声はいつまでも残り続けるし、耳にした側はずっと覚えている。[No.3529] | 近江の物語を君に捧ぐ

近江の物語を君に捧ぐ

近江を舞台に、近江に生きる人を主人公にした小説をひたすら書き続けている近江人、木村泰崇のブログ。

この私のブログに

レギュラー出演していただいているのが、

鷲田清一さんの

朝日新聞一面の連載コラム、

「折々のことば」であるが、

ここのところ、

しばらく

お休みしていただいていた。(笑)



久しぶりの

「折々のことば」の登場❗[拍手]





「声は人間の生理の
 深くやわらかな部分に
 直結しているらしい」
 (川田順造)


私もこれには
まったく同感である。

別れた恋人の声も
別れた友人の声も
何年経っても
不思議と
覚えているものだ。

その声が
発した
幾つかの言葉も
覚えている。

特に
口癖だった
短いフレーズは、
その声と
そのイントネーションでもって、
頭の中に心の中に
テープレコーダーのごとく
鮮やかに
再現できる。


なんか
おかしな
言い方かもしれないが、
それは
非常に
エロチックですらある。(笑)


思い出、
振り返り、
私小説は、
そんな声の集まりから
生まれてくる………





「パスの成否は
 受け手によって
 決まるのだ」
 (平尾剛)


なるほどである。

受け手=聞き手。


受けた側、
聞いた側は
忘れない。


言葉を聞いた側は、
言葉を発した側が
きれいに忘れていることでも
しっかりと覚えている……なんてことは
ものすごく
ものすごく
多い。


発した言葉は忘れても、
聞いた言葉は忘れない。