愛のコリーダ    1976年 104分 | yasutsukuのブログ

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 愛のコリーダ  監督 脚本 大島渚  出演 松田瑛子 藤竜也  104分 1976年

 

阿部定 の猟奇事件の映画。この映画 本番映画として評判と成り 猥褻の定義が変わった映画。映倫と言う 名目上は 国民に健全な映像を届ける為の監視役を行う とか言う物の 内容なんか理解できない ただ陰部はボカシをし 過剰な性的なシーンは 削除か 成人映画にする、一応 映画は芸術だと思ってるので 出来上がった作品を検閲して ボカシやカットを要求される事に 違和感を覚える それならば 絵画や彫刻での表現は なぜ規制が無いのか ただただ 陰部の映像はダメ 芸術と言われる範囲は自分たちの判断 そんな分からない存在の監査役が まかり通ってたのが 猥褻の定義が 時代と共に変わると言う判決で 無罪に成った作品。日本を貶める作品には お咎めが無いのが 現実で スパイ防止法が無い日本 スパイがあの手この手で 日本を貶める事をやってるのに 洗脳されて 理解できないで 反対に丸め込まれてしまってる現状。。。

 

一応 VHSを持っているけれども もうハードなんか販売されて無いかも、もう今は コレクションなんかしなくても 専門チャンネルの契約で見れる時代に成ってしまって レンタル屋さんも将来 無くなるでしょう。

愛のコリーダ を検索してたら やっぱり出てきました アップされていて 本来 ダメな行為ですが それで見ました。

 

何を描きたかったのか 阿部定と石田吉蔵が 愛に溺れ 愛欲に傾倒してゆく姿を それが猟奇事件と発展して行く その世界観を 無駄な物は そぎ落とし 遊びから始まった浮気が 定の愛欲が強く 最後は吉蔵が その定に服従して行く 何とも悲しい話、その内容を 松田瑛子 藤竜也は十分理解し 演技していて その演技を 大島渚監督が 引き出していて 見応えの有る作品。

これを監督出来るのは 大島渚しかいないと思わせる作品で 作品を理解し 評価するべき所を 全く違った所を指摘するのはどうか。。。

確かな演技 脚本 監督が有ったこそ完成された作品だと思います。

 

ヤコぺッティ監督の 残酷大陸 て言う映画、アフリカから 奴隷船で運ばれてきた黒人を コメディータッチで最初描いていて 陰部なんか 多すぎるからボカシきれなくて 露出していたけれども 人権問題な話で 人として見てない訳で 奴隷だから 映倫の存在を疑った作品で しっかりしろって 思った まあ仕方ない事か 査定している人のレベルが 幼い訳で しかしそれに従わなければ 上映出来ないと言う 何とも可笑しな現実でした。

 

近い将来 AIの存在が大きく成り 不必要な人達が 職業が出てくる訳で 医者 弁護士 教師 役員、、、 今 最も憧れの職業の人達が AIが変わってやってしまう世界に成ると言われてけれども 理解力ってそれぞれ違う そのレベルを 上げるのに どれくらいの時間と労力が必要なのか 能力は 脳にチップを埋め込むから みな同じに成るけれども 理解力は IQが高い人は 瞬時に何通りもの事柄を考え付くけれども そうでない人もいる IQが高くても 潜在的に間違った道理を持ってたら 悪に入る そうならない為 人としての道理 倫理観を十二分に養う教育が必要だと、、、分かるかな 必要でない欲を捨てる 本当に必要な物を得る、薄っぺらい理解力で上に立つから 映倫での上から目線の行動が行われる 丸め込まれて 日本に居ながら 貶める事をする 自分で理解出来なく 御上が行ったからじゃ無く 何が正しいのか 自分で判断出来るようになる そうでないと 可笑しい 怪しいって そんな事も判断出来ないって 生きてて楽しいかって思ってしまう まだまだ勉強が必要だと 自分自身がそう思ってます。