太宰治「待つ」 | 近江の物語を君に捧ぐ

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近江を舞台に、近江に生きる人を主人公にした小説をひたすら書き続けている近江人、木村泰崇のブログ。

一昨日、図書館に返却してしまったので、
チェックできないが、
太宰治の短編小説、
いや掌編小説「待つ」は、
わずか3ページほどの
短い短い作品である。

その超短い「待つ」は
ホントに
可愛い可憐な小説だ。

私は
20代の後半に
この「待つ」をはじめて読んでいるが、
とにかく
女性のモノローグでもって
「女」になって
書ききる
太宰治のその技量に
圧倒されたものである。




しかし
今回
読み直してみて、
そのテクニック以外の面で
私は
素直に
感心させられた。


この「待つ」は
確か
昭和17年に書かれている。


太平洋戦争は
昭和16年に始まっているから、
もちろん
戦争中に
書かれた作品だ。

太宰治がグレイトなところは、
官憲の目もさぞかし厳しかったであろう
あの時代、
昭和16年から20年にかけて、
自分の、太宰治のスタイルを
まったく変えることなく、
あくまで
自分のスタイルでもって
自由自在に
書ききっているところだ‼️


この「待つ」という作品は、
20歳、ハタチの女性が
毎日毎日
買い物帰りに
近くの駅に行って
ベンチに座って、
何かを
何かを
ただひたすら待っている話である。



「いったい、私は、誰を待っているのだろう。はっきりした形のものは何もない。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。大戦争がはじまってからは、毎日、毎日、お買い物の帰りには駅に立ち寄り、この冷たいベンチに腰をかけて、待っている。………」


「大戦争がはじまって、何だか不安で、身を粉にして働いて、お役に立ちたいというのは嘘で、本当は、そんな立派そうな口実を設けて、自身の軽はずみな空想を実現しようと、何かしら、よい機会をねらっているのかも知れない。………」



…………

こんな調子の、ハタチの女性のモノローグの
作品を太宰治は戦争中に書いている。

この「待つ」は、
あの京都大学の新聞からの依頼で
書かれたものであるそうだが、
戦時下の
官憲の目を気にしたのか、
リベラルのはずの京都大学も
この太宰治の作品を
新聞に掲載しなかったという。


…………


それにしても、
駅のベンチに座って、
戦争中の時代を生きている
二十歳の独身女性が
ひたすら
待っているものは、
いったい
いったい
何だろう?


………


それにしても
太宰治は、
上手い‼️