小さな旅② 信州編 憲法9条の碑を巡って
私は広島出身で小さな頃から、原爆のことを中心に平和教育を学んできた。
日々の暮らしの中で憲法を生かすことはとても大切なことだと思っているし、人間が人間らしく生きていく上で大切なことが詰まっていると感じている。
数年前、くじらぐもの米蔵で平和のあかりマーケットを開催したことがある。
そこで明野・須玉9条の会の方が詩を朗読してくださったり、原爆の写真を取り寄せてくれたり、それがご縁で自分もできることを探しながらささやかに活動している。
須玉の江草で90代のお母さんや戦死した父のためにも9条の碑を建てたいという方がいらして、日本各地や世界にも9条の碑が建てられていることを知り、長野の中野市に2つ碑があるらしく、見学に行くことになった。
まずは中野市の標高1351mの高社山(こうしゃさん)の麓にある曹洞宗 谷厳寺(こくごんじ)へ。
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建てたのは先代の住職、荻原宣章さん。 きっかけは戦時中に都会の子どもたちがこの寺に足立区寺地国民学校の児童43名の疎開を受け入れたこと。親から離れた淋しさや食べ物は極端に不足して、米はなく芋だけ、飢えや慣れない集団生活の中で必死に生きていた子どもたち。 子どもが本音をかくして生きる時代を二度と作らないため、確認が取れた子どもたちの名前を刻んだ碑と憲法9条の碑を建てたのだそう。
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谷厳寺は千本桜の寺としても有名なのだそう。 ソメイヨシノ、コヒガン、しだれ桜など1000本以上の桜が出迎えてくれる。 樹齢500年以上といわれるしだれ桜も。 4月は桜、菜の花、ヤマブキ、梅雨の時期は6000株のアジサイが。 秋には紅葉が。 どの季節に来ても楽しむことができる。
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土人形も有名
谷厳寺から車で30分くらい同じく中野市にある浄土真宗の真宝寺(しんぽうじ)へ。
真宝寺にも戦時中、当時の高田第二国民学校(現豊島区雑司谷小学校)の児童80人が寝泊まりしていたのだそう。
集団疎開してきた子どもたちが淋しさのあまり傷つけた本堂の柱を模して、平和の塔の柱には長さ80センチの引っかいた傷を型どっているのだそう。
平和の塔は2009年の8月6日から毎年火を灯して平和の集いを行っているのだそう。 思わぬところで広島につながりとても心強く感じた。
長野県だけで3万人近い子どもたちが都会から疎開してきたのだそう。
道中、松代の標識を見たのでいつか松代大本営も見に行かなければと思っている。
山梨県も学童疎開を受け入れていたし、朝鮮人の労働のことなど自分の足元にも戦争を知るきっかけがたくさんある。疎開した子どもたちも戦後、家族がいない子もたくさんいただろう。
最近、義父が戦争中東京から富山に疎開していた話を初めて聞いた。
戦争はどんなものか、自分も学び続け、きちんと次世代に伝えていかなくては、と改めて感じた一日。