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 久々に、道徳について。

 今回は今までとは違う切り口で。

 実際の授業へのコメントを載せていきます。

 この忙しい3学期に授業研を行ってる学校はおそらくないだろうけど、学校あげての研究会が来年度に迫っていたりすると、こういう時期も授業を重ねていくところもあるでしょう。

 

 退職年度には、道徳の授業を中心に授業研を重ね、ぼくも毎回授業を観させていただきました。その際の参観後のコメントの中から、授業を行っていく際に大切な視点を書き出しているようなものを、以下に抜粋してみました。これを読んでくださってる皆さんの今後の参考になれば幸いです。(最後に、おもしろい手だてを紹介しています。)

 

①1年生「くりのみ」

 第1発問の「狐はどんな気持ちで言ったのか?」では、「たくわえておこう」「よしうまくいった」「みつかったらいやだな」などが出て、狐の嘘を言った理由までなかなか考えが至らない子が多かった。なら、ここでは「なぜ嘘を言ったのかな」と具体的に聞いた方のが主発問での深い考えにつながるかも。

 同じく主発問では「~狐について考えよう」だったが、子どもの意見は「涙」の答えには至らず、教師の期待より常に浅くてずれた意見が出てしまった。なら、発問は「涙の理由は?」とした方のが、自分の卑しい気持ちとウサギの優しさとの大きな隔たりから来る感動へと考えがつながりやすいかなと思う。

 

②2年生「こうさとびができた」

 子どもがさっとみんなの方を向いて話をする&聞く側も体をへそから向けるっていうのは、それだけで日頃からの鍛えを感じるものだね。

 ただ、いつも書くけど、ぼくはこういう“ストレート”な教材は、僕の勉強不足か、発問も板書も工夫しがいがなくて、コメントしにくくて苦手です。素直なこの子たちだからこそ大切な教材だとは思うけど、授業研として“研究”しにくいんだよなあ。この授業の流れ以外、ないもんなあ。コメントは他の方におまかせ。ごめん。

 

③3年生「道夫とぼく」

 いや、おもしろかった。最後の方。先生の、自分のクラスの子どもたちへの期待が先行して、道徳授業本来の流れから逸脱して“自分の求める姿を言わせよう”としちゃった。先生の熱い気持ちがあふれ出たものになった。

 A子ちゃんはワークシートに期待された答えではなく“本音”を書いていた。「やっぱり下手だと入れられない」って。でも、この答えを言ったらまずい雰囲気(先生がかもし出してた)だって感じ取ったし、自分でも決していい姿だとは思っていないから、発表できなかったのだ。それでも彼女は十分、この一時間で“道徳”を学んだと僕は思っている。口先だけで入れるべきだって言う子より、ずっと真剣にこの教材に、自分に、向き合っていたと言える。

 そもそも、最後の方は、先生の発問が変わってきちゃったよね。「答えることができなかった僕(主人公)について考えよう」だったのが、「僕(子どもたち自身)はどうするべきなのか」って内容に。これもあって、A子ちゃんは困ってたのもある。この教材では、「分け隔てはいけない」を教え込もう、と思わず、最後まで迷い続けているこの主人公に共感し、自分のこれからの動きを考えていくって形で十分。答えを出す必要は全然ない。あせらないでいこう。このクラスは、先生のいっぱいの愛情で、道徳的にもすごく豊かに育ってるんだから。
 

④4年生「ブラッドレーの請求書」

 この教材、大好き。このお母さんの無言のコメントと無償の愛の提示の仕方から、お母さんの愛情に改めて気づかされ、なぜかすごく感動する。

 このお話のクライマックスは、お母さんの請求書を見る部分だ。この提示法の工夫こそが、この教材の価値をさらに高める・・・と思ってたら、先生は0円を隠して提示された。これだ! この“裏手だて”を考え出したことこそが研究の成果だ。子どもは10ドル、100ドルなんていうなかで、実は0ドルっていう“ギャップ”をより印象的に感じ取らせることで、この授業は完了したと言ってもいいほど。この後、お母さんの請求書の意味を考える場で、最後にB君が述べたストレートな意見が今日の実績と言える。
 

⑤5年生「自分らしさを知ろう」

 導入、とてもユニークでした。先生本人の“らしさ”を子どもに聞いちゃうなんて、担任と子どもの絆がないとできないアプローチだ。おまけに校長先生が前方で茶化しつつも、大きくずれずに授業が進んでいくのはクラス経営の確かさあってのことでしょう(校長先生もそれを知っててやってるんですけどね)

 さて、自分らしさを知るためのあの形は、もちろん道徳の授業としてありだ。ただ、僕の好みとしては、全体でのかかわり合いがなく、グループワークを中心とした(全体では発表だけの)授業は、研究会ではどうなんだろう?って思う。教師の授業テクニックが魅せにくく、なんといっても子どものかかわり合いがないのは道徳としておもしろくない

 

 この一連の授業研では、教科書を中心とした教材だけでなく、メッセージ性のあるポスターや詩、絵本を取りあげた教材開発や、紙芝居やペープサート、映像資料の活用で視覚に訴えかける教材提示などを工夫したり、登場人物の思いや行動について考える発問や自分に置き換える発問、解決策を模索する発問など、児童の実態や教材の内容により発問を工夫したりしました。また、ペアトークやグループトークを通して全体発表につながる授業展開を工夫したり、役割演技や吹き出しボードを利用したりもしました。


 なにより、新しい手だてとして取り組んだのが、異学年の道徳授業を子どもたち自身が参観する機会を設けたことです。

 下級生が上級生の授業参観から、活発な意見交換やペアトークの様子を学び、逆に高学年は低学年の素直な意見交換から刺激を受けつつ、自分自身の成長ぶりを感じられます。学びに向かう姿勢や、お互いを認め合い大事にする他集団の様子に触れさせる機会となる異学年参観は、学び合うことの喜びとおもしろさを実感したり自分自身の成長を実感したりすることに確実につながりました。

 一度、皆さんの学校でも取り組まれてみてはいかがでしょうか。