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(③の続き)山に入って3日目の朝。

 メーホンソンは、ビルマ国境の町。朝早くからたくさんの人が往来し、店もたくさん出ていて、活気があった。ここは霧の町と呼ばれており、はじめ、放射冷却による霧が朝市全体を包んでいた。
 朝になって気が付いたが、僕らの泊まったすぐのところにメーホンソン空港があった。そのすぐ横の朝市に出かけ、朝食と買い物をした。竹筒飯が3つで2Bという安さだった。この後のチェンマイへの道のりの長さを考え、おやつをたくさん買い込んだ。

 寺院はビルマ風なのかタイで見られる造りとは違っていた。Watパーバーンマイという有名な寺院の近くの小高い丘の上にあるタイアイ族の村へ出かけた。町からすぐのところにある観光地?でもあり、ずいぶんにぎわっており、たくさんの種族が買い出しに来ているようだった。

 ここから今日は、山へ入らず、国道を通ってチェンマイに向かう。6時間ほどかかるそうだ。
 さすがに昨日までの山道はタイ人にとってもきつかったようで、昨日から校長先生以下何人かが車酔いで苦しんでおり、帰り道は何度か休憩を入れながら走った。M先生も昨日は調子が悪かったが回復。僕は何ともなかったが、下痢だけはずっと続いていた(といっても、タイに来てから9か月間、ずっと下痢は続いていたので慣れっこだったが)
 M先生は昨日からよく帽子を飛ばすので、道沿いの店で40Bの竹で編んだ笠風帽子を買った(しかしこれはよけいに風の抵抗を受けることがわかり結局かぶることはなかった)
 そうそう、出発後少しして、フランス人の若い女性バックパッカーがヒッチハイクをしており、むさ苦しい男荷台に同乗することになった。みんな一生懸命話しかけ笑い合ってはいたが、あまり話は通じていないようであった。

軽トラ荷台にて

 彼女は、いっしょに昼食までとった後、途中の町で別れた。その町には65度の温泉が出るようで、そこに寄っていくと言っていた。

 夜になり、やっとチェンマイに到着。3日間お世話になった方々と名残惜しみながら別れた。彼らはたまにしか来ないチェンマイの街で今から遊ぶそうだが、僕らは疲れがピークに来ており、なんといっても早くシャワーを浴びたかった。その夜は、久々のベッドでぐっすり眠った。

 翌日(旅の5日目)、9時にホテルをチェックアウトし、1時間ほどチェンマイの街でショッピングをした後、今度は警察に捕まらないように、一路バンコクを目指した。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 グーグルマップで調べてみると、今では、ヤンムーン村にはチェンマイから2時間ちょっとで行くことができるほど道が整備され、うっそうとした森はなくなり、村が町になっていた。小ぎれいなスーパーも2件あり、学校も立派な運動場のあるすばらしい環境になっている。

 こうして、振り返ってみると、当時はお尻の痛みと下痢が思い出の苦痛の旅であったが、本当に貴重な経験をさせてもらったと再認識した。
 33年の時を経て、M先生とタイの5名の方々、そして訪問させていただいた山岳民族の皆さんに、感謝至極である。ありがとうございました。
(完)

 

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