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 こういうことを言わない方がずっと楽に生きられる。事なかれ主義の方がずっと楽だ。
 何かを「主張すること」って、「自分にプレッシャーをかけている」のと同じなのだから

・・・って、こういう文を書くときには、いつもそう思いながら、過去の自分と向き合っている。

 


 息子の習い事のお稽古に、母親の代わりに連れて行ったときのこと。
 先生について習ってる子供たちが、一生懸命声を出してトレーニングしている体育館の隅っこで、兄弟の練習についてきたらしい兄と妹が、大声で笑ったりふざけたりしているのが気になった。その横の母親は、「静かにしなさい」と一応注意はするものの、腰を上げようとまではしない。その時は一瞬静かになるものの、2~3秒後にはまた同じことの繰り返し。親はそのうち注意することもしなくなった。
 僕は口を出すのもなんだかはばかれ、見て見ぬふりをしつつ、稽古の様子よりも、この子供たちがこのままこの親に育てられて将来どういう人間に育つのだろうとか考えていたら、いつのまにか稽古の時間が終わっていた。

 考えてみれば、こういう親って時々見かける。
 電車に乗ってると、子供が座席に靴のまま上がるのを「ダメよ」と口では言いつつ、やめさせることまではしない親
 音楽会や学校の文化行事などで、ぐずる子供を口だけで注意はするものの、外へ連れ出そうとまではしない親

 そして翌日。学校でも同じ場面に出くわした。
 ある授業。2~3人がけっこう大きな声で私語をしている。そこに廊下にも聞こえる担任教師の声「静かに!」

 教室は一瞬静かになったが、2~3人はすぐにまたしゃべり始めた。担任は今度はそのまま授業を続けていった。このクラスではいつものパターンなのだろう。

 子どもを指導するなら、親でも教師でも徹底的に指導しなくちゃダメだ。子どもは“中途半端な指導”をすると無視することに慣れていく
『この大人は口で言うだけでそれ以上の指導はしてこない』ってインプットしていくのだ。『この大人は心からそれを求めているわけではないんだ』と理解するのだ。
 初めはみんな言うことを聞く。しかし、徐々にいろいろな場面でその大人の力量を見極め、この親ならこの教師なら言うことを聞かなくても何とかなるって学んでいくのである。
 これは幼児でも小学生でも中学生でも同じだし、案外大人相手でも同じなのかもしれない。

 僕らはいろいろな場面で指導する。
「挨拶しなさい」「勉強しなさい」「提出物を出しなさい」「服装を正しなさい」等々。
 しかし、それを徹底させているか? 少なくとも徹底させるための手だてをとっているか。もしも口だけの指導をしているのなら、子どもはいつかその大人を見下していくに違いない。そして彼ら自身が親になったとき・・・。

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P.S. この考え方をもう少し発展させて「生徒指導」を考えてみよう・・・。
 生徒指導で子どもを指導するときに、別室で話をすることが多い。時には親も呼んだりして。そして子どもは謝罪し「がんばります」って約束する。それで、指導を終えてしまうことって多くない?
 それで本当に改心する場合もあるだろうけど、ここだけ我慢して謝っとけばいいやって子も少なからずいる。だからこそ、その場限りでない指導が必要になる。
 反省文って手もよく使われるけど、ノーヘルだったら自転車通学禁止っていう罰も必要かもしれない。教師と一緒に草取りなどの作業活動もいいだろう。毎日教師に日記を提出させるのもいい。
 なんか学校って忙しくて、ついその場限りで終わらせたくなっちゃうけど(親も同じ?)、
時間をかけて手間をかけて&かけさせて、その子の意識を長期的に変えていく手だてをとるべきだ。
 長い目で見たら絶対楽だよ、そうした方が。