもいい。…そんな感じ。『今』あるか、ないか、に、こだわらなくて、一切イイ感じ。それが評価、されるかどうかにも。あなたは、本当は、何が好き?????何がしたい????????どうありたい???????それだけを、『外側』…外の世界、を基準にせずに、忠~~実~~~~に、みて、いく感じ。それって、『正解』がないから、いくらでも妥協できるし外側の答え…評価され賞賛されるっぽいもの、に、置き換えることができる。でも、そんなの関係なかったら、わたしは何がしたい???????何が創りたい?????????ホントは、どうしたい????????…そんな、『感じ』に、近い。そして、『答え…内側の、『これ』』ってものは本当は、もう『ある』んだけれど、よけいなものがついていたり自分で、みきれていない…認めきれていない、自覚できていない、意識に上ってない、もの、も含めて、見ていく、って感じ。それは、本当に、『常識』にとらわれないというか、『今という社会』に寄せていかない、自分だけの、プロセスだな、ということを、強く感じてる。*****外側、に応えはないし、当然だけど、外側の意見も、参考にならない。(っていうか、『参考』にはできるけど、やっぱり『外に答えはない』)かといって、『今まで』でも、ない、『今まで思い描いていたもの』が、『そう』か、っていうと、一部は、そうなんだけど、大部分は、『刷新』されている、感じがしている。だから、『刷新』されたことに、自分で気づかないと、今までの旧い『型』に、自分をハメ込んで(閉じ込めて)、もう『そう』ではないものを、延々と目指し続ける、…みたいな、ことになりかねない。だから、『今』の進化…変化、言葉で定義できないもの、にも、気づかないといけないし(受け取らないといけない)、それは、『今まで』ではない、ということだから。自分が、それまで『夢』だと思っていたものさえ、『形』を変える、…あるいは、刷新されて、古くなる…手放される、『可能性』も、あるということだから。*****それまで、『アイデンティティ』と思ってきたことさえ、手放さなければならない段階(タイミング)に入ってきている、ということは、それが、お気に入り…好きだった、ものであればあるほど、愛着がわいて、手放しづらいというか、頓着したくなるけど、もう、そうも言ってられないというか、そういう『段階』でもないので、いやがおうにも始まっている『変化』と『進化』を、受け入れて、そうする…そうある、ことを受け入れて(認めて)、そうしていく…そうなっていく、ことでしか、ないんだな、と感じる。…そして、それは、ちっとも、嫌な変化、じゃないんだ。ある段階では、地を這う虫が、脱皮して、さなぎになり、空を飛ぶ昆虫に変わるように。ある段階では、子供たちが、それまでの学びのステップを終え、強制的に、次の段階…学びのフェーズ、に入る…シフトする、ように。それは、わたしたちの『エゴ』の都合では、待ってくれない。自分自身だけが、準備ができてない気がして、追いつけないとアワアワしているように感じても、結局のところ、『準備』ができているから、 『脱皮』は、自然と、始まるんだ。それは、『自然』の文化だから、わたしたちは、それに逆らうように、できていない。生き物である以上、季節が移り変わり、次の節目を迎え、種をまき、作物が実り、また豊かな土壌へと、姿を変えるまで、わたしたちは、何もコントロールせずに(できずに)自然の流れの中で、どうなっていくかを、種がまかれたままに、育っていき自分、という『作物…実り』になる。それが、次の『フェーズ…段階』に入るとき、自然と、体が硬化して、さなぎに変わっていくように時が来たら、さなぎの背がピリピリと破け、羽化が始まるように(蝉の羽化が好きだった…!!!蝶の羽化も。スカラベ…フンコロガシの生態も)羽が乾いたら、乾いた瞬間には、もう自然と、空に舞っているように。私たちの、『自然』な時とタイミングは、体が知っている。上手く言えないけど、わたしたちが『変化』していくものは、わたしたちの 「エゴ」 じゃなくて、もっと、大きな『何か』が、その『タイミング』を知っている。そして、『それ』が、羽化を始めてしまったら、わたしたちは、もう、止められないんだ。みまもるしか、プロセスを、受け入れるしかない。そういう『段階』が、人生には、何度かあって、そのうちの『一つ』、何度目かの『それ』が、置き始めているな、って感じるから、わたしにできることは、『邪魔』しないこと。受け入れ、みまもること。起きてくる『変化』に、信頼して、身を委ねること。『わたし』が、何になっていくかは、わたし、の深い設計がそれを知っているから、それは、心配しなくていいんだな、と思う。…ただ、自分が未知の方へ、向かっていくのは、少し、『怖い』よね。たとえ、「それ」が、『約束』された、ものであってもね。…何も考えずに、キーボードの上を、手が滑るように動いていくので、これはきっと、わたしであって、『私(自我)』でない、『何か』が、動いているな、と感じるんだけど、とにかく。I become who I was born to be.という、ことなんだろう。というか、そうとしか、なりえないんだろう。わたしは、『わたし』だし、持って生まれた、『わたし』というものが、なっていく『わたし』というものにしか、なりえないんだろう。それは、『エゴ』のコントロールが、効かないな、って思う(…だって、引き戻されるからね)。オニヤンマとして生まれたならオニヤンマだし、ウォンバットなら、ウォンバットだ。さなぎのなかで変態して、トノサマバッタが突然、カエルになったりしないように。わたしは、わたしが、なるべきもののようになる(なっていく)。そのためには、『いつまでも、間違ってるとわかってる道に、しがみつかないように』というのが、来ていたけど間違っているというのは、わたしにとってそうではない、道のこと。わたしが、わたしではないものに、なろうとすることや方法に、固執しないように。そういうことが、ポン!と浮かんで『必要』なことならば、逆に目の前に現れるから、わたしは『そう』とわかるから、『それ』を『選ぶ』から、だから『間違える』なんてこと、ないのだろうな。…『君が、間違えるなんて決してありえないってこと、忘れてしまったの?』大好きな、『サラとソロモン』の、最初のソロモンの、登場シーンの『声』じゃなかったかな。この『言葉』、計り知れない『安心感』があって、大好きなんだ。底知れない、深い、『安心感』が、ある。わたしが、君が。間違えるなんて、決してあり得ないって、こと。私たちは、いつも私たちが、『そう在る』ように、途を選んで、進んでく。わたしたちが、本来、『そう在るべき』ものになるために。『そう在る』ように、あるために。