中学3年生の道徳で、若手のA先生がおもしろい自作教材に取り組んだ。
さだまさしの名作『償い』である。
これは交通死亡事故の加害者になってしまった若者が、7年間、被害者の奥さんに送金し続け、7年たったときに、奥さんから送金をもうやめて、という手紙をもらい、許されたと思っていいのかな、と歌の語り手である友人のところへ駆け込んで涙する、という歌詞だ。
A先生は、授業後に「授業がうまくいかなかった。すごく重くなってしまった。」と正直に反省しておられた。それほど重い歌詞でありむずかしい教材である。僕だったらとても取り上げない(取り上げられない)教材だ。たとえうまくいかなかったとしても、目の前の子どもたちにこの教材に向い合せたいと思ったA先生のやる気にはとても好感を持った。
授業のテーマをA先生に聞いたら「誠実さ」ということだった。中学生に「誠実さ」を説くには、やはり重すぎる題材かもしれない。むしろ翌年になればバイクの免許が取れる中3には「責任」をテーマに考えさせた方がよかったかも。それでもこの内容は、取り返しのつかない「責任」でもある。
僕自身、若い頃、この歌を何度も聴いた時期があった。
初めは加害者の側から聴いていた。許されてよかったね、と共に涙しながら。しかし、何度も聴くうち違う聴き方になった。被害者の奥さんの気持ち。最愛の夫を奪われた気持ち。しかし、彼女は7年間、相手の誠実さにも触れる。でも、それでも許す気持ちにまでなれるだろうか。
この歌は、加害者側から歌われている。被害者の奥底には、割り切れない深い深い悲しみがずっと続いているはずである。許すとかそういうものとは違う次元のやるせない気持ち。そういう複雑な気持ちが、この歌からはにじみ出てくるのである。
子どもたちにも、いろいろ悩ませ考えさせられたらいいよね。道徳はおもしろい!
※上記には、加害者側と書いてきたが、正確には加害者の友人のことであり、歌詞にもあるが、この加害者は来月からもまた送金し続けるであろう誠実な青年であり、友人もそのことは承知しているのである。おそらく一生、青年は送金し続けるのだろう・・・。そこがまたとてもやるせないのである。しかし、今までの送金(誠意)が、奥さんの彼への憎しみを昇華させたことは事実であろう。
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