「琵琶湖周航の歌」と「琵琶湖哀歌」[No.3636] | 近江の物語を君に捧ぐ

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近江を舞台に、近江に生きる人を主人公にした小説をひたすら書き続けている近江人、木村泰崇のブログ。

昨夜、ボケーと

テレビのBSの歌番組を見ていたら

懐メロ特集をやっていて、

戦前の歌がけっこう流れてきた。


その中の

ひとつに

思わず

身を乗り出した。









東海林太郎と小笠原美都子の
デュエットで
「琵琶湖哀歌」。

「琵琶湖哀歌」は
1941年(昭和16年)6月に
発表されている。
作詞、奥野椰子夫。
作曲、菊池博。

その年の4月に琵琶湖で遭難し
命を落とした
第四高等学校(現、金沢大学)の
漕艇部の11人に
捧げる形でこの歌が作られたという。


滋賀県に生まれ滋賀県に生きる私は
もちろん「琵琶湖哀歌」という歌を
知っている。

そして、
この「琵琶湖哀歌」が
「琵琶湖周航の歌」と
非常によく似ていることも
知っている。

けれども、
恥ずかしながら
私は
「琵琶湖哀歌」がテレビで
歌われているのを
昨夜
生まれてはじめて見た❗❗


「琵琶湖周航の歌」は
加藤登紀子が1971年、
大阪万博の翌年に
リバイバルヒットさせたので、
こちらの
「琵琶湖周航の歌」は
滋賀県民のほとんどが
よく知っている。

けれども、
「琵琶湖哀歌」について
よく知っている人は
もう絶対的に少ないと思う。


ちなみに
「琵琶湖周航の歌」は
1917年(大正6年)に
できている。
作詞、小口太郎。
作曲、吉田千秋。
「琵琶湖周航の歌」のほうが
歴史は古い。

だから
真似たのは
「琵琶湖哀歌」であることは
明らかである。


「われは湖の子 さすらいの
 旅にしあれば しみじみと
 昇る狭霧や さざなみの
 志賀の都よ いざさらば」
の一番の歌詞は
「琵琶湖周航の歌」である。

そして、
「琵琶湖哀歌」の一番は
こんなふうだ。
「遠くかすむは 彦根城
 波に暮れゆく 竹生島
 三井の晩鐘 音絶へて
 何すすり泣く 浜千鳥」


確かに
「琵琶湖哀歌」の歌詞は
歌謡曲っぽい。
滋賀県の名所が
上手い具合にちりばめられている。
そして、
「哀歌」であるだけに
「周航の歌」よりも
やっぱり
哀しみが宿っている。


しかし
ホントに
この2曲、
メロディは
ものすごく
ものすごく
よく似ている。(笑)


最後に
「琵琶湖哀歌」の歌詞にある
[小松ヶ原]というところが
どこにあるのか?
滋賀県民なのに
私は
知らない❗❗
(「紅椿」で有名な
小松ヶ原!? いったい
どこだ? 湖西か?)