前回同様に、平安時代の鎧兜と鎌倉時代以降の鎧兜の違いについて1つ1つ紹介していきたいと思います。

一括りに大鎧をつくるといっても平安時代初期なのか中期なのか後期なのか、あるいは鎌倉時代のものなのかなど時代によって少しずつ異なるので、自分自身がどの年代のものをつくるか、そのためにはどうしたらよいのかの1つの目安になるかもしれません。

 

大鎧を構成する小札はほとんどが革

平安時代の鎧についてのあれこれ(2) で大鎧は日本史上最も軽い鎧という話をしました(この表現にはかなり語弊はありますが)。奈良時代後期の光仁天皇桓武天皇が国家的に革製の鎧兜をつくらせて以降、挂甲短甲よりもずっと軽い鎧をつくる目的でつくられた鎧が大鎧へと発展したことは間違いないのです(『続日本紀』)。蝦夷征討において挂甲短甲など重装歩兵の朝廷軍が蝦夷の民(阿弖流為)に大敗を喫して以降、蝦夷(俘囚)によって弓馬戦法とともに騎馬用の革製鎧がもたらされていきました。

「大鎧は重い」というイメージはまだまだ根強くありますが、大鎧は決して重くないのです

 

940年ころにつくられたとされる大山祇神社所蔵の『延喜の鎧』が現存する最古の大鎧であり、『延喜の鎧』の小札は全て革ですが、しだいに鉄の小札(鉄札)も使われるようになっていき、鎧を構成する小札は「一枚交ぜ」「鉄交ぜ」「鉄革交ぜ」といわれるようになります。全てが鉄でつくられた鎧は皆無であり、むしろ大部分は革でつくられていました。「一枚交ぜ」というのは鉄と革を交互に縅していく技法ですが、それでも使われている鉄はほんの一部分にすぎません。

沢潟縅鎧(大山祇神社所蔵) 平安時代初期 全て革
伝聖徳太子玩具鎧(法隆寺旧蔵) 平安時代初期 全て革
樫鳥絲縅鎧(猿投神社所蔵) 平安時代中期 革(一部鉄札)
赤韋縅鎧(岡山県立博物館蔵) 平安時代後期 革(一部鉄札)
黄櫨匂縅鎧(甘南備寺所蔵) 平安時代後期 革(一部鉄札)
小桜韋縅鎧(菅田天神社所蔵) 平安時代後期 革(一部鉄札)
紺絲縅鎧(厳島神社所蔵) 平安時代後期 革(一部鉄札)
赤絲縅鎧(武州御嶽神社所蔵) 平安時代後期
避来矢鎧(唐沢山神社) 平安時代後期 革(一部鉄札)

小桜韋黄返縅鎧(厳島神社所蔵)

平安時代後期 革(一部鉄札)
紺絲縅鎧(大山祇神社所蔵) 平安時代後期 革(一部鉄札)
紫綾縅鎧(大山祇神社所蔵) 鎌倉時代前期 革(一部鉄札)
緋絲縅鎧(都々古別神社所蔵) 鎌倉時代前期 革(一部鉄札)

※表はPCでご確認ください。スマホなどでは表が表示されないようです。

 

樫鳥絲縅鎧(猿投神社所蔵)は、正面から射向側に向けて鉄札1枚に革札2を交ぜ、胴背面から草摺上段まで多用していますが、これだけ鉄が用いられるのも例外的です。

黄櫨匂縅鎧(甘南備寺所蔵)も同じくほぼ革ですが、正面から射向側に向けて鉄1枚に革3枚を交ぜています。

赤韋縅鎧(岡山県立博物館蔵)や紺絲縅鎧(厳島神社所蔵)もやはりほぼ革ですが、正面から射向にかけて鉄札が用いられています。

焼失して鉄部分だけが残った避来矢鎧(唐沢山神社所蔵)は残った鉄札はたった24枚です。避来矢鎧の小札総数はおよそ1,000~1,500枚ぐらいと想定されるので(焼失する前に全ての小札があったと仮定した場合)鉄札は一割にも満たない数しかありません。

小桜韋縅鎧(菅田天神社所蔵)は小札2,066枚のうち鉄札は225枚であり、全体のおよそ一割程度鉄札が使われていることになりますが、これでも比較的多い方かと思われます。草摺の引敷や大袖などは革札のみでつくられているのが通例のようです。

小桜韋黄返縅鎧(厳島神社所蔵)もほぼ革ですが、弦走韋下の大部分(一の側から三の側まで)が鉄札を使用しており極めて異例になっています(胴に鉄革一枚交ぜを行うのは鎌倉時代後期以降に多いです)。

いずれも一部鉄札が使用されていますが鎧一領の総小札に対しての鉄札の割合は決して高くありません。

上図は焼失して鉄部分だけが残った避来矢鎧(唐沢山神社所蔵)。革は燃えてしまい、ほとんど残らないことが分かります。

 

比較的重量が重いとされている鎧兜のうち、赤絲縅鎧(武州御嶽神社所蔵)は、鎧は18.9kgで総重量が22.7kgとされています(兜3.8kg・胴13.5kg・脇楯2.4kg・大袖2.2kg・栴檀板0.5kg・鳩尾板0.3kg)。

また小桜韋縅鎧(菅田天神社所蔵)は同じく鎧18.9kgで総重量は20.5kgとされています(兜3.1kg・胴13.2kg・脇楯2.05kg・大袖1.52kg・栴檀板0.35kg・鳩尾板0.28kg)。鉄の部分が多ければ多いほど重い傾向が分かります。

※無断転載等禁止

この図は白が革札、黒が鉄札(鉄板)を示しています。どの辺りに鉄を使用していたかがすぐに分かります。『山梨県立博物館復元調査報告書』を参考して作成したもので著作権フリーではありませんので流用はご遠慮ください。

 

鎌倉時代以降になっても主に革札が使用されており、鉄革一枚交ぜなどの一部が鉄札を用いられているのは同じです。ただし胴まで鉄革一枚交ぜになっていたり鉄札が平安時代に比べると多く用いられている傾向にあり、実用から遠ざかり威儀化し、あるいは奉納用として華麗で豪華な装飾が施されていくようになりました。

鎌倉時代は戦がしばらく起こらなかった時代であり、いざ戦になったときに重かったり動かなかったりでうまく着用できなかったとも伝えられています。

 

次回は縅毛について。