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 アメブロの公式ハッシュタグ「#学校教育」を読んでいたところ、学校へのクレームを書いていた方がいた。僕は教師なので、学校側の対応も親側の対応も、両方の立場で理解できる。

 今回は、小学校に保護者としてクレーム電話をした話。

 


 本題に入る前に、前座として、僕自身が親からクレームをもらった話を2つ。

 僕の担任時代は中学校勤務が長かったが、教師の虎の穴、附属小で3年間だけ小学生を担任した。中学校でももちろん何度か電話をもらったが、附属では理不尽なものがなぜかいくつかあった。親も若さゆえ勘違いする?


 1年目の5年生担任では、女の子を不登校にさせたいじめをした男子が隣のクラスの先生にきつくしかられ、その子自身が不登校になった。そこのところの事情を僕はよく知らされないまま担任になり、その子を僕が不登校にしたと一部の親が勘違いし噂を広めてしまいクレームが来た。
 2年目の1年生担任では、遊んでいて靴をどこかに置き忘れた男子が、裸足のまま帰宅し、日ごろから暴力をふるう父親に本当のことが言えず、「誰かに隠されて先生にそのまま帰れと言われた」と両親に告げ、夜の10時に僕の自宅に父親が怒鳴り込んできた。

 その当時は、子供は身を守るためにうそをつくのは当たり前ってことを親はもっと理解し、子供の本音を聞くために日頃から対話をしっかりしろよと思ったし、プロの教師のやることをもっと信じろよ、と、保護者に対して腹立たしい気持ちだった。そして、僕は将来、父親として学校を信じる側でいようと強く思ったのだった。

 ところが、今回、小学校1年の息子から聞いて、僕はすぐ学校に電話を入れようと思ったのである。(ここから本題です。)

 ぼくが帰宅すると、おばあちゃん(僕の母親)が真剣な顔でメモを差し出した。先生からの電話メモで、

『息子がA君と一緒にB君の工作を踏んで壊した。注意してもA君がやれって言ったと答えた。先生は、帰ったら親に言いなさいと伝えた』とのこと。

 奥さんと息子は習い事へ行ってたので、帰ってから事情を聞くと、息子からはそのことを母親に言ってなかった。

 充分叱った後、すぐに3人で、B君の家まで“一言も口をきかずに”わざわざ“歩いて”出かけ、B君とお母さんに謝罪した。うちの奥さんは“泣いて謝る姿”まで見せた。帰りは“息子を挟み親子3人手をつないで”帰るなか、“いろいろな話をして”歩いてきた。

(これら一連の動きはB君のためではなく、すべてうちの息子の健やかな成長のためにしているのだ。)

 

 気持ちが晴れ晴れした帰り道・・・。ところが、息子が気になる一言をつぶやいた。

「先生だってぼくの工作、踏んだんだよ」

「えっ!!!」
 詳しく聞くと、なんと、先生は、すぐに謝らない息子に同じ気持ちを経験させるために、息子の工作を踏んだというのだ。母親が言うには、今日持ち帰ってきた息子の工作は無惨な姿だったそうで、帰ってからすぐ一緒に直したという。その時、息子は

「落として壊れた」と言ったそう。


 先生の気持ちはわかる。でも、それをやってはいけないのが我々教師だ。なんといっても子供が納得できていない。指導を急ぎすぎると教師の気持ちが子供に伝わらないことは往々にしてあるのだ。(担任の先生は50歳前後のベテランの女性教師。)

 担任にすぐに電話をした。電話では、日頃のお礼をまず述べ、今回のことではすぐに叱り、相手への謝罪もすんでいることを告げ、先生の指導方法も尊重していることを言いつつ、でも…という形でお話しをした。

 先生はすぐに認め謝ってくださった。そこで、これ以上大事(おおごと)にせず僕は引くことにし、「翌日、一応息子に、やった行為についてうまく謝ってくれるとありがたい」とお願いをして電話を切った。(しかし翌日、担任から息子へのフォローは何もなかった・・・。)

<保護者として教師として思うこと>

 先にも述べたように、子供は自身を守るため、親に心配させないために嘘をつく。それをしっかり理解した上で、冷静に子供の話を聞き、納得いかない部分は、学校から事情を聞くべきだ。その際、子供の前では絶対に担任や学校を悪く言わないようにする。学校を責める姿勢は子どもにすぐ反映し、人を責める性格を構築していく。それで損をするのは子供なのだ。子供のためにも、学校を「敵」と考えるべきではない

 でも、教師にも、ヒステリックな人や人の話を聞けない人、そして間違ったことをしても子供に素直に謝れない人は、普通にいる。そうした時は、電話ではなく、学校へ直接出かけ、担任と共にもう一人、他の先生にも入っていただき、お話をしたい。コミュニケーション不足は話をややこしくするから(前任校の校長は、率先してこういう場に顔を出す方だった。そして、親の考えを尊重するとともに、親が帰った後は担任にも共感しねぎらう人格者だったなあ)

 大事なことは、親も教師も、子供を自分だけで育てようというおこがましい気持ちをもたず、共に知恵を出し合って共通理解の元に協力し合っていく姿勢が大切なのだろうな。

 

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