第6話 いよいよ実務です | 家賃減額の決定版

家賃減額の決定版

家賃減額のためのすべてを丁寧にご説明します。最後まで完全無料です。交渉の仕方、調停、裁判まで、読めばすべてがわかります。

家賃を減額するための行動を起すことへの障害としては、「家主との関係が悪くなるのでは」と恐れる気持ち以外には、何もないと思います。これまでのブログで、その気持ちが合理的なものかどうかということを考える手助けをさせていただきました。


ここからは、実務をご案内します。


同じマンションの人の家賃を聞いた、自分のマンションの空室の募集価格が自分の部屋よりも安かった、周囲の不動産屋の貼り紙を見ると自分の家賃よりも相場は安いような気がする、そのようなことがあって、自分の部屋も家賃を減額して欲しいと考えるようになったら、まず、「説得材料を集める」ことが必要です。その説得材料が、証明できるようなものであれば、最終的に裁判になっても使えます。


説得材料というのは、「同じマンションの何号室の家賃が現在いくらである」とか「空室の募集ではいくらになっていた」とか「駅からの距離、築年数、間取り図などから同等やそれ以下と思える物件の募集家賃がいくらだった」というようなことです。


同じマンションの他の部屋一つだけ、新規の募集一つだけ、の情報ではダメで、それをも含めて、「全体的に、その辺の相場がどうなっているか」という情報が必要です。


それを「証明できるもの」にする要素として、「その部屋に住んでいる誰々さんから聞いた」という細かい情報や、不動産屋の貼り紙の写真などがあげられます。他の部屋についての情報は、法廷で証言してもらえるものでもないですが、家主だって、自分がもらっている家賃について、法廷で本当のことを言われて「嘘だ」と否定する人は少ないものです。だいたい、嘘だというのなら、家主にとっては、毎月の家賃が振り込まれる通帳などを提出すれば自分の言い分を簡単に証明できることなのだから、「では家賃振込みの通帳を見せてください」と言えばいいのです。見せられないのだとしたら、家主の「嘘だ」という言葉には信憑性がありません。


裁判になった場合、証拠が無い話については、どちらの話に信憑性があるかということが重要なので、「同じアパートの人に聞いたけど、証言はしてもらえないという言葉と、もっと高い家賃を取っていると言いながら持っているはずの通帳を見せられないという言葉と、どちらに信憑性があるか」ということを強調すれば、普通の知性がある裁判官ならば、家主の言葉の方が嘘だとわかります。家主に変に思われたくない、妙な争いに巻き込まれたくない、という理由で証言したくないのは一般的な感情ですが、当然持っているものを見せたくないというのは、誤魔化したいことがあるに違いないからです。


そのような、調停や裁判のやり取りのための文例集のようなものは、このブログの最後にまとめますので、使ってください。私の作った雛形を使えば、誰でもちゃんと自分の主張が漏れなくできるように作ります。離婚や賠償の話と違って、家賃を下げたいという主張には、個別の事情も個性もありません。なので、簡単に定型化でき、漏れなく十分な雛形が作れるものなのです。


「自分の家賃が割高だと思われる証拠」を集め、「やっぱり高いぞ」という気持ちになったら、まずは家主との交渉です。


家賃を下げると、家主の収入は減ります。だから、家主にとって、「家賃を下げて欲しい」というお願いは、とてもイヤな話です。けれども、自分の払っている家賃を下げるためには、避ける手段がないことです。どおしても、人にイヤがられる話をしたくない、という人は、諦めて割高な家賃を払い続けるしかないでしょう。


そういう「イヤなことは一切したくない」という考えで一生何とかうまくやっていけるほど、現在の日本の社会は甘くない、割高な家賃のためにホームレスになることはなくても、社会適応という面で生きていけないんじゃないか、と私は思いますが、どう生きようと、生き残れようが淘汰されようが、それはその人の選択です。私としては、「人生の苦労を避けて楽な道だけを行こうとした人が落ちぶれた末、生活保護だのなんだので税金を使うからって私が増税されるのはイヤだな」という感想しかありません。


自らカモとして楽に生きる道を選ぶ人たちが、カモとして最後まで食べられて終わるなら、私には何の文句もありません。道端で倒れて死のうが、それはその人の選択です。けれども、私を含め、カモにならない人生のために戦ってきた人たちが、イヤなことを避けるためカモになる道を選んだ人たちを助けることにされるのはおかしな話だと思います。


誰だって、人にイヤな話を持ちかけたくありません。けれども、まともな人間の人生というのは、それが必要なことならば、イヤなことでも避けて通らないものです。人にはみんな自分の欲望がある以上、両立しない場合が多いのは当たり前です。その当たり前の中でまともに生きる努力をする気がない人の人生がいいものにならないのも、当たり前のことだと私は思います。「家主にそんな話はしたくないから割高な家賃を払い続けてもいい」という人たちには、「将来、生活に困っても自分のせいなのだから税金上げて福祉をしろとか図々しいことを言わないでくださいね」と言わせてください。がんばって生きる人ががんばらない人を無理やり背負わされるのは理不尽です。


「家主にイヤな話はしたくないけど、この際しかたない、がんばってみよう」という人には、これから話し方を指導します。